何から伝えればいいのか

はじめまして。安藤ろぽふと申します。
1991年生。会社員を経た大学院生です。詳しい自己紹介はツイッターをご参照ください。
https://twitter.com/return_to_2000

このマガジンは、基本的に1986~1991年の「バブル時代」を中心とする日本と「ソ連」という、あまり関連性がない二つの項目を、リンケージさせることをコンセプトとしています。

私は1991年2月に生まれました。景気動向指数の上では、バブル景気が崩壊したまさにその年月で、10か月後にはソ連も崩壊します。したがって、私が物心ついたときにはバブルもソ連もなく、それらは既に学校で習う教科書の中にしかない「歴史」のひとつでした。極端な例で言ってしまえば、「バブル時代」は「平安時代」と、「ソ連」は「神聖ローマ帝国」と同じジャンル、ということです。実際、中学生の頃まで私はこれらふたつの概念をそのようにとらえていました。

その後、何の因果か私は大学でロシア語を学び、卒業後はロシア貿易専門商社に勤務し、今は大学院で戦後ソ連史を専攻し、日々ソ連について考えています。また、業が深いことに、高校時代からの唯一の趣味であるカラオケも、当時(ゼロ年代)のヒットソングから90年代のV系やビーイング系を経由し、80年代邦楽へとさかのぼり、そこから80年代やバブル時代におけるカルチャーへと興味対象が拡大していきました。

これらふたつの領域における知識は、ソ連史は専門であるからして当然、バブルカルチャーの知識は趣味であるにもかかわらず何故か専門に拮抗するかたちで増えていきました。しかし、それらはパラレルなものであり、連結させることができておりません。すなわち、会員番号とセットで覚えたおニャン子のメンバーの名前とゴルバチョフ政権初期の共産党政治局正会員の名前、このふたつの知識は、私の頭の中で異なる引き出しに収められているのです。

しかしながら、お察しのとおり、おニャン子クラブのデビューとゴルバチョフ政権発足はともに1985年春と、同時代のできごとであり、少々大げさに書くと、そのふたつが併存した時空はこの地球に間違いなくあったわけです。このマガジンの目標は、同じ頃の話なのだから、それを(なかば強引にでも)一緒に結び付けてみよう、というものです。

もちろん、実際に当時を生きた方々から見れば、これは若造の思いついたトンチンカンな企画に思えるだろうことは想像に難くありません。しかし、私は多少なりともポジティヴに考えていて、当事者ではなくソ連とバブルの「記憶」がない世代であるからこそ、ある程度客観的な考察ができるのではないか、ひいては新規性のある何かを主張できるのではないか、と思っています。すなわち、ソ連とバブルを「歴史」としてとらえる試みでもあるのです。

近年、本邦におけるロシア・東欧史の文脈では、「歴史と記憶」の関係が、分析概念としてある種のトレンドとなっています。その中で、「歴史」は「記憶」と明確に区別されます(これは本来、デュルケーム社会学やアナール学派なども絡めて詳細に検討しなければならない議論ですが、さすがにそこまでの余裕はないので割愛します)。上記で私が「歴史」「記憶」とわざわざカッコ書きで強調した意味はそこにあります。

前置きが長くなりましたが、以上がこのマガジンのコンセプトです。次回から具体的な内容に踏み込んでいきます。




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