【二次創作SS】悪夢
ふと目を開けると、そこは真っ暗な海の中だった。
海面は見えず、海底はさらに見えず、生き物もなく。ただ微かな泡と、深々とした紺と、制服に染み込み全身を冷たく覆う水の気配だけが私に知覚できる世界のすべてだった。
すぐに、それは夢だと気付く。また同じ夢。一人暮らしをはじめた頃から、幾度となく私の夜に訪れるようになった暗くて寂しい世界。
「……京子」
ふと、ここにいない幼馴染の名前を発する。ことばは泡と溶け、闇にほつれていく。
この夢が私のこころの何を意味しているのかはわかっていた。ひとりぼっちの家、一年生の頃とは変わってしまった学校の環境、そういった変化の数々がもたらす漠然とした不安。こんな夜には隣であいつがともに眠っていてくれたら安心できるのだけれど、今日はあいにく不在で、夜が明けるまで海の冷たさにひとりで耐えるしかないのだった。
「……」
ああ、寂しい。
まるで死に絶えた星で、ひとり死に損なった哀れな海月のよう。
ただ広がる闇を、あてもなく揺蕩うだけ。
……いや、何かある。
ふと見下ろした海底に、ちいさな光が見える。
それは幾度となく見たこの海ではじめての変化で、そのためかどうも気になってしまい、光に向かってすいと泳いでみることにした。
幸いにもこれは夢、水底への遊泳は飛ぶように軽やかで素早く、気付けば私は砂の敷き詰められた水底にすとんと立っていた。
白砂を踏む柔らかい感覚を裸足の裏に感じながら歩を進めるうち、見えていた光の正体があらわになった。それは水中という環境に似合わない炎をゆらめかせた一基のランタンで、その暖かな灯りのそばではちいさな少女が座りこんでいた。
見てすぐにわかった。その暗い髪色に長いツインテールをした少女は、遠い昔のわたしだった。
「ぐすっ……くすん……」
少女は泣いていた。今の私からは名残ひとつ感じない、幼くか弱い泣き声だ。
……名残ひとつ?本当に?
「どうしたの?」
私はわたしに問い掛ける。
「こわい子が来るの……わたしに嫌なことを言うの」
わたしの答えは、あまり想像していなかったものだった。わたしは私なのだから、もっと私らしい答えを返すものかと思ったのが。だがすぐに、その理由がわかった。
「おい!また泣いてるのか!」
背後から声がする。それはまたしてもわたしであるが、少し育ち髪は短く、やんちゃで強気だった頃の私だった。
「ひいっ……」
弱いわたしが、強いわたしの叱咤に怯える。
「そんなに泣いてばっかりだと京子を守れないぞ!」
「やだ……それはやだよ……」
「だったら泣くな!京子を守れない私なんてすぐに見捨てられちゃうんだからな!」
京子、京子。強いわたしは弱さを窘めるようで、その実京子の名前を口にするたびに怯えきった表情をしていた。
ああ、ひどい悪夢だ。
私のこころに沈んだ、深い恐怖を見せられている。
「きょーこは……わたしを捨てたりなんか……」
「いいや捨てちゃうよ!みんなが京子のこと大好きで、京子もみんなのことが好きなんだもん!わたしはなんにも特別じゃないんだから!」
やめろ。そんなことを言うな。
「とくべつじゃない……わたしは……きょーこの……」
「そうだ!だからせめて役に立たなくちゃ!捨てられないように頑張らなくっちゃ!だから泣いてる暇なんてないぞ!」
やめて。そんなこと言わないで。
「うん……わたし、がんばる……きょーこのやくにたつ……」
「よく言った!それじゃあ、ひとりでできるな?」
強いわたしはどこからかハサミを取り、弱いわたしへと差し出した。
弱いわたしはそれをすぐに手に取り、ツインテールをほどき、垂れた長髪を躊躇なく切ってゆく。
そんないびつな演劇じみた光景を呆然と見つめていた私に、ふたりのわたしは急に顔を向けた。
「おまえも弱いな」
「あなたも弱いね」
ふたりはハサミを手に、私へと迫ってくる。
