まだ動く(短編小説/5543字)

 夜中に変な音がして、浴室へ行くと電動歯ブラシがつけっぱなしになっていた。

 オンにした記憶はない。使った後はきちんとオフにして充電器においたはずだった。けど動いている。

 まあいいかと電源を押してみるもオフにならない。あれ、と思いながらボタンを連打。無反応。充電式だからバッテリーごと外さなきゃだめかなと思うものの、外し方がわからないし面倒くさい。そのままタオルに包んで朝まで放置した。

 それからずっと、電動歯ブラシは動き続けている。

 新しい歯ブラシを通販で注文して届いて使い始めても、まだ動いている。

 ヴヴヴヴヴ、と、振動を続ける歯ブラシ。もはや怪奇現象の粋に達していた。

 お祓いでもしてもらおうかな、と実家に電話してみると、面白いから郵送してくれと言われる。

 動きっぱなしの電動歯ブラシって郵送できるんだろうか。

 生き物だって送れるぐらいだから大丈夫だよ、と、法的にOKなのか怪しいことを言う家族。

 冷静に考えたらもうこれは電動じゃない気がする。電気なんてとっくにゼロになっているはずだ。いったいどこから動力を得ているのか。

 霊的なものは信じない主義なので、お祓いはやっぱりやめる。仮に誰かの念で動いているのだとしたら、電動歯ブラシならぬ念動歯ブラシだけど、超能力だって信じない。マジシャンだったらいいけど。

 つまり誰かが私をたばかっている。そういう可能性もなくはないけど一人暮らしだし、鍵はひとつだし、家に呼ぶような友人も恋人もいない。

 電動歯ブラシごときで人生の実情を省みなきゃいけなくなるなんて哀れにもほどがあるので、あまり深くは考えないことにする。

 電動歯ブラシが止まらなくなってからは、ただの歯ブラシしか使っていない。電動歯ブラシは力加減が一定だからいいと思っていたけれど、使っているうちにやっぱり納得がいかないことに気付いていた。

 そもそもが、取り扱い説明書に書いてある「軽く歯に押し当てて下さい」という言葉の「軽く」の手加減がわからないのだ。

 どうしても強く押し当ててしまっている気がするし、軽すぎて磨ききれてないんじゃないかと思ったりもする。

 毛先がバラバラになってきた時の、ブラシを交換する時期の目安もわからない。なんとなくで判断するのはわかっている。人より少しその判断が早いんじゃないかとか、それでちょっと損をしているんじゃないか、とか、思ったりもする。

 誰かに打ち明けるほどでもない考えはただぼやっと頭をよぎるだけで、そんなに深刻に捉えているつもりはなかったものの、こうして電動歯ブラシが止まらなくなってみてはじめて、不満に思っていたことが現実化したような心地だった。

 電動歯ブラシには歯磨き粉がいらない。基本的にはつけなくていい。ただの歯ブラシになってから歯磨き粉代がかかるようになった。歯磨き粉というのはミント味がするものだけど、チョコミントを食べて歯磨き粉っぽい味だから苦手という人のことが私にはわからない。あとなんでチョコミントがミントチョコじゃないのかもわからない。配分の違い?

 だって普通に考えたら、チョコミントが歯磨き粉っぽいというよりも、歯磨き粉がチョコミントっぽいと思うのが道理じゃないだろうか。

 味を模しているのだってチョコミントサイドじゃなくて歯磨き粉サイドだ。正確に言ったらミント味だ。チョコは混じってない。なのに歯磨き粉っぽいとか思われて、チョコミントの不憫さったらない。

 なのできっとチョコミントが歯磨き粉っぽくて苦手という人は、人生においてチョコミントよりも先に歯磨き粉のミント味を強烈にインプットしてしまった、かわいそうな人だといわざるを得ないのだ。

 そんなことを考えながら、コンビニで買ったチョコミントアイスを舐める。大人になってから、アイスは舐めるものじゃなくてかじるものになってしまった。小さい頃はずっと舐めていたのに。舐められない大人になってしまった。いや別に舐められるけど。いま舐めてるし。

 実家の庭にアップルミントが大量に生い茂っていて、子供の頃それを使った料理を食べさせられていたのだけど、庭先で犬を放し飼いにし続けたり野良猫がよく通りかかるという現実をスルーした結果、想像力が後になって追いかけてきてミントそのものへのイメージダウンに成功してしまった。でもそんなもの洗えば同じことだし海産物なんてぜんぶ排泄物と死骸の山から抽出されてるんだぜ!

