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どうもシゲマツです。

みなさんこんにちは。更新が遅くなり大変申し訳ございません。風格がありすぎて7歳差なのに年上と勘違いをし敬語で話しかけていた紺ちゃんからバトンを頂きました。
今回は今季から27歳にして新加入をさせて頂いた重松知諭が担当致します。ちなみに初見で私の名前を読めた人には1000円あげます。人生でかつて一人もいません。
皆さんと同様にこのような文章を書いたことがないのでよく書き方がわかっておりませんが、暇なときに温かい目で読んでください。
何を書こうか悩んでおり、こうへいみたいに趣味の共有も考えましたが、新加入+コロナ禍でサッカー以外で皆さんと話すことがほぼないため、知ってもらうためにも自己紹介+自分の薄いサッカー史を書きます。(趣味は韓国ドラマと株です。興味のある人は別途話しましょう。)

<小学生>
福岡のど田舎生まれ。コンビニもなく信号がギリ一個ある程度。小学生の頃は盛りなしでほぼ毎日鬼ごっこしていた気がします。最近の東京は小学生から塾に行っているらしいですね。考えられません。
サッカーは地元のチームになんとなく入りましたが、それほど強くなくいつも地区大会一次か二次予選落ちでした。それなのに体がたまたま大きかったため、井の中の蛙でサッカーがうまいと勘違いしていたのか、いつも偉そうにしていました。人生で一番性格が悪かったと思います。普通に試合中故意に危険なファールをしたり、審判に暴言吐いたりしており、後から知りましたが相手チームからは「サスケ」というあだ名で呼ばれていたみたいです。(丁度そのころテレビでは中忍試験で大蛇丸に噛まれたサスケが暴れていた時期。)あの頃のみんなごめんなさい。最近RFCで審判、相手へのリスペクトという議題があがった時は懐かしさを感じました。リスペクト大事です。

<中学生>
地元中学のサッカー部に入部(田主丸中学校)。なんと県内有数の強豪校でした。全国大会や九州州大会にもたまに出場しており、福岡のトップリーグ(高校でいうプリンスリーグのようなもの)にも所属しアビスパ福岡ユースとかともよく試合をしていました。個人的にも中学までは体が大きかったので(中三から身長がほぼ伸びてないので、この頃から170cmくらいありました)、我ながら結構活躍しておりました。あくまでフィジカルだけ。あとたまにいいシュートがでる。最後の中体連は県大会準決勝で敗退し、九州大会にはいけず引退。その後サッカー強豪校への進学も考えていましたがこの頃に気づいたんですよね、自分が通用していたのは体が大きかったからだけってことを。中三になると周りも大きくなるし、高校生なんてもう普通に自分よりでかい。セレクションでは何も通用せず、落選。15歳にして現実というものを見てしまった私は小学校の卒業文集に書いた選手権出場という夢を颯爽と諦め、鬼の切り替えの早さで勉強での進学を決意。

<高校>
市内にある久留米高校に入部。東京の東久留米総合とは何の関連もありません。高校での一番の衝撃は地元の方言が強すぎて日本語がたまに通じなかったこと。(同じ県内で言葉通じないっておかしくない?)サッカーについて割愛。ほぼ勉強していました。ただ奇跡的に一度県大会のベスト8まで行ったことを誇りに思っています。(無事準々決勝で東福岡にぼこられ、「進学校の限界」という言葉を胸に刻む。)

<大学>
明治大学に入学。大学は遊ぶ場所、お母さんからも大学は遊ぶためいくものと叩き込まれての上京、サッカーなんて大学でやるわけないでしょと思っていましたが、親不孝にも友達の誘いでいつのまにか体同連に入部。ただ入部後は衝撃でした。高校までやっていたのはサッカーだったのか?というほどみんなサッカーがうまく、先輩にびびりならも、世の中にはこんなサッカーがあるんだなあと毎日感動しながら活動をしていました。(ちなみにRFCのキムさんは正直当初は怖くてそんなに話したことありませんでした。こんなに優しい方だと最近知りました。)部内接待がうまかったこと(雑務を積極的にやる等)、後輩からの配慮、忖度?(辻川誠治と小松真悟がなかなか練習にこない。)により3年生の頃は試合に出ていましたが、これといったタイトルもとれず就活、引退へ。ただ大学4年間は真剣にサッカーに取り組み、一番サッカーがうまくなった気がします。

<社会人>
無事社会人デビューを決めてしまった私にはサッカーなんて単語がそもそもありません。休日の朝8時から練習なんて当時の自分からしたら考えられないですね。逆に朝8時はまだ帰宅しておりません。
2年目になり会社から語学研修生として韓国に派遣され、また大学生に逆戻り。一年間韓国で学生生活をしていました。皆さん韓国についてなら何でも聞いてください。今はいけませんが旅行行くならおいしい店紹介します。
その後、韓国で一年間仕事をしていたのですが、人脈構築のため3年ぶりくらいにサッカーを再開。
帰国後、「よしまたあの1年目の楽しい生活が始まるぞ」と思っていましたが、いつも遊んでくれていた同期が結婚や転勤でおらず。このとき「あ、社会人の土日暇や」と気づき、会社のサッカー部に入部。再度本気でサッカーを始めました。そんななかRFCとの練習試合をさせてもらい、完敗。それに加え久しぶりに体同連の人たちがサッカーしている姿を見て、また一緒に本気でサッカーしてみたいなあと思い、断られると思いながらも加茂に相談すると快諾してくれて入部を決意しました。(そんな加茂は最近何か頭が痛くてなかなかサッカーができないらしい。キャンプのしすぎだろうか。早く戻ってきてほしいものである。)

だらだらと内容の薄すぎるサッカー史を書いてしまいましたが、このような経緯でRFCに入部をし、約3か月が経ちました。本気でやる中の楽しさを追求しているRFCのおかけで本当に毎日が充実しておりますが、やはりせっかく入部したのなら試合に出たいですし、勝利に貢献したい、点を取りたい、できればMOMもとりたい。そしてその後池袋のジンギスカン屋で打ち上げをしたい。そしてSNSでリポストして自慢をしたい。さらには「すごいね」っていうダイレクトメッセージをもらいたい。。ちょっとふざけてしまいましたが、前線にはすばらしい選手が数多く揃っている中、その人たちを脅かすことができるよう競争と共存の精神で頑張っていきますのでこれからも宜しくお願い致します。


次回は自分と同じ今年新加入のななです!お楽しみに!

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