「寂しいからって泣いてるの?」
「悲しいから慰めてほしいの?」
そうだ、それの何が悪い。別に寂しくなったっていいじゃないか。
「京子はどう思うかな」
「そんな弱い結衣はいらないって思わないかな?」
……そんなことはない。京子は私の親友だ、私が辛い時にはそばにいてくれる。友達っていうのはそういうもので、何か価値を示さないといけないなんて……
「友達?」
「親友?」
「「ほんとうに?」」
……
「おまえがそう思ってるだけじゃないのか?」
私を追い詰めていたふたりは、いつの間にか私とそっくり同じ姿をしたもうひとりのわたしになっていて、その手に握られたハサミはまるで処刑者の携える剣のように大きく鋭かった。
「京子はちなつちゃんに随分お熱なようだけど?おまえに構ってる暇なんてあるのか?」
わたしが責め立ててくる。ことばの数々は刃となって、私の体を貫く。その痛みに反撃の気力も失せ、私は項垂れてただその刃に傷つけられる。
「綾乃と仲良くなれて嬉しそうだったな?綾乃はかわいいし、良い子だもんな……おまえなんかと違って」
刃のすべては自己嫌悪に鍛えられ、纏わりつく水よりも更に冷たく私に襲いかかる。とうに私は無数の刃に突き刺されていて、傷口からは血よりも暗いタールのような悲しみを零していた。
「あかりは1年の友達ができてたな。優しいあかりは皆のことを見てるもんな、友達だってできるさ。そういえばおまえは?ごらく部と生徒会と……他に知り合いっていたか?……ああそうか、京子のことしか頭にないからそんなヒマなかったか」
どうしてこんなに目に遭わなくてはならないのだろう。私はただ寂しい気持ちになって、それだけなのに。
「それだけ?何言ってるんだよ」
わたしがハサミの切っ先を私の喉元へと突きつける。
「寂しいから、京子にそばにいてほしい。そうだろ?」
……そうだ。
「でも変だよな?『京子のために私がしっかりしなくちゃ』、って決めたのはおまえなのに。どうしておまえが京子の足を引っ張るようなことするんだ?」
………
何も、言い返せない。
「おまえはもう京子の役に立ってない。そんな船見結衣に存在理由なんてない」
首に冷たい感触を感じる。わたしの携えた巨大なハサミが、今まさに私の首を断とうと構えられた感触。
「さようなら、弱いわたし」
じょきん。下ろされた刃が、私の首をたやすく切り落とした───
──────────────────
「はぁーっ……!はぁーっ……!!」
ぐっしょりと冷や汗に濡れた布団を退け、ばね仕掛けのように勢いよく起き上がった。カーテンの隙間から朝の日差しが漏れ、目を覚ました私を微かに照らしている。
ふと不安になって、己の首に触れてみる。当然ながら悪夢の刃は現実に傷ひとつ作ることなく、私の頭と体は問題なくつながっていた。
「……ひどい夢だった」
目が覚めたというのに、先程まで私を苛んだ悪夢の光景はなおも鮮明に記憶に残っていた。それはきっと、剥き出しになった自己嫌悪のことばが烙印のように心に刻まれてしまったから。
「……学校行くか」
頬をつたった涙を拭い、悪夢の記憶から逃れるように布団から立ち上がる。あまり気にしすぎるな、所詮は夢だ。そう自分に言い聞かせながら。
──────────────────
「ゆーい?」
放課後、夕日に照らされた教室。とうに生徒は皆立ち去り、机に突っ伏した私と、そんな私の様子を案じるように不安げな京子だけがそこにいた。
「……大丈夫、すぐ起きるから」
私は昨晩の悪夢をまだ引きずってしまっていて、一日中授業にも集中できず気怠げにして時間が過ぎるのを待っていた。
「大丈夫って感じじゃないけどなあ。なんかあったの?」
「本当に大丈夫だって。ちょっと嫌な夢を見ちゃって、それで落ち込んでただけ」
ただそれだけのこと。悪い夢を見て、それで元気をなくしてしまった。それ以上でもそれ以下でも、ない。
