関東美修会 ~Les Enfant Terrible~ 華の章 第一章 ~いろはにほへと~

「あれ程、言っておいたはずだぞ?」 謙信は誰の目にも、そのいら立ちを隠せない様子だった。

天井から吊り下がった古びた整流ファンが、カラカラと異音を立てる。
音は同じかも知れないが、それがイオンでない事実にいら立つかの様に。

もう都心にも少なくなりつつある、色あせた内装の「喫茶店」
それでもWifiが入っているから、かろうじて海堂には言い訳は立つだろう。
第一、この男が抜け出す時は、それこそ人の思いもよらない場所に
逃げ込むのだ。

今回はたまたま「美しい」→「絵画」→「有名な画家」→
「同じ名を持つ喫茶店」と
シンプルな連想ゲーム的思考で、居場所が分かったんだが。

でも、チェーン店だからな。
都心だけでも何百店あると思う? やはり、俺の読みが奇蹟的に冴えていたに過ぎん。

昼下がりの店内は「日常」を自由な時間と捉えた若者や、
「仕事」「移動」を隠れ蓑にした、不誠実な大人、 そして、人生に訪れた、たまたまの幸運を謳歌する大人を ちらほらと見かける程度の込み具合だった。

「目立ち過ぎだな」
いや、それは貴様だけに限った事ではない。 謙信は言葉をかけた事を軽く後悔する。 それは言葉をかけた相手だけではなく、自分自身にも戒めを促す事に 大いに気が付いたからだった。

この二人は、この店の店内では、異様なまでに「目立つ」のだ。
だからこそ、抜け出したこの男を見つけ出せたんだが。 謙信はそう思いかけてやめた。

ウィンドウの向こう側からでも、この男の発する「雰囲気」は人目を引く。先ほどから外を歩く女達が、いちいち振り向くのはその為だろう。

まあいい、女達の視線ぐらいなら害はない。
問題は別の部分だ、視線だけでは人は死なん、 だが、多く視線を浴びがちになれば、おのずと「危険」も増えるもの。だからこそ、この男は勝手に出歩いてはならないのだ。

「謙信」という戦国にその名を馳せた武将と同じ名を持った、
いら立つ男は、その体躯こそ、名に恥じぬ堂々とした物であった。

古びた店内のくたびれたソファでは支えきれない程の
力強さを感じさせる肉体。
十分な容量のコーヒーカップですら、デミタスカップに 錯覚しそうな手。 ソファの肘掛けに急遽、訪れた不幸を感じざるのを得ないのは、 誰に取っても同じ事だろう。 だが、その悪夢は、謙信がこの場でいら立ち続ける限り、 まだまだ果てしない。

彼は戦国の世ではあり得ない、大きなサングラスを身につけている。
宙に浮き出しそうな、叶わぬ自分のいら立ちを秘めながらも、 サングラスの奥の彼の目は「全く、困った男を担いでしまったな」 ともいうべき、これまで何度も繰り返された後悔に溢れている。 喫煙可能な店でなければ、その後悔は、なお一層 やり切れなかった事だろう。

「聞いているのか?貴様」
そんな堂々とした体躯を持つ、謙信にその様な言葉をかけられる男。 それでいて、畏怖に包まれずに、頭上の整流ファンの様に くるくると表情を変える男。 この場に全く不釣り合いな程の華を持ち、 その唇に微笑を湛えたその男。 全て、同じ男の元から放たれるのである。

この男もまた、「信長」という戦国の世にその名を馳せた
英雄の名を持っている。
そんな男が、その美しい口をそっと開く。

「飽きてしまったからね、いつもの様に。」
「尊の愛してやまない「プログラム」の話ばかりでは、 うんざりしてしまうよ」

海堂が聞いたら、さぞかし嘆く事だろうな。
ヤツはヤツなりに、貴様が好むであろう「美しさ」を 理解していると思っているだろうからな。

しかし、海堂の趣味に四六時中付き合っていれば、
さすがに飽きるのは理解できる。
謙信は表情には出さず、心の中でのみ、かすかに微笑んだ。

ヴィンテージの弦楽器が持つ艶やかな音色(トーン)。
そんな優雅さを思い起こさせる様な声を持っていながら、 第六天魔王とも呼ばれたこの「信長」の名を持つ男も、 謙信と同様のギャップを持っていた。

しかし彼の場合は、謙信とは逆に、名前とは不釣り合いな柔らかさ、
輝くばかりの優雅さを持つが故のギャップである。

その男は、姓を「美剣」美剣 信長という。

「カゴの中の鳥は、大空を自由に羽ばたいた時こそ、美しいのだけど」
そのカゴは外界のあらゆる危険から、自らの身を守る鎧でもある。

しかし、「謙信達」というカゴは、信長にとっては果てしない大空への道を
断つものでしかない。
抜け出した先の「大空」にしては、この古びた店は全く ふさわしくないんだが...。 謙信は危うく口元を緩めそうになる。

「美しくあろうが、なかろうが、貴様は俺達にとっては組織の頂点」
「丸腰で、誰も周りに着けずに、迂闊に出歩くな」 「せめて、海堂が貴様を見失わない様、ネットの繋がる所に居ろ」

