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なれなかったことで見えた景色があった

R.F.C Tokyoの代表を務めております辻川三兄弟の長男 辻川敦也です。
今回は少しだけ代表らしいことを書いてみようと思います。
少々まじめな文章・内容に仕上がっておりますがお付き合い下さい。

せっかくの機会なので僕がどんなことを考えながらRFCに所属しているか、
自分なりに高校時代から遡って自己分析をしてみようと思う。
この自己分析が就活の時にできていたら、
どの企業も欲しがる学生になっていたに違いない。



※これから出てくる田中という人物は、RFCにいる田中とは必ずしもイコールではありません。
※わかりやすい名前として田中を使っています。




「高校時代キャプテンになれなかった男」


遡ること約10年前。
俺と田中というやつは、
とある高校の同じサッカー部に所属していたのだが、

俺は、キャプテンになりたくてなれなかった。
田中は、なりたい訳ではなかったけどなった。

当時チーム内で1番の実力を有していた俺は、
当然自分がキャプテンになるものだと思っていたし、
「田中がキャプテンになったら俺辞めるわ」
と言ったこともある。
本気で思ってもいた。
上手い選手がプレーでチームを引っ張る、
そんなキャプテン像を持っていたのだった。

上の代が引退して少し経ったある時の昼休み。
田中が物理室に呼ばれた。
その10分後、俺も物理室に呼ばれた。
※物理室はサッカー部の顧問がいる部屋です。

「あーキャプテンに任命されるんだろうな」
と思いながら少し緊張した面持ちで物理室に向かい、
ドアを開けようとした時、
10分前に呼ばれた田中の話がちょうど終わったようで
中から田中が出てきてすれ違った。
キャプテンに任命されるんだというドヤ顔の俺とは裏腹に、
田中はなんか気まずそうな顔をしていた。

少し胸騒ぎがした。

そこから物理室内での10分間はあまり覚えていない。
覚えているのは、
「キャプテンは田中だからお前は田中のフォローをしてくれ」
と言われたことだけだった。

え?なんで?ふざけるな。
なんで俺じゃなくて田中がキャプテンなんだ。
なんで俺より下手な田中が。
あいつにキャプテンが務まる訳ない。

物理室を出ると、ふと我に返り出てきた感情がこれだった。



しばらくして、
新人戦からキャプテン田中の新チームが
スタートした訳だが、
思ったよりなんかチームがうまくいってる感じがする。

知っての通り、田中はめちゃくちゃ優しいから、
もっとチームを締めろよと思うことは多々あったけど、
結局なんかうまくいってる感じがする。

そんなこんなで、少し話は飛ぶが引退を迎えた。

周りのうるさい同期から文句も散々言われる中で
キャプテンをやるのは相当なプレッシャーだったと思う。
俺だけじゃなくて、他にも色んな問題児やうるさいやつもいたから。

伊藤みつきも相当田中に文句言ってた。

まーでもみんなが思ったのは、

特に大した成績を残した訳ではないけど、
結果俺らの代のキャプテンは田中良かった。


振り返ってみると、
俺は伸び伸びとサッカーが出来ていたことに気がつく。

うまくチームが回るよう色々とやってくれていたのだろうか。

なるほど、こんなキャプテンもあるんだな。
※決して田中を褒めてる訳ではない。
※色々なキャプテンの姿があるのだと感じただけである

「大学で主将に任命してもらえた男」


学習院大学サッカー部に入部した俺は、
最終学年時に「主将」に任命してもらえた。

もう1人主将をやりたいって言ってた同期がいたが、
同期内での投票によって決まった。
後から聞いた話だと1票差だったらしい。笑

だからこそ結果を残さなければならない。
主将になった俺はとにかく、
チームが勝つために出来ることを何でもやろうと誓った。

少し就活っぽくなるけど、
「人は自分の為じゃなく、誰かの為に頑張るときが一番力を発揮できる」
と考えていたから、
スタメンの選手が、
出てない選手やマネージャーそしてチームのためにプレーして、
それが勝利に繋がる。

スタメン以外の選手もチームの勝利を喜んで、
全員がチームのためにやれることをやる。

マネージャーもただ仕事をするだけじゃなくて、
それがチームの勝利にどう繋がるか考える。

そんなチームになるよう色んな根回しをした。

無理かも知れないけど、
学習院大学サッカー部に所属している部員全員が
幸せになるにはどうすれば良いか本気で考えていた。

最初の頃は、上手くないのに偉そうなこと言っていいのか、
自分に自信が持てない時期もあり苦しんだ。

高校時代のキャプテンと少し仲が良かったので相談したこともあった。

自分が主将になってよかったのか、
評価するのは自分ではないけど、
都1部昇格という結果も得られて、
最後は笑って終われた(最終節は負けたけど)ことに、
部員全員に感謝している。
色んな後輩いじめたけど。五味とかゲンパとか。

そいつらと今でもRFCを通じて関わりが持てていることは嬉しい。


高校時代の田中がここまで深く考えていたとは思わないけど、
俺のキャプテン(主将)像は間違いなく高校時代に形成されたのだろう。

「社会人サッカーチームで代表を務めている男」


大学サッカー部は、「部活」という強制力のある集団だったから
ある程度まとめやすかったのは間違いない。
だけど、今は「社会人サッカー」という遊びと本気の中間(悠也の言葉)
の代表という立場である。

多数ある社会人サッカーチームがある中で、
所属しているメンバーが、
RFCという組織に属している意味を見出せるような
そんな組織にできれば良いなと思っている。

なかなか社会人サッカーの組織って難しいけど、
試行錯誤しながらチームを運営している今のこの過程が
楽しいと感じられているから幸いだ。

部活と違って終わりが決められている訳でないから、
もしかしたら一生続くのかも知れないけど、
出来るだけ長くこの組織のためにやれることはやっていこうかな
と思っている。

高校時代キャプテンになれなかった男が、
大学で主将に任命され、
今社会人サッカーチームで代表をやらせてもらっている。


高校時代にキャプテンになれなかったことで見えた景色があった。

当時の顧問が「お前に足りなかったものが見つかったろ」って
どや顔をしている気がする。

高校時代、キャプテンになれなくてよかった。



ps.
冒頭で述べた、この自己分析が大学時代に出来ていたら・・・って話だけど

だって高校時代の悔しい経験を悔しいだけに終わらせず、
そこから自分に足りなかったものを見つけ出して、
大学時代の主将でそれを実践して、1部昇格を達成しました、って
大企業が欲しがりそうな学生じゃないですか?

いや、弱いな・・・



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