「へ~、結衣にもそういう事あるんだ」
「なんだよ、私だって人間なんだから悪夢くらい見るって」
「……相当嫌な夢だったんだね。目元も腫れちゃって、ずいぶん泣いてたみたいだし」
えっ。
……そういえば、朝は鏡なんて気にする暇もなかった。自分では気付かないうちに、相当ひどい様になっているらしい。
「……気にすんなって」
「気にするよ~、そうだ!今日は泊まりに行っていい?」
「何が『そうだ』なんだ」
「だって一人じゃ心細いでしょ?京子ちゃんがそばにいてあげるっ!」
「……わかったよ、おいで」
「やった~!」
口では呆れたように返したが、正直京子の提案はとても嬉しいものだった。隣で京子が一緒に寝ていてくれるだけで、寂しさの海がもたらす冷気は和らいて、心穏やかに眠れるから。
瞬間、悪夢に映ったわたしのことばが蘇る。
私はまた、京子の優しさに甘えてしまっている。
「……」
「んー?結衣?またぼーっとしてるよ?」
「……いや、なんでもない。帰ろっか」
──────────────────
真夜中、私の家。
お風呂に歯磨きも済ませ、明かりの消えた暗い部屋で、敷いた布団の上に寝転ぶ。
隣にはもう一枚の布団が敷かれ、その上では京子が一足先に横になっていた。
「今日は、ありがとな……」
眠たげな京子の顔を見つめながら、眠気に絆されて取り繕いの消えた素直な感謝の言葉をこぼす。
「お泊りのこと?」
「うん……」
「いいって~、私も結衣といっしょに寝るの好きだし」
私との時間を、好きと言ってくれる。それはとても嬉しくて、悪夢の吐いたことばに募った不安が解れていくようだった。
……そうやって安堵する度に、私を貫いた刃の記憶が鮮明に思い起こされ、私のこころに恐怖が刻み直される。
安らぐことは許さないと、悪夢のわたしが嗤っているようだった。
「ねえ、京子」
「なーに?」
「………今日は寝たくない」
眠るのが、怖かった。また、あの夢を見るのが怖かった。自己嫌悪の数々を抉り出され、不安に苛まれるのが怖かった。いっそ、朝が来るまで起きていてしまいたかった。
「ちゃんと寝ないと余計しんどくなっちゃうよ?」
「分かってるよ、でも……」
「……仕方ないなあ」
京子は小さくため息をついたかと思うと、もぞもぞと這って私の布団へと潜り込んできた。驚く間もなく、私の懐へ入り込んだ京子は大きく手を広げ、そのまま私をぎゅっと抱きしめた。
「な、なんだよ……?」
「これなら少しは落ち着いて眠れるかな、って」
……ああ。本当に、私は甘えてばっかりだ。
「……ありがとう」
「いいってことよ」
京子のぬくもりを傍に感じる。どくん、どくんと、京子の心臓が動く音が聞こえる。その音は私の鼓動と混ざり合って、まるで私と京子のからだが溶け合っているようだった。
這い寄る悪夢の足跡じみた眠気は心地良い微睡みへと変わって、ゆっくりと、私のまぶたを下ろしてゆく……
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ふと目を開けると、そこは真っ暗な海の中だった。
海面は見えず、生き物はなく。ただ微かな泡と、深々とした紺と、制服に染み込み全身を冷たく覆う水の気配だけが私に知覚できる世界のすべてだった。
すぐに、それは夢だと気付く。また、同じ夢。
足元には白砂の感触。私は海底に立っていて、隣には相変わらず私に敵意を向けるわたしがいた。
「また京子に甘えたな」
呆れ果てたと言わんばかりに、わたしが睨みつけてくる。
「いいじゃんか別に……私はダメっだめで、京子が一緒にいてくれないと寝ることひとつマトモにできなくて……そういう弱い私を京子はわかってくれて、寄り添ってくれて……親友ってそういうもんだろ」