 威勢がよいな小僧、と脳内で老師的なものを喋らせながら、小僧でもない私はiPhoneでメールチェック。注文していたエアガンの発送が完了していて、まもなく届く様子だ。

 サバゲーっていうの? ぜんぜん興味ない。用語としてはミリタリーファッションぐらいしかわからない私がなぜエアガンを注文しているのか。

 撃ってみたかったからだ。

 勘違いしてほしくないのは、撃ちたい対象はないし銀行強盗の予定もない。銃そのものにも、特に魅力を感じていない。

 ただ、銃を撃つ感覚というものを味わってみたかったのだ。

 もちろん本物とはまるで違うのだろうけど、私はなんというかこの、銃とか弓とか特殊な楽器とか、この世に存在はしているけれど使ったことのないもの、意識的に行動しなければほぼ確実に得られる機会のない感覚について、興味があった。

 その意味でいえばサバゲーだって新しい体験にはなるのだろうけど、私の欲求はもっと個人的なもので誰かとの共有じゃない。趣味として楽しみたいとか、技術として上達したいとか、ストレス発散や向上心のある目的じゃあないのだ。

 選ぶうえで気をつけたのは値段と重さ。プラスチックのモデルガンは100均でも売っていたけど、持ってみるとあまりに軽くて安っぽくて新しさがなかった。そしてレジまで持っていく勇気もなかった。

 種類なんてまったくわからないから、適度な重さと安すぎず高すぎない価格帯、文面は理解不能だけどレビューの数が多いものを選び、着払いで注文。こんなもの買ってどうするんだろう、と常識担当の私がつぶやく。当然、撃つのだ。

 撃った後どうするか、も考える。あまり部屋においておきたくない。実家の兄でも送りつけてあげよう。菓子折りでもつけて。

 職場の上司から、好みじゃない菓子折りを頂いたときにどうするかといえば、だいたいは実家に送っているのだけど放置して賞味期限が切れてしまうものもある。賞味だけならまだしも消費期限も切れてしまうことがあって、里帰りしたときにその消費期限ぎれのお菓子が堂々とテーブルの上に置かれていたことに、悲しくなったことがある。

 消費期限をこえた期限。もうこれは消費機嫌である。

 機嫌しだいで消費は続く。うちの家族はいつもこうだ。極端に味がおかしくならない限り、絶対に食べ物を処理しない。

 いったん超えた期限は、それ以上のボーダーがないせいでどこまでも大丈夫に思えてしまうし、実際にそれで通用させていくから、いつまでも大丈夫という扱いになってしまう。それでそのうち腹を壊すのだ。バカらしい。国際語と化したMOTTAINAI精神の表れというよりは単なる危機意識の欠如で、切れる前に処理できないことを問題に思わないことが問題だ。

 その血は私にもやっぱり受け継がれていて、後回しにし続けることで挽回不能になる出来事がたくさんあった。仕事もそうだし、人間関係でもそうだ。コンビニのレジに人が並んでるから後にしようと思って店内をうろついていたら、最初よりも数倍に増えていたりとか、食べたさがピークになったときに食べようと冷蔵庫に取っておいたティラミスが停電で腐っちゃってたりとか。これは私のせいじゃないか。

 今回のこの電動歯ブラシはどうだろう。ずっと放置しているけど、それで何か不都合が起きるだろうか。

 想像の翼を全開に広げれば天変地異でも歯ブラシ革命でも起こせそうだけど、寝かせておいた方が無難な想像ばかりなので考える気にならない。卑近な例で考えれば特にない、と思う。音はタオルで包んでれば気にならないし、最悪捨ててしまえばいいのだ。

 そこそこ長く使ってきたものであっても、思い入れがあるわけじゃなかった。

 だけどなぜだろう、まだ動いてる。動いてるものを捨てるのは、忍びない。

 動いてる体を休めるには、動きを抑えなくはいけないけど、止まってしまうことは決してない。

 たとえば私は、仰向けで寝るのが苦手だ。

 じゃあ俯せは、というとさらに苦しいので、自然と横向きに寝るのだけど、その姿勢のままずっと横になっていると、当然のように圧迫されている部位が痺れてきたり、痛くなったりする。

 寝るときに限らず、同じ姿勢でずっと座っていたり、立ったりしているだけでも、体のどこかが辛くなる。程度の差はあるにしろ、誰だってそうだと思う。

 それでなんとなく、何も変えないということ……止まっていることは、痛みにつながるんだろうか、と考えた。

 心臓だって、鼓動が止まれば苦しいし、当たり前だけど死んでしまう。

 何をするにしても、常に動いて、プレッシャーを受ける部位を変えていかないと、ストレスが溜まっていく。ストレスが溜まると、苦痛に変化する。さらに放っておけば死が待っている。

 運動しなければ、変化しなければ、食べなければ、吸収しなければ、吐き出さなくては、終わってしまう。

 全ては動作に因することだ。

 動かなくなること、止まること、何もしないこと、進まないことが苦痛に感じるのは、そこに死のイメージを見るからなんだろうか?