何度も謙信達が、信長に同じ言葉をかけていると誰が見ても分かる程、
謙信の口調には、言い慣れたセリフ感があふれている。

これまでも、これからも何度と泣く事になるな、俺達は。
謙信はそれでも、信長にはそうせざるを得ないのだろうと諦めた様だ。引き締め直した謙信の厳しい表情が、事の重大さを、 そして、信長の身の重大さを存分に物語る。

彼、美剣 信長は、百花繚乱の様な笑顔を持つ、
美しき顔立ちの短身痩躯の優男。
その髪は、亜麻色の様にも、瑠璃色の様にも見える。 気品漂う物腰は、周囲の目を引かずにはおれまい。

「窮屈な身になったもんだね、知らない間に」
困った顔すらも絵になるこの男には、そんなセリフは 似つかわしくない。 自由で奔放な好奇心と、人を思いやる心、 そんな絵空事が、そんな綺麗事がふさわしい。

「窮屈なんて、美しくないのにな」
「美しくないって事は」

「正しくない、って訳だな」謙信が続く言葉を遮る。
そのやり取りからは、信長の「美しさ」を愛してやまない 信念が垣間見える。 そして、その信念を、謙信達が十二分に理解している事も。

「約束が違うな、それで良いと言ったのは、貴様だ、美剣」
急変し、刺す様な表情で、言い放った謙信。

「俺は実の親に背いてまで、侠雄舎に背いてまで、
こんな恥ずかしい名前を掲げたんだがな?」
厳しさの他に諦めのニュアンスが加わった表情で、 謙信は矢継ぎ早に口を開く。

信長は謙信とは対照的に、一貫して笑みを浮かべ続ける。
困ってはいながらも、その顔からは笑みや余裕が消える気配はない。

「美を修める、か...」謙信が噛み締める様に呟く。
整流ファンも、謙信の記憶も、くるくると回り続ける。

「ああ、美修会さ、謙信、悪くないだろう?」
今度は信長が矢継ぎ早に口を開いた。 信長が誰よりもその名前を気に入っている事は明らかだ。

いや、俺を美しいなんて思う奴が何処に居るんだ?謙信は思うが、
周囲の誰もが、その謙信の思いに反した答えを持つ事だろう。 事実、謙信という男も、信長の持つ「それ」とは違った美しさを 持つが故に、信長も謙信を思いこそすれ、拒絶する事は無いのだろう。

謙信の持つその堂々たる体躯は、洗練された都会的な社会の象徴である、
上質なダークスーツに包まれている。
細部に至るまで一切の無駄の無い、品のある着こなしは、 専門のスタイリストでも居るのではないか? という疑問すら産む程、美的センスにあふれるものであり、 そこから醸し出される気品は、まるでエアポートでの ファーストクラスが約束されたエグゼクティブを思わせる。

しかし、それは彼の闘いに満ちたこれまでの生涯を、
隠す為のものでもあり、
この様なくたびれた外観の喫茶店には全くそぐわないのだ。

「とにかく、もう戻るぞ?海堂先生がお待ちかねだ」
その言葉は、やっと謙信の居たソファの肘掛けへの不幸が、 終わりを迎えた事を意味し、そして、この店への女性達の 意味深な視線が無くなる事も暗示していた。

この場はすぐに、この場にふさわしい「退屈な日常」を取り戻す事だろう。それは、信長にとっても同じ事だと言えた。


外は薄暗くなり始めていたとは言え、まだ日の光への未練が感じられる。
その中を安定した速度で帰路に着く二人。

今の謙信の姿には、これ以上似合う車を見つける事が難しいだろうと
すぐに分かる程、いつでも磨き上がられた上質で大きな、 ブラックのセダン。 大空から「カゴ」に連れ戻されるキャリングケースにしては いささかオーバースペックだろうか?

その後部座席の信長は、驚く程不釣り合いに見えるが、
同時に驚く程の調和も感じさせている。
若干、つまらなそうな表情に見えるのは、 退屈なカゴの中に戻った鳥の様。 しかし、それでも信長の表情から100%笑みが消える事は無い。

また尊の話に付き合わされる事になりそうだ、信長は思う。
罪滅ぼしの意味も込めて、飽きるのはもう少し先延ばしにしようか? 声にならない笑いが信長の表情を更に緩めていく。

無言のまま「カゴ」への帰路に着く車中。
謙信は思い出していた、何故この男を担ぐハメになったか?

あれから、もう何年が経つのだろうな?美剣。
始まりは貴様と俺からだったな?

そのサングラスの奥の遠い目は、彼の左目を除き、その刻を見つめている。夕刻を迎えた帰路の街並みではなく、安定したスピードで向かってくる街灯の光でもなく、今でも色あせない、鮮明な記憶のみを。 この不思議な魅力を持つ男に、魅せられた刻の記憶を。

「思い出は、いつの事でも美しいものだよ、謙信」
不意に放たれた、その信長の言葉には答えずに、謙信は思った。 やはり、こいつの器には敵わんな、この俺の感傷すら 見透かしてやがる。

そして、またも信長への忠告が意味をなさなかった事も、
同時に悟るのであった。

「対象補足を確認、いち早く帰還されたし」
海堂からのメールが、車内モニタに映し出される。

お待ちかねのおもちゃを持った、親の帰りを待ちわびる子供の様な。

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