「何もよくないよ。そうやって開き直って、京子に見放されないと本気で思ってるのか?もう京子はおまえがいなくたって生きていける。おまえは必要とされてない、ただ京子が優しいから捨てられずに済んでるだけ。それがいつまでも続くわけないだろ?」
積み重なった不安と自己嫌悪が、ことばとなって牙を剥く。
確かに、そうだ。昔の弱々しかった京子はとっくに過去の記憶へ過ぎ去って、今やあいつは皆の中心に立ち、太陽のように、誰よりも輝いて皆に元気を与えている。私はその周りを回る一人でしかなくて、『私がしっかりしなきゃ』なんて古い決意はとうに無意味となった思い上がりだった。
「おまえなんかよりもっと魅力的な友達が京子にはできて、おまえは幼馴染って腐れ縁で必死にしがみついてるだけ。いつかは鬱陶しく思われて、見放されておしまいだ」
「……そうかも、しれないけど」
「もう諦めろよ。これ以上京子の手を煩わせるな。寂しがりは脱却して、ひとりっきりで生きていけるようになれ。それが、おまえが京子のためにできる、唯一役に立てることなんだよ」
「……わかってる、けど……」
わたしの言葉は正しいのかもしれない。京子がいなきゃ生きていけないなんて、そんな不健全な私は改めなければならないのかもしれない。だけど……
「……ひとりは、やだよ」
寂しいものは、寂しい。
「この期に及んで……!」
わたしは激昂して、昨晩と同じ大きなハサミを手に構えた。
「だったら!分かるまで何度だってこうしてやる!」
自己嫌悪の刃が、ふたたび私を処刑するために迫ってくる。
逃げようとしても、踏み込んだ足は白砂に絡め取られて滑り、全身に纏わりつく冷たい水が抵抗となって私を縛る。
そうやってもがいているうちに、ハサミはまた私の喉元に差し迫り───
──────────────────
「───っ!!」
目を覚ます。
部屋はまだ暗く、暗闇の中にかろうじて見える時計は深夜の二時を差している。
意識がはっきりとしてくるにつれ、傍にある温かい感触に気付く。そういえば、京子に抱きしめられたまま眠っていたんだった。
「すぴー……」
京子は私を抱き枕代わりにぐっすりと寝ているようで、私が目覚めたことには気付きさえしない。もっとも、これで起こしてしまうのも申し訳ないのだが───
「んん……ゆい?」
え。
「あ、ごめん……起こしちゃった?」
「んー……だいじょーぶ……」
どうやら京子は寝ぼけているようで、半開きの目はこちらを見ているんだか見ていないんだか。こいつ、夜更かしばっかりしてるせいかちょっと眠りが浅いんだよな。
「……ねえ、京子」
「なぁに……?」
曖昧な京子の様子をいいことに、ふと私のこころを満たす不安を吐き出したくなってしまった。
「……私と一緒にいるの、楽しい?」
「え〜……?たのしいよ……?」
「……私、全然ダメなとこもあるし、京子に支えてもらってばっかりでさ。そういうの、鬱陶しいって思ったりしない?」
「んゃ……?よくわかんない……ゆい、だめなの……?」
流石にこの状態で複雑な問には答えられないか。……だったら。
「……京子にとって、私は大切?」
根本的な疑問を問いかける。大事だ、って言ってほしくて。何より大切で、特別だって言って欲しくて。
……でも、もしただの友達だとか、別に大事なんかじゃないとか、そんな答えが返ってきたら?
問いかけてすぐに、回答を聞くのが怖くなってしまった。
「ごめん、やっぱ今の……」
「えへ、えへへ……」
突然、京子が笑い出した。
「たいせつ……ゆいのこと、大好きぃ……えへへ……」
寝ぼけ顔を更にふにゃりと笑顔にして、私を強くぎゅっと抱きしめながら、京子が答える。
「え……」
大好き、ときたか。そっか。え?マジで?
好き、って。どういう好きのことだ?
「ゆいぃ〜あいしてるよぉ〜……」
私の困惑も気にせず、にっこりと笑顔を浮かべた京子が私に頬ずりしてくる。こいつ起きてないか?
