「冬期限定ボンボンショコラ事件」を読んだ(ネタバレあり感想)

<小市民>シリーズの完結作、「冬期限定ボンボンショコラ事件」を読んだ。
以下、シリーズ過去作含むネタバレあり。

「春期限定いちごタルト事件」に始まり、20年の年月を経て遂にシリーズが完結した。私が初めて「小市民シリーズ」を読んだのは「秋期限定」の刊行後なのでリアルタイムの読者ではないのだが、それでもこの「冬期限定」を読む日を長年待ち望んでいた。

小市民シリーズの魅力の一つに、小鳩くんと小佐内さんの関係がある。周りから恋人と認識されるほどに行動をともにするが恋愛感情はなく、特別な秘密を共有し合う。そんな二人の関係は、小佐内さんのミステリアスで蠱惑的な人物像も相まって、どこへ向かうのか先が気になるものだった。「夏期限定」で二人は一度関係を解消するが、秋期限定のラストで、二人はお互いを必要な存在として再認識する。冬期限定でもこれまでの描写から恋愛関係になることはないだろうと思いつつ、「小市民」を目指す二人は、自分の中に平凡な恋愛感情の芽生えに気づくこともあるのではないかと、どこか淡い期待も抱いていた。そんな二人の信頼と無関心が混ざり合った様な、意地悪でかわいらしいリズムで繰り広げられる会話劇は、本シリーズの求心力の一つであったと思う。長編とは別で発表された「巴里マカロンの謎」等の短編作は平和な(!)エピソードが多いため、こんな二人の会話劇をいつまでも見ていたいと心から思わせられた。

秋期限定のラストで小鳩くんは以下のように独白する。

『二人がまた一緒に行動するとしても、お互いの美学をわかり合うには、まだもう少し時間が必要だ。でも間に合うのかな。卒業まで、あと六ヶ月。』

これは来たる冬期限定において、卒業までの残りの短い期間を二人がどう過ごし、高校生活最後の事件を通してどうやって関係を深めていくのかを、読者に期待させる言葉だった。

しかし、実際の冬期限定の中で、小鳩くんが小佐内さんに関して新たな一面を見つけたような描写は特にない。半分近くが過去の中学時代のエピソードで占められ、小佐内さんはクライマックスまで直接的には登場しない。あるのは書き置きのメッセージのみだった。秋期限定を経た二人の関係性の変化については、冒頭で小鳩くんが言及する。「必要もないのに二人並んで学校から帰る」という描写は、これまでのさっぱりとした互恵関係から考えると信じられないくらい眩しいものだ。それでも、シリーズに慣れ親しんだ読者を楽しませる一種のサービスシーンとして、小鳩くんと小佐内さんの会話劇は全体を通してかなり控えめな量だと思う。

冬期限定はむしろ、二人の関係よりも、小鳩くん個人の内面を中心として進行していく。

二人の関係から小鳩くんという一人の主人公に焦点を移したとき、ミステリの主人公である小鳩くんの頭脳は並外れている。一方で小鳩くんは、自分本意に先走って痛い目を見た過去がある、そうならないように周囲に溶け込んで「小市民的な」生活を送りたい、でもときどき抑えきれない自分の衝動の波に乗るとどうしようもなくわくわくしてしまう。そういう背景に自分は少なからず共感していた。自分の能力を思うがままに発揮して認められたい願望と、周囲と同調しなければいけないという規範意識との間で揺れ動くことは、特に10~20代の人間の多くが抱く葛藤だと思う。そんな矛盾を抱えつつどこか達観した様な視線で飄々としながら、卓越した知恵で謎を解いていく小鳩くんは、未成熟な自分を重ねつつ痛快な万能感に浸れる主人公像だった。

そして人は度々そんな本性と振る舞いの矛盾を、誰かに見抜いてほしいという願望を持つ。小鳩くんにとっての堂島健吾は、そう言った意味で理想の友人と言っても差し支えない存在だと思う。二人は一緒に行動する機会は少ないながらも、お互いの人間性を理解して信頼し合ってる。普段は校内でも別行動をしている健吾が、作中でなにかと事件があれば小鳩くんに振り回されることが、気の毒ながらも見ていて頼もしい関係だった。

秋期限定で、堂島健吾の台詞に以下がある。
『お前と組んで厄介事に首をつっこむのも、今夜が最後だろうと思ってな』

ここから「今夜言っておかないと、」まで続く一連のセリフは堂島健吾が小鳩常悟朗の人間性をフラットに、しかし真剣に見つめていることを象徴する、秋期限定のハイライトの一つだと思っている。

しかし一方で、「今夜が最後」だなんてのは、あくまで物語を盛り上げるための演出だと思っていた。どうせ続く冬期では、しれっと小鳩くんと健吾が再度タッグを組んで立ち回るのだろうと、当然として思っていた。実際にはそうならなかった。序盤で健吾は入院する小鳩くんのお見舞いに現れた。しかしその後は、小鳩の中学時代を知る人物であるにも関わらず、過去回想にも登場しない。直接描かれない貢献はあったものの、最後まで物語の表舞台に顔を出さなかった。
結果として、健吾の「今夜が最後」という予感は実質的に破られていない。冬季限定の多くが中学時代の回想を占めるため意識が逸れる部分もあるが、やはり秋期限定の先にある物語なのだということを実感させられる。

