成人式と疎外感

単なる戯言、個人の感想ではあるが、まだ田園地帯も多い埼玉の北の方(ほぼ群馬)の市に住む私が成人式に行って感じた疎外感を端的に記す。

成人式当日、皆どうしてるのか聞けたらいいななどと軽い気持ちで足を運んだ。会場まで駅から6kmくらい離れているため車で向かいつつ、遠いし面倒だなぁなどと思いながらも会場の駐車場へ到着する。私を待ち受けていたのは、まるで大宴会のステージにこれからまさに上がるのかと言わんばかりの蛍光色のピンクを基調とした派手な格好をし、車を爆音で鳴らしながら進行してくる集団であった。(この時点で私の帰りたい……という感情が一気に跳ね上がった。)

会場に着いた後も、会う人会う人が性別も関係なく見違えるように垢抜けていて、顔付きでやっと判断できるかできないか程度の変わり様なのである。スーツを格好よくキメて、髪をバチバチに染めていざ参ろうかといった気概を感じる雰囲気は、イカ東をまだまだ引っ張っているような私にとっては非常に刺激が強いものであった。まぁ単に容姿をあまり気にしない私が原因ではあるが、こんなにみんな雰囲気変わるの??と感じると共に、その洒落たムードで色気のある男達、またはガタイのいい男達が如何にもというオーラを発しタバコを吸っている姿は、今の私には新鮮すぎるものであった。

成人式にありがちな話題である今何してるの?とということを訊いても、大学に進学する人がそもそも思ったより多くはないし、増してや国立大とか有名私立に進学する人はわずか、地元で立派に就職して一生懸命働いている人も沢山いるし、私が唯一話せた不良なんかは既に建築業の職人になって働きながら、日本国旗を掲げたキャンピングカーを乗り回していた。(職人…ってなに?どうやって就職したの??)

既に就職した人に話を振ろうとしても、私がコミュ障なのも相まって「今なにしてるの?」「仕事」「なんの仕事?」「清掃」「へー、どんなスケジュールしてるの?」…など他愛のない内容しか振れない。東大のように誰かに話を聞けば興味ある勉強、考えてる進路、やりたい研究、今取り組んでる本などズラズラ語ってくれることなんてないし、事情が違いすぎてどんな話を聞けば良いのかなど全く分からないのである。大学に通ってる人達も、学問そのものへの興味という人もいるが、同時に大学は生きるための一種のツールであり、資格なのである。

参った。東京から60km、電車に揺られ100分程、私の住んでいた地域はこんなにも私の生活と違う、思いもよらない生き方をしている人が沢山いるのだと。大学生、誰もが微分積分学だの電磁気学だの物性化学だの身の回りの人が当たり前のように受けている勉学に励んでいる訳でもなく、今の私のように進路に悩んでいる訳でもなく、全く違う道で(悩みもあれど)立派に生き生きと日々を暮らしているのだと。大学院への進学率が5.5%に留まっているだの何だの、文面だけ見ればへーそうなんだと思う数値も、いざ人々を目の前にすれば実際の経験を伴って身に染みてくる。

あまりに環境が違い、非常に世の中は多様な人がいるのだなぁと思う一方、強めの疎外感を感じた。自分はこの街で育って来て、中学までこのような人達と一緒に学校へ行っていたが、ただ勉強していただけなのにその地元の人たちとは大分異なる進路を取ってしまったようである。自分で選択した道とはいえ、このような結果になるとは。別にそれがいい悪いという感情は別にないし、今の生き方に自分は満足している。また、地元は大好きである。

ただ、自分はこの街で本当に生まれ育ったのか?本当にこの街にいつまでも残ることで、周囲の環境と共に自分に合った将来像が描けるのか?と考えてしまうと、適度な田園風景が広がり住みやすくて大好きな街が、一瞬地元のように思えなくなってしまって、嫌気が差してしまったのである。悲しい。












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