25.「わたし」の今日の傷跡。

すみません、わたし
先程、今日のことを"知っている"と
書きましたが
本当には"知っている"つもりになっていただけでした。

帰りに偶然立ち寄った
今日の日の写真展。
その写し出された真実を前に
"知っている"なんて
とてもとても言えないことに
気がついてしまったのです。

だからきっと、数時間前のわたしと
あの写真を見た後のわたしは
変わってしまったのだと思います。

あの場を生きた人達の
壮絶な心の悲鳴を
わたしは知りません。
恥ずかしながら、あの光景を
自分の目では見ていないのです。

写真を前に
わたしの心は泡立ちました。
いったいどれ程の人に
今日という日は傷を残したのだろう。
5年前の今日という日は
いったい何だったのだろうかと。

そして、今を何事もなく
平穏に過ごしているわたしを
不思議な感覚で受け止めたのです。

過去は確実に風化していきます。
わたしが過去を記号としてしか知らないように
今日もいずれ、膨大な歴史の重さを前に
薄く薄く圧縮されて
やがて記号となるでしょう。

でも、せめて
わたしの傷は わたし程度の傷ならば
その痛みを
ざわめきを
ノイズのように沸き上がる
叫びだしたくなるような衝動を

大事にしようと思うのです。
爪をたて、忘れてしまいそうなその場所に
傷を残していきたいのです。

今日の日のため目を閉じて
ちゃんと涙を流せるように。

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