「……おい。目、覚めてるだろ」
「ん〜?わかんないなぁ〜」
「起きてんじゃねえか!」
ツッコミを受け、京子の目がぱっちりと開く。
「えへへ、バレちった」
「なんだよもう……」
「だって結衣がずーっと魘されてるもんだからさ。心配で眠れなかったんだよ」
「あ、そうだったのか……ごめん」
「……結衣、私のことでなんか悩んでる?」
ぎくり。まあ、さっきの変な質問を素面で聞いていたのなら、そう思うのも当然だ。
「……なんか、さ。夢の中で、わたしがすごい嫌なこと言ってくるんだよ。京子に甘えてばっかりとか、私より皆といる方が京子は楽しそうだとか、私はそのうち京子に見捨てられちゃうとか……」
「うーん?よく分かんないけど、結衣はそれが不安だってこと?」
「まあ、そういう感じ……かな」
「そっか〜……結衣、そんなに自己肯定感欠けてたんだ」
「なにそれ、余計なお世話だっての」
ごめんごめんと笑いながら、京子は私を抱きしめていた手の片方を私の頭へとやり、優しく撫でてくる。
「……結衣が幼馴染でいてくれて、私は幸せだよ」
「……ほんと?」
「ほんと。結衣がいてくれるから私はいつも安心できるし、だから結衣が弱ってる時は私が支えになってあげたいと思う」
「……私、京子の重荷になってないかな」
「重荷だったとしても、一生背負ってあげる」
「……なんでそんなに優しくしてくれるんだよ」
「だって、結衣のこと大好きだもん。それじゃ理由になんない?」
「……好き、って……どういう好き?」
「うーん、大事な親友としてだったり、なんかもっとかけがえなのない相手だったり……いろいろ?」
「なんか曖昧だなあ」
「好きってそういうもんでしょ?そういう結衣は私のことどう思ってるの?」
「……好きだよ。京子がいてくれないと生きていけないくらい大好き」
私の情けない愛の告白に、京子は心から嬉しそうににひひと笑顔を見せる。
「結衣ってば、私のこと好きすぎじゃん」
「そうだよ、悪いか」
「ぜーんぜん?とっても嬉しい」
「……ありがとな」
「ふふ、どういたしまして。今度こそ眠れそう?」
「うん、おかげさまで」
「よかった。じゃあ、おやすみ」
「おやすみ」
やさしく撫でられながら、静かに目を閉じた。
──────────────────
……気がつくと、そこはまたしても暗い海の底だった。
目の前にはわたしがいて、苛立ちを隠せない様子で私にハサミを突きつけてくる。
「それで?京子に慰めてもらって、救われたつもりか?」
「……」
「そうはいかないぞ。おまえはずっと苦しいままだ。ずっと怖いままだ」
……確かに、そうだ。
京子がいくら私を好きでいてくれたとしても、目の前にいるのはわたし自身の自己嫌悪で、それは京子が解消してくれるというものではない。
……だけど、何をすればいいかはもう分かっている。
わたしの貫くような敵意にも臆さず、私はわたしへと近付く。
「な、なんだよ……!また切られないと分かんないのか!?」
「ううん。もう大丈夫だよ、わたし」
動揺するわたしのそばへと寄って、私はわたしをぎゅっと抱きしめた。
「……!」
「今までごめんな、ずっと受け入れてあげられなくって」
不安だった。自分の弱さを受け入れて、それを私だと認めることが。ひとりが怖くて、京子がいないと生きていけない、そんな自分を愛することができなかった。
だから、愛されなかったわたしは私を拒絶して、自己嫌悪となって私に襲いかかった。
……京子は、私のことを好きだと言ってくれた。
だから、京子の愛したわたしを、私も愛してみることにした。
「取り柄とか、価値とか、そんなのなくたって、私はわたしのことが好き」
「……嘘だ……」
「本当だよ。寂しがりだったり、僻んじゃったり、そういうの全部ひっくるめて私だから。それがなんだか恥ずかしくって、誤魔化してばっかりいたけれど……やっと、自分の気持ちに素直になれる気がする」