そして秋期と冬期のつながりを考えた時、再び小鳩くんの独白が頭に浮かぶ。

『二人がまた一緒に行動するとしても、お互いの美学をわかり合うには、まだもう少し時間が必要だ。でも間に合うのかな。卒業まで、あと六ヶ月。』

この一節に関しては、つまりは、間に合わなかったのだと思う。

小鳩くんは、誰もが共感し得る背景をもちつつも、超然とした視点と能力をもつ主人公だった。残りの時間で小佐内さんと向き合って関係を深めるには、その高みから小鳩くん(そして小佐内さん)を下ろして、一人の人間としての弱さを曝け出す必要があるはずだったと思う。他人を知るには、自分についても知らなければいけない。それは小鳩くんに関しては今作で描かれた。そしてその先の物語は高校3年の冬には収まらなかった。いつかその日がくるかもしれない希望を小佐内さんが仄めかした。それが作中での結末だった。

しかし実のところ、冬期限定という作品はこの与えられた六ヶ月を存分には使っていない。作中の最後のシーンは大晦日で終わっている。六ヶ月のうち残り半分が残っている。「わかり合う」ことが本当に決着をつけなければいけない主題であれば、まだ物語は終わってはいけないはずだ(2月にはバレンタインというおあつらえ向きのイベントがあるのに!)。この作品が大晦日で幕を閉じたことは、その背後に、「わかり合う」ことは「間に合わなくてもいいのだ」、という転換があったことを思わせられる。

小市民シリーズ各長編の刊行は、春期限定が2004年、夏期限定が2006年、秋期限定が2009年。私が小市民シリーズを初めて読んだのは秋期限定の刊行から数年後なので、冬期限定までのブランクは比較的少ない方だったと思う。それでも、読者とともに歩みを進める青春の物語として見たとき、冬期限定が発表された現在、小鳩くんはとっくに、「自分と一緒に大人になる存在」ではなくなっていた。そのため自分の中で小市民シリーズの位置付けは、楽しく読むフィクションとしての色を強めていて、小市民への葛藤がどういう結末を迎えるかは興味の二の次になっていた。だからこそ、冬期限定ではドラマチックなサスペンスとロマンスの集大成を心待ちにしていた。

しかし実際に待ちに待った冬期限定を読んでいて、初めは正直なところ戸惑った。まず最初に戸惑ったのは、小鳩くんの怪我の描写が思ったより深刻なことだった。そして、次に戸惑ったのは中学時代の過去回想の終わりがなかなか見えないことだった。全ページの半分くらいまで読み進めたところで、どうもこの物語は自分が期待してたものとは違うらしいということに気がついた。読み終えた後に振り返ると、本作で描かれていたことは、「未熟な自分の過去の失態と向き合うこと」、そして「自分自身を受け入れて、一人でも生きていく気持ちを固めること」だった。戸惑いつつも、不思議とそれは胸の奥にすっと根を下ろしたような感覚だった。小鳩くんが、単なるフィクション上のキャラクターではなく、自分と重ね合わせられる存在になっていることに気づいた。冬期限定で描かれたそれらの葛藤は、年齢を問わず普遍的な問題だと思う。学生時代を終えようとも、人生が続く限り、何か変化が起こるたび、いつまでもつきまとう課題だろうと思う。小鳩くんは冬期限定のを通して、地に足を下ろした一人の人間になった。そしてその先にあると思われた、小佐内さんとの「わかり合うこと」は遂に描かれなかった。しかし大切な人との決着は、期間限定の青春に縛られるものではないというのが、この作品の意図なのだとすれば納得がいく。これは小鳩くんの先を越して大人になってしまった読者、私、が、それでも自分を物語の真ん中に重ねながら、終わりに立ち会えることができるように与えられた締めくくりなのだと思った。

本作の犯人役である日坂英子は、お世辞にも最終作の敵役として格の高い人間ではなかったと思う。それでも、「立て直せるんだよ、悪い時は!」という叫びが印象に残っている。それはこの作品の背景と共通の希望に基づいた、本当の言葉だったように思える。

正直なところ、小市民シリーズは青春の葛藤というものの扱いに対して、もっとライトな手付きのシリーズだと思っていた。作者の作風からいってストレートな甘い展開になるとは思っていなかったが、小鳩くんと小佐内さんという魅力的な男女のキャラクターがいるシリーズであれば、少なからず恋愛要素を仄めかす展開を入れて大団円にした方が娯楽作品としての収まりはよかったはずだ。にもかかわらず、時間の止まった閉じた世界の中でハッピーエンドを迎えることよりも、読者とのつながりに寄り添うことを選択したかのように思えた。だからこのような結末を迎えて、予想していなかった寂しさとともに、このシリーズが共に人生を歩んできた、本当に自分にとって大切なものなのだということを改めて実感した。小佐内さんの「いろいろあったね」という言葉が、自分にも向けられているようだった。小鳩くんの「ぼくは結局のところ、自分があまり好きではない」という独白に、少し救われたような気がした。

最後に、私は、秋期限定を初めて読んでから10年近い間をあけてこのたび冬期限定を読んだ。その上で上記の感想を抱いた。
一方で、いま初めて小市民シリーズに触れて、秋期限定から冬期限定を一息に読んだらどう感じるだろうと考える。秋期限定は瓜野くんと小鳩くんの2つの視点が並行して描かれた。特に、瓜野くんの鬱陶しいくらいの独善的な行動力は、物語を前へ前へと進めていく勢いがあった。その直後に、小鳩くんの内省とともに静かに高校生活への終わりへと向かっていく冬期限定を読んだら、また違う読書体験になったのだろうということが思い浮かぶ。

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