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「自分らしさ探し」を手放ことで自分に出会える


苦しくて仕方がなかった時、
「自分らしさ」というものに必死に答えを出そうとしていた時があります。

「あなたらしい」

と言われると、
「え?わたしってそうなの?」
「いや、わたしのことそんなに知らないくせに勝手に決めないで」

周りの言葉にいちいち反応していた自分は、
周りに左右されていたな〜と思います。

はっきり言って
人の目などいい加減

見たいものしか見ないし、
聞きたいものしか聞かないし、

自分の思うことに当てはまることだけが
正しいと思うし。


「自分らしさ」を探ろうとするほど、
「自分らしさ」という形を創ろうとするほど、

型枠の世界で生きようと決めてしまっていて、

「自分であること」を求めれば求めるほど
人と比較し続けて、

それさえも気付いてなくて、
だから苦しかったんだな〜と思います。


特に、
「自分らしく生きる」ことが、
「誰かに嫌われる」「誰かを不幸にする、迷惑をかける」
と思っていたのですが、


それは
「自分らしく生きる」を
「わがままに好きに生きる」と脳内変換してしまっていたからで、


(好き勝手にやってる人は結構「KY」なんて言われちゃうから
余計だと思います)


それは、「わがまま=よくないこと」と思い込み、

それだけ
「いいひとでいなきゃ」って自分を無意識に抑えてきていたんですよね。

「いい人でないと嫌われちゃう」って。


そこには、親からもらった経験や
世間の常識ってものが強く影響をしており、
それが「自分を生きていない」ということ。

自分らしさを知るために、
それはそれは時間をかけて
たくさん自分と向き合うことをやってきましたが、


それは、
「自分を生きてなかった」自分をどんどん知る行為そのもので、


「自分でない生き方」に気付くことができたから、

その反対である「自分の生き方」の存在を知れたのだと思います。


もう、すっかり
「自分らしい生き方」に答えや色や形や表現をつけることに
必要性を感じず、

本当は、「自分らしさなんて、なにもない。どこにもない。」というのが、あがいた末の答えです。


顕在意識たった3%であれやこれやと頑張ってる自分は、
本当の自分ではないから、


きっと
わたしの魂(潜在意識)だけが、
わたしはどういう存在で、
何を決めて生まれてきたのか、わかっているのでしょうから、
全てはそこに任せようと。


それは、一見、何も持たず、不安定に見えるかもしれません。

でも、そもそもこの世は、不安定なわけで、
全ては変わっていくもので、

その度に壊しては作る程、しんどいことはないから、

何にでも変われる
「無」の自分を手に入れることこそが、「安定」なのではないかと
今は感じてます。

もちろん、人間だから、
目の前のことに、左右されそうになることもありますが、
還る場所を知っているのは、
強みかなと思います。









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