「……ダメだよ、そんなの……京子に……」
「見捨てられなんてしない。京子だけじゃないよ、きっとみんな、弱い私とだって変わらず友達でいてくれる」
「……でも、やっぱり怖い……」
「そう、だな……」
怯えきったわたしの頭を撫で、より強く抱きしめる。
素直になろうとしても、不安なものは不安だ。
……だけど、一歩ずつ。ゆっくりと。心に絡みついた茨を解いていくように、わたしを受け入れていこうと思う。
他でもない、私がわたしの味方になってあげなくちゃいけないから。
「……大丈夫、なんとかなるよ。大丈夫」
「………」
根拠のないことばではあったが、わたしは安心してくれたようで静かに私を抱きしめ返してくれた。
ふと水面を見上げると、そこからは朝の陽の光が差して、暗黒の海を優しく照らしている。光は暖かく私の体を包み、ぽかぽかと安らぐうちに意識が遠くなっていく。
朝が来た。新しい私が歩き出す、新しい日が。
──────────────────
「やー、今日もいい天気だね」
そうして迎えた朝。制服に身を包み、玄関の扉を開けると、雲一つない快晴が私達を迎えた。
「そんじゃ行こっか」
とんとんと履いた靴を整え、京子が歩き出そうとする。
「……ま、待って」
それを静止する。
「ん?どった?」
「………」
深呼吸。いくつもの感情が頭の中でぐるぐると回る。
……言わなきゃ。
「……その、手、つなぎたいなって……」
言ってしまった。
なんというか、その。
せっかくだし、京子に甘えてみたいっていうか。
仲良しで好き同士だってことを確かめたいっていうか。
……今までの私なら恥ずかしがって絶対言い出せなかったようなことを、素直に言ってみたくなった、というか。
「え……?」
京子は呆気にとられ、照れて真っ赤になっているであろう私の顔と、差し出した手を交互に何度も見ていた。
「……嫌なら、いいよ……」
その京子の様子につい不安になってしまい、ネガティブな言葉を口にしてしまった。すると京子はハッと正気を取り戻したかと思うと、私の手をぎゅっと握ってきた。
「嫌なわけないよ!」
ぐっと顔を近付けてきて、にっこりと笑ってくれる。
「結衣からそういうこと言い出すなんて、ちょっとびっくりしたけどさ」
そう言いながら京子は手の握り方を変え、恋人繋ぎのかたちで握り直してくる。
「……ありがと」
「にひひっ、結衣ってばすっかりデレ結衣にゃんになっちゃったね」
私をからかいつつも、心から嬉しそうな京子の笑顔。この笑顔が何よりも好きだ。
「……かわいいだろ?デレデレな私」
京子のからかいに、敢えて真正面から乗ってみる。
「ほえ?……うん、めっちゃかわいい……」
照れ隠しのツッコミを期待していたらしい京子は見事に虚を突かれ、逆に照れくさそうに褒めてくれた。
「えへへ……」
今気付いたけど。京子にかわいいって言われるの、すごく嬉しい。
自分でもびっくりするくらいに甘ったるい声が口から出てしまう。
「ねえ、きょーこ」
普通に名前を呼ぼうとしたつもりが、猫撫で声から直らない。
「大好きっ」
微笑もうとしたが、口角が滑りにっこり蕩けた笑顔になってしまった。
「もー、流石にデレデレしすぎじゃない?今から学校行くんだよ?」
私の豹変っぷりに、流石に京子が苦笑する。
「まーでも、皆にかわいい結衣を見てもらうのもアリだね。私の彼女はとってもかわいいんだぞーって自慢しちゃお」
「え~、流石に恥ずかしいっての」
「……待った、彼女って何?」
「へ?だって好きって言い合ったし、もう付き合ってるんじゃないの?」
……いつの間にか、京子と恋人になってたらしい。
そういう関係になるならもっとこう、しっかり告白とかした方がムードあるんじゃないのか?……まあいいや。
「……じゃあ、そういうことで……よろしく?」
「うん、よろしく!」
顔を見合わせ、にこりと笑い合う。
繋いだ手は離さずに、私達は歩き出した。