人に親父あり ~昭和最後の親父伝説~

人に親父、あり。 

人が人として生まれいでる為には、 
必ず親父が必要となる。 

時が経ち、平成の世になろうとも、未だ 
親父なくして人はこの世に現れる事、あり得ず。 

先日のLiveの折り、意外にもオレの親父が 
魚屋だったという事実を知らない人たちが多く、 
私はこの独白(モノローグ)を語る事を決意した。 

我が父、栄三の驚くべき歴史を。 

木梨憲武に父、作三があるように、 
不肖、このKjにも、栄三という偉大で、 
愛すべき父があるという事を。 
御用とお急ぎでない限りは、どうか耳を傾けて頂きたい。 

彼、栄三の次男として、私、Kjはこの世に生を受けた。 
ここに一枚の写真がある。 
このオレ、Kjの出生時の写真である。 

初めてこの写真を見たとき、オレは驚きと失望を隠せなかったと 
告白しておこう。 

そこに映っていたのは、まぎれもなく、 
じゃがいも、であった。 
しかも、恐ろしく醜悪な。。。。 

もちろん、それ以前の彼の半生は、私の知りうる限りではない。 
しかし、伝え聞いた所によると、彼は静岡から横浜、戸塚の地へと 
移り住んだそうである。 

その頃、とあるショッピングモール、いや昭和の佇まいから言えば 
「商店街」というべきであろう。 
その地で彼は、青果店、俗にいう八百屋を営んでいた。 

すでに豪放磊落な彼の気質を表すエピソードだが、 
その当時、その商店街には魚屋がなく、 
彼を含め、商店街の面々はずいぶんとその事を気に病んでいたらしい。 

我が父、栄三は、無類と言ってもいい程の 
「お人好し」である。 
そんな面々、仲間達を目の前に、彼は一大決心を告げた。 
「オレが魚屋もヤッてやるッウウウウウウウ!」 
(ジョジョ第二部、戦闘潮流、シュトロハイムより盗用) 

そして彼の途方もない、魚屋稼業が幕を開けたのであるッ! 
(同じくジョジョ第二部、戦闘潮流、シュトロハイムより盗用) 

同じ市場より仕入れるものぞと、彼はタカをくくっていたらしい。 
しかし、想像を絶する、市場の掟がそこにはあった! 
「よそもの、一見さん」には見せない!売らない!(敷居を)またがせない! 

彼は義弟の力を借り、かつて八百屋以前に修行をしていた 
寿司職人としての目利きをフルに生かし、市場の猛者どもの 
信頼と、信用を勝ち得たのである! 

そして彼は念願叶って、魚屋としての第一歩を踏み出したのである! 
しかも、もう一店、商店街に出店希望の青果店主がいた為、 
彼は惜しむ事なく、青果店を廃業した。。。。 

私が生まれる以前の話である。 
勤勉かつ真面目な、昭和日本人としてのアイデンティティだけでなく 
職人魂と、強烈なまでのO型気質を併せ持った、父、栄三らしい 
エピソードである。 

だから、オレは胸を張ってこう世界にアピールする! 
「オレの名はKj、魚屋のこせがれ、それ以上でも、以下でもねえ!」 

彼のエピソードには、オレ自身が事実と頑に信じている部分がある。 
その真偽はどうでもいい。 

※こちらはかつて、KjのMixiに日記として掲載したモノを
一部改変し、転載したモノです。

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