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~自己紹介~

はじめまして。
Pyromancerの名でMagic: The Gatheringの沼底に近い辺りをゆらゆらしております。

最近はミドルスクールを中心に活動しておりますが、自己研磨のためにもnoteに残していければと。
どこの誰とも分からぬ人間がいきなりデッキやプレイングに関する意見や感想を述べるのもなぁ…と思ったので、まず今回は簡単にMTG歴を含め自己紹介させて頂きます。

プロフィール

Social Name:PYROMANCER
MTG歴:1999年[基本セット第6版]〜
好きなカード:Goblin Piledriver、旧枠Foil
嫌いなカード:新枠、プレインズウォーカー、両面カード
現在の主戦場:Middle School > Modern/Legacy > EDH > Pioneer

MTG歴を振り返って

"出会い"

人生最凶の沼地への出会いは突然訪れました。
当時小学生だった私は、父親から米国出張土産として得体の知れぬ紙束の箱を受け取ります。
「アメリカで今一番流行ってるオモチャなんだってさぁ〜」との一言を添えて。

[Classic Sixth Edition] Starter Set

外装だけで一瞬で魅了されたことを鮮明に覚えているのと同時に、今でも開封時のあの芳醇なインクの香りが脳裏にこびり付いています。
遊ぶ対戦相手はおりませんでしたが、毎日意味もなく英語のルールブックとストーリーガイドを読み漁り(たぶん読めてない)、強いのか弱いのかも分からないカードを自分なりに並べて満足していました。
その後たまたま書店で見つけて祖父母に買ってもらった[Mercadian Masques]のブースターパックで初めて自引きしたレアは“ジョーヴァルの女王“でした。

タフネス7の最強生物だった


"かがり火"

一人で大切に眺めるだけの対象だったMagic: The Gatheringの紙束が、最高の遊び道具でありコミュニケーションツールへと昇華したのは小学5年生で転校したタイミングです。クラスの大半が遊戯王とポケモンカードに勤しむ中、友達のコレクションの一部に数枚のMagic: The Gatheringが紛れ込んでいる事を私は見逃しませんでした。(しかも日本語版!!)
その友達に入手先を聞いてみたところ、自転車でアクセス可能な圏内に専門店がある事が判明したのです。
Ignis
後にそのお店は都内で大泉学園駅、池袋駅と店舗移転+拡大したと記憶しておりますが、私のTCGショップの思い出は全てこの店舗に詰まっています。
残念ながら小学校の同級生からMTGプレイヤーは育ちませんでしたが、中学進学後に今現在でも交友の深い仲間に恵まれました。特に中学時代に毎週のように通ったIgnis大泉学園店の常連は今でも一緒にMTGをするほどの生涯の友です。
毎週末の“かがり火杯”(スタンダードのスイスドロー大会)のために、仲間達とデッキ調整に明け暮れた日々はとても懐かしい思い出です。ドラフトも全てのカードは順位取りが当たり前、店内でのトレードも寛容だったあの頃は、小中学生ながら大人社会に揉まれ毎日必死に生き抜いていた感覚がありました。
常勝集団にいた年上プレイヤーの方に見せてもらったFull Foilデッキは特に衝撃的でした。今考えれば、当時は組み上げるだけでどれだけ大変だったのでしょう...。(お金よりも入手難易度)

実家の電話番号とDCI No.だけは忘れない
※当時は¥0機種変ばかりしてケータイ番号は毎月変わってた


“晴れ舞台”

2003年夏、基本セット第8版のローンチによりカード枠のデザインが刷新...。可読性の向上やカードデザインの幅を広げる事に貢献した変更だったかもしれませんが、残念ながら私には全く刺さりませんでした。ここで”新枠アレルギー“が発症し、以降20年以上この病と付き合いながら現在に至ります。
そんな8版ショックの裏側で自分のTCG人生に最も影響を与えてくれた体験がパシフィコ横浜で開催された全国ジュニア選手権でした。中学生以下を対象に、各地で行われた店舗予選通過者とDCIレーティング上位者のみが本戦参加を許された大規模大会です。

火山の鎚の枚数=頑張った数

私はレーティングでは参加権利を満たすことは出来ませんでしたが、仲間のサポートもありギリギリの日程で店舗予選を通過致しました。

白緑(赤)ビートダウンにて通過
アヌーリッドは当時の相棒

無事権利獲得して迎えた大舞台、初めての横浜エリアへの日帰り遠征です。ガラケーでパケ放題もなく、電車の乗り換え案内サービスも脆弱だった時代。会場に辿り着くかさえも不安な冒険のような体験でした。
ドキドキワクワクのなか、調整に調整を重ねて持ち込んだデッキは『Wake』(白青緑のコントロール)。

着席してすぐに配布された本戦参加賞の価値を理解出来ていなかった...

