書評『計略のない頭はカボチャに似たり : 「ソ連流」脅しの交渉術 商談・会議・説得に勝つ』寺谷弘壬

学部時代、中国史の講義を受けていたとき、唐代がご専門の先生がこのようなことを言われた。

「中国史研究の際、小説を史料として用いることが多くあります。」

曲がりなりにも史学科の学生だった私は少しギョッとした。なぜなら、史料とされるのは公文書、書簡、日記といった当時の人々が書き残したものであって、百歩譲っても新聞記事くらいまでが史料の範囲だ、と思っていたからである。小説という作家の著した創造作品は、書き手の頭の中を文字にしたものであって、架空の世界の物語だ。史料とは対極の位置にあるではないか。一体、それをどうやって史料として用いるのか、と疑問に思った。しかし、先生のお話は以下のように続いた。

「たとえば、唐の都は長安ですが、当時の文書にはいろいろな規則が書いてある。門はいつ開閉するか、市は何時まで取引をしてよいか、などです。しかし、それはあくまでオフィシャルな立場からのタテマエであって、実際に当時の小説を読むと、市が閉まる時間は結構不規則だったりします。つまり、当時のホンネを探るひとつの手段として小説を活用できるわけです。」

なるほど、完全に一本取られてしまった。言われるまでもなく、公文書は当時の政権が公表したものであって、それが順守されていたかは別問題だ。納得している私をよそに、そらに先生はこう続けた。

「極論ですが、遠い未来、もし現代文明が滅びてしまったとしましょう。その後、未来の歴史家が日本の小説、仮に西村京太郎にしましょうか、それを発掘したとする。それを読むと、かつてあった『東京』という都市には電気で動き大量の人々を輸送する細長い『電車』という交通手段があり、それを利用する場所を『駅』と称し、そこには化石燃料を動力源とする『タクシー』という別の交通手段の運転を生業としている人々が集まっていた。そして、『駅』ではない場所で『タクシー』を利用するには手を挙げて意思表示する必要があった、といったことがわかるわけです。」

私は心の中で拍手していた。それと同時に自分の幼さを痛感した。少し考えればわかるはずだが、私みたいな学生というのは理屈だけ知った気になって固い頭になりがちなのだな、とすぐにでも頭の体操をしたくなった。

…前置きが非常に長くなったが、今回の記事の焦点はこれである。前回の記事でこのマガジンのコンセプトが「ソ連」と「バブル」を歴史としてとらえる試みであることを述べたが、今回は第一弾として史料を用いて論を進める。その史料とは、標題のとおり『計略のない頭はカボチャに似たり : 「ソ連流」脅しの交渉術 商談・会議・説得に勝つ』(寺谷弘壬、KKベストセラーズ、1986年)である。

著者の寺谷弘壬は青山学院大学教授(1986年当時。2019年現在は名誉教授)であり、80年代当時はテレビの討論番組やワイドショーにコメンテーターとしてよく出ていた人物のようだ。この本は外交等の場で代表されるソ連の「交渉術」をビジネスに活かすことを目的として執筆されたものであるらしい。

以下、書評を行っていくが、今回は一般的なスタイルの書評は行わない。学術的な議論がベースになった本ではないので当然ではあるが、正直なところ基本的な事実誤認と憶測での分析が多いという印象を受けたからである。30年も後になって揚げ足を取ってツッコミを入れても、仕方がない。それを踏まえて、今回はこの本そのものを「史料」として用いて、1980年代当時の日本における対ソ感情を垣間見てみようと思う。これはまさに、前置きで話したような理念に基づくものである。

いくつか史料としての面白さを指摘できるポイントはあるが、最も興味深かったのは、現在の日常生活では全く使われていない語彙が多数見いだせることだ。具体的には、ヨーロッパの核ミサイル配備問題(SS-20とパーシングⅡ)、サケマス漁業交渉、レポ船、ハルピン学院、瀬島龍三、坪内寿夫と佐世保重工業、ICメモリーとエレクトロニクス産業、新自由クラブ、等々。これらは、昭和戦後、1970~80年代を実際に生きた人々には馴染みがあるのかもしれないが、私から見れば、まさに前々時代の歴史用語である。とはいえ、日本史・世界史の教科書では取り上げられることはほとんどない、そんな用語だ(なお、2010年代現在の社会科教科書では、リクルート事件やベルリンの壁崩壊等、1980年代の歴史的事件も多く掲載されていることを付記しておく。すなわち、これら用語が取り上げられていないことは現代からの時間的距離が近いことが要因ではない)。それを踏まえると、これはカリキュラムと庶民感覚のズレであり、それは歴史と記憶の差異であり、現代社会をにぎわす学術と実務の二項対立的構造をめぐる問題にまで話を広げることができるのかもしれないし、できないかもしれない。

次に興味深いポイントとして、全体を通してソ連への脅威をあおる記述が多いことがある。そもそもタイトルからして「脅し」という語彙が入っている。この本が著わされた1986年は、チェルノブイリ原発事故によりゴルバチョフのペレストロイカが推進されたとされ、実際に高校世界史ではそのように教えられる(確認したい方は山川の世界史教科書を開いてみてほしい)。しかし、この本はお構いなしにゴルバチョフも無慈悲な極悪人みたいな調子で書かれている。これは完全に後出しジャンケンだが、3年後にマルタ会談で冷戦終結が宣言され、5年後にソ連そのものがこの地球上からなくなってしまうと思うと、かなり滑稽ではある。ソ連崩壊を予測した学界の人物としてエマニュエル・トッドや小室直樹の名は知られているが、これらは統計等の数値に基づく予測であり、それが専門でない人々の感覚からすれば、ソ連はまだまだ元気です、みたいな認識であったことだろう。無慈悲である。

最後に特筆すべきは、これは先にも述べたが、ビジネス本だということである。ソ連の外交スタイルを「脅しの交渉」と銘打って、それをビジネスシーンに活かすのである。ゴネることで相手からかなりの譲歩を引き出し最後にこちらの要求額に有利な数値的中間点で妥協させるパパラム方式、契約を結んでから当初説明しなかった追加条件ないしは要望を徐々に伝えていくサラミ方式、果ては相手が多忙であることを踏まえ会談スケジュールにわざと大幅な遅刻をしていくことで冷静さを失わせ相手から自ら妥協を提案させる引き伸ばし戦術(最後のこれは今でもプーチン大統領がやっていることそのまんまである。あれは「作戦」なのだ)等が紹介されている。果ては、ソ連の指導者の肖像はドーランを塗って美顔術を施しているので青い顔をして「ドブネズミルック(原文ママ)」に身を包んだ日本人ビジネスマンも容姿に気を払えと喝破している。なお、某バンドがドブネズミみたいに美しくなりたいと歌ったのは翌1987年のことである。参考までに。

以上、収拾がつかなくなりそうなのでここで筆を止めるが、だいたい当時の日本における対ソ感覚は理解することができたように思う。この本の出版より後の1990年前後は、ペレストロイカの進展に伴い、ソ連に対する脅威が下がったため、市場としての認識も相まってビジネス雑誌でもソ連を多く取り上げることが多くなった印象である(実際、その頃のAERAやNEWSWEEKは私も持っている)。しかし、それより前の対ソ感覚を知る上でこの本は非常に有益であった。まさに、第一級の「史料」であった。日本人の対ソ感覚の変遷だけで何か一本書けそうだが、私には余裕も知見もないので、これを読んでくださった方々で意欲のある方は取り組んでみてください。

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