2011椎野健人<秋>
「一途」
全日本選手権で、椎野は珍しくミスをした。
クラブがすっぽぬけて場外にとんでいくというまさかのミスで、8.800。
そのミス以外は、すばらしい演技で、8位以内には間違いなく入ると思えていたのだが、このクラブのミスが響いて総合13位。
椎野にとっては、悔しい思いで終わった大会だったろうと思う。
いや、それだけではない。
椎野は、種目別決勝にリングで残っていたが、決勝の演技で、ぽろりとリングをとりこぼしてしまった。
もしかしたら、総合順位よりも、この「ぽろり」のほうが、椎野にとってはより悔しかったかもしれない。私はそんな気がしている。
なぜなら。
椎野健人のリングは、あまりにも凄味のある作品だったから。
彼は、唯一決勝に残ったこの種目で、「自分のすべて」を出し切りたかったに違いない、と思うからだ。
椎野のリングは、今回が初披露となった作品だった。
曲は、青森山田高校とコラボしたこともあるダンスカンパニーDAZZLEの「花ト囮」。
「花ト囮」という作品は、不思議で妖しい、ちょっとおどろおどろしい、情念のようなものを感じさせる舞踏劇だ。そして、その曲も、とても美しく、妖しい。
私は、この「花ト囮」という舞台を見たことがあるのだが、なにしろ一度見ただけだから、そんなに詳しく覚えているわけではなかった。が、椎野が踊るこの作品を見たときに、「あ、これはきっと花ト囮の音楽だ」と思った。
それくらい、その舞台にマッチした、あの舞台そのものの妖しさをもった曲なのだ。
その曲を椎野が踊る。
去年までは、「きれいな演技だけど、インパクトがない」と言われていた椎野健人が、だ。
しかし、これが驚くほどマッチしていたのだ。
椎野のもつ、秘めた強さや激しさが、この音楽によって滲み出て、一瞬たりとも目が離せないような「妖気」すら漂わせていた。
今年の椎野は、ロープで強さを出すことに成功していた。
だが、このリングは、ロープで見せる「かっこいい強さ」ではなく、もっと…どろどろとした、人間の業のような、そんなものを感じさせる。
なにかとても、深いもの、がそこにはあった。
椎野には、「一途な選手」という印象がある。
青森山田高校時代、そして青森大学に進学してからも、団体の選手だったのだが、2年生のときに自ら志願して個人に転向したと聞いている。個人の演技で表現したいものがある、その思いが高じてのことだったのだろうが、それはかなり勇気のいることではなかったかと思う。それでも、椎野は、自分の信じた道を、たとえ一人でも歩く覚悟をもった選手、だったのだろう。
そう。
椎野は、いつも孤独に見えていた。
もちろん、友達も仲間もいるには違いない。しかし、こと新体操に関しては、いい意味で「独り」に見えていた。指導者のアドバイスは当然聞くし、意見も求めるだろうが、それでも、最終的には「自分の信じたように」進む、そんな選手に見えた。
もちろん、彼も、「お世話になった人達への感謝の気持ち」や「後輩や仲間のため」という気持ちを持ってはいると思う。だが、いざ演技に入ってしまうと、そういう思いよりも、自分の表現したい世界を描き切ること、だけに気持ちが注がれているように感じるのだ。
だからこそ、ここまで、体の隅々までが研ぎ澄まされたような動きになるのだろうと。腕の曲げ具合、指の開き具合、背中のそらし具体、1つ1つすべてが、彼が描こうする世界に、いちばんマッチしたものを彼が選びぬいてきたのだ、と感じるのだ。
そして、それは、すべて彼が自分の力で見出してきたもの、膨大な努力の末に身につけてきたもの、なのだと思う。
恋愛では顕著だが、「一途」というのは、ときに重苦しさを伴うことがある。椎野にもそんなところがある。
彼は、新体操に対して一途すぎて、頑ななときがあるのだ。インカレ前に青森に取材に行ったときに、中田監督が、どれほど「勝ちたい気持ちの強いやつが勝つ」と鼓舞しても、絶対に「勝ちたい」という言葉を口にしなかった椎野。目標は? と何回聞き返しても、彼は「自分を見せる」としか言わなかった。
そんな、椎野の演技は、ただ「すてき」「かっこいい」とは言えないくらいの、「なにか」をもっている。それは言ってしまえば、「思い」なんだろうが、「思い」という言葉では軽すぎるくらいに、もっと重たいもの。いわば「自分の存在そのもの」さえも懸けているような重みが椎野の演技からは伝わってくるのだ。
彼は、まるで芸術家のように、自分の作り上げたい演技を、コツコツと築き上げてきた。その先にあるものが、勝利かどうかは、究極のところ意に介していなかったのではないかと思う。
だから。
おそらく彼がジャパンで目標としていたのは、すこしでも多く、自分の演技をあのフロアですること。そして、そこで、「自分」を出すことだったのではないか。
結果、種目別決勝にリングしか残っていなかっただけに、リングでは絶対に、見せたかったはずなのだ。椎野健人そのものの演技を。
種目別決勝のリングがおわった瞬間、椎野はすこし上を向いて目を閉じた。「ちゃんとやりたかった…」という無念が伝わってくる目の閉じ方だった。
本当に、あの「ぽろり」だけだった。
ほかはすべて、体も手具も、空気さえも、椎野が描こうとしていた世界そのものになっていた。それだけに、どんなにか悔しかったことだろう。
椎野には、この決勝でノーミスの納得いく演技ができなかったことには、がっかりしてもいいが、どうか、自分自身にがっかりはしないでほしい、と思う。
椎野健人は、すごい選手だ。
たった90秒で、ここまで別世界を描いて見せられる選手は、そんなに多くない。誰かのためではなく、おそらく自分の思いにのみ突き動かされて、この険しい道を黙々と歩いてきた。その一途さゆえに、この極みにまでたどりついた自分を誇りに思ってほしい。
そして、できることなら、自分でも納得ゆくまで、自分の新体操と、自分の表現を磨き続けてほしい。この先、もっとすごい世界を、椎野は見せてくれるようになるのではないか、私はそんな気がしてならないのだ。
↓ 2011全日本選手権でのリング練習動画
<「新体操研究所」Back Number>
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