記憶が定かではございませんが、スイス8回戦のDay1を最後にIDして突破した事だけは覚えています。中学校の夏期講習をサボって出場した本戦、まさかもう一日サボる事になるとは...(最高の気分です)。翌日のSEについて色々妄想しながら上の空で帰路に就きました。

迎えたDay2、初戦敗退。

相手は都内でも有名なプレイヤーではありましたが、個人的には初の手合わせでした。使用されたデッキは『Goblin Bidding』(黒赤のゴブリン)。Day1通過時点で自身もTop32辺りに入賞したはずですが、それ以上に相手のデッキの回りが美しかった事しか記憶に残っておりません。完敗でした。
この出来事が赤いデッキに心中するキッカケとなり、ゴブリンを愛機に添える事に繋がっているかもしれません。


“プチ引退 + 開眼”

高校に上がり部活も忙しくなり、MTGに触れる時間が少しずつ取れなくてなっていきました。
たまに大会に参加しても『親和』と『トロン』にしか当たらないようなスタンダード環境。
そして何より、、、新枠。
競技としてプレイする事から離れるのは寂しかったと思いますが、MTGから完全に離れる事は出来ませんでした。
気付けば隙間時間でカードショップを覗いては¥10~100の旧枠Foilを回収する習慣が身についておりました。一部のプレイアブルなレア達も、好みの旧枠Foilにトレードしていきました。
こうして現在の愛機Full Foil Goblinsの礎は築かれました。

“プチ復帰 + 覚醒“

中高時代からの友人とスタンダードに復帰を果たしたのが2013年の[Theros]の頃です。ボロスバーンが最高に手に馴染み、社会人としての力を存分に発揮してFull Foilerとしてデビューします。
75枚全て光っている事で少しだけ強くなった気がしました。
一つのデッキを使い込んで細かなチューニングする事は非常に楽しかったです。
しかし、、、新枠は私のゲームモチベーションを維持する事は出来ず、プレイ頻度は減り、7EDダメランやONSフェッチランドのFoilを安値で見つけるためにカード屋に立ち寄る生活に戻っていきました。この時期の気付きは、自分が最も好きなイラストレーターはRob Alexander氏であるという事。ショックランドもそれが理由でか、赤絡みだけは初版Foilで揃っていきました。

何度も墓地から蘇って勝利に導いてくれたが、旧枠時代の熱量を取り戻す事は出来なかった

“30を越えて”

プチ引退期間中もプチ復帰後も、どんなに期間が空いても年に一回程度は仲間内ドラフト等でMTGには触れていました。そして、カード資産はトレードに出す事はあっても、ほとんど売却する事はなく箪笥を肥やし続けました。
気付けば三十路を越え、我々を追うようにMTGも30周年を迎えました。

30周年記念イベントで改めて30年の重みを実感

道中コロナ禍でMTG Arenaで遊ぶ機会もありましたが、やはり私にとってのMTGは「苦労して集めたカードコレクションからデッキを組み、膝を突き合わせて対人で勝負してコミュニケーションする」ことが最大の魅力であった事は言うまでもございません。
今回noteをきっかけに自身のMTG歴を振り返ってみましたが、このデジタル化が進む社会において、私は今後Middle School→Vintage→Old Schoolのような逆行と殻ごもりをすることになりそうです。
自分がいまだにMTGを遊ぶ理由…。
世間的には"思い出補正"と呼ばれる要素の方が強いと思いますが、私がMTGに求めていることは新しさ: 5%・古き良き: 95%のようなバランスなのかもしれません。

そんな一般おじさんですが、自身の備忘録のためにも言語化を頑張ってみる所存です。不慣れなため乱筆乱文も多いかと思いますが、適当に読み流してお付き合い頂ければ幸いです。

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