 いつかテレビで見た、鮫の話を思い出した。

 鮫は、常に泳ぎ回っていないと、浮力を維持することができずに死ぬ。

 鮫に限らず、生物は活動しなければ死んでしまう。活動しないのなら、生物とは呼ばれないのかもしれない。

 活動を絶やしてはいけない。欲望の根源がそこにあるような気がする。

 それでも、活動には気持ちが必要だ。

 ドアホンが鳴って、私はエアガンを届けにきた配達人に代金引換の料金を支払う。なんだか悪い取引をしている気分になる。

 銃の種類はまったくわからないけれど、さすがに大きさぐらいはわかる。買ったのは文庫本よりは少し大きいぐらいの拳銃で、ガスでも電動でもなく、スプリングの力でプラスチックの弾を撃ち出すタイプのものだ。入門用にぴったりと書いてあったから、これにした。入ったらすぐ出て行くけど。

 箱から出てきたのは、発泡スチロールに収まったハンドガンと、弾を入れるらしいマガジン、ビニールにつまったBB弾、あとは薄っぺらい二ページぐらいしかなさそうな取り扱い説明書で、シンプルさにちょっと安心する。もっとごちゃごちゃと細かいものが付いてきたらお手上げだった。

 さて何を撃とう、と考えて、たぶん音は大したことがないから室内でもいいよねと思ったものの、的に使うのに適したものがない。

 賃借だから壁は論外で、とりあえずハンガーに厚めのタオルをかけて、そこへ撃とうと思った。タオルの向こう側は窓を開けたベランダだけど、突き抜けるほど威力があるとは思っていない。念のためだ。

 説明書を流し読みしながらマガジンに弾を込める。何か気の利いたBGMでもほしかったけど、窓が開きっぱなしなのでやめておく。

 チャイラテが飲みたい、と、唐突に思う。

 ハンドガンとチャイラテは合わない。合うのはブラックコーヒーとタバコに限られる。限ったのは私のイメージだけど、飲みたくなってしまったものは仕方ないので、私はコンロで牛乳を沸かし始める。

 そうしているうちに、あ、電動歯ブラシを的にしよう、と思い立つ。

 火を止めて、茶葉を入れ、蓋をする。

 電動歯ブラシをタオルの前に設置する。

 ストレーナーとティーカップとスプーンを食器棚から出して、ハチミツの蓋を開ける。

 ハニーチャイラテが完成するあいだ、電動歯ブラシは休むことなくタオルの前で揺れ続けていた。

 動き続ける電動歯ブラシは、うまく直立してくれないので、横向きに寝かせてある。これでは的にできそうもない。

 まあそんな、せっかくがんばって動いてるのにエアガンの的にされるなんて、かわいそうといえばかわいそうか、と、甘いチャイラテを口にしながら私は考え直した。

 でも別に、がんばってるかどうかなんて見方しだいではある。

 私の生活も、人の見方によっては、見ている人の気分によっては、なにもがんばっていないように見えてしまうことだろう。それが正しいとか間違ってるとかではなく。

 右手で銃を構えて、反動なんてほとんどないだろうけど、なんとなくドラマでやっているみたいに、左手も添える。ずっしりとした重みを感じた。

 物質。

 物質の動きで、あらゆる気持ちが決まるのだ。

 匂いでも音でも映像でも肌でも薬でも、なんでもだ。

 たかがチャイラテ一杯のカフェインが体を動いただけで、この気持ちがどうこうなる。焦燥したり高揚したりする。何かの決断に、影響する。

 なんだそれ。人の意思ってなに?

 物質。

 物質の動きで、ビリヤードのように気持ちは弾けて転がる。

 好きな気持ちが止まらないなんて表現をたまに見るけど、気持ちはそもそも止まるものじゃなくて、止まっているものは気持ちじゃない。

 動き続けてグラデーションのように変わっていくその光景の一定領域、シャッターが捉えた一定の空間に、感情としての名前をつけてみているだけのこと。

 だからそのうち他の気持ちに切り替わる。

 ――人生は、何が動くのかを見たいかということだけだ。

 そんなことを思いついて、それでも気持ちはまだ動く。

 電動歯ブラシも、まだ動く。

 BB弾は気の抜けた音を残して、電動歯ブラシを飛び越えていった。

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