「人生楽しまなきゃ!」という言葉のその裏に
「楽しいから幸せ」
では、楽しくないと幸せではないの?
あなたにとって「楽しい」とはどんな状態ですか?
もし、この時、
誰かといることが前提であったり、
特別な状況を用意したり、与えられたものだけが
頭に思い浮かんだ人は、
少し振り返ってみて欲しいんです。
それがないと「楽しみ」見つけられないのか。
恋人といると楽しい、では、恋人がいなくなったら?
旅行に行くと楽しい、では、旅行に行けない状況になったら?
確かに、恋人や友達、誰かと過ごす時間は、
とても楽しいけれど、
旅行で、美味しいものを食べて、知らない景色を見るのは刺激的だけど、
そう、刺激がある=「だから楽しい」と勘違いしてないかどうか。
「楽しいことだけしよう」「楽しまなきゃ」と
やたら連発する人に出会った時、
意識的に繰り返し出るワードは、
その人の脳の中にある思考を反映しているわけで、、、
何をそんなに見ないようにしておきたい
楽しくないと感じる要素が
脳の中に詰まっているのだろう?と思うわけです。
「楽しいことだけ考えよう!」
意識して考えないと楽しいことでてこない?
「人生楽しまなきゃ!」
って、楽しむって、「〇〇しなきゃ」できないもの?
親という立場や
人のお悩みを拝聴する立場の人にありがちな、
「楽しいと思う人生を過ごして欲しいんです」
それはそうだと思うけど、
では、あなたにとっての楽しいという定義は?
感覚はそれぞれ違うでしょ?で収まる状況なら、
その言葉で終わるかもしれないけれど、
相手に感じてもらいたいと思った時、
自分の中にないものを相手に伝えたり、感じてもらうことはできません。
「感覚」は「物質」のように明確でない分、
なんとなくそんな感じと曖昧に済ませてしまうから、
人に翻弄されてしまう。
「感覚」が満たされていないと
いつか消える「物質」で埋め合わせようとするから、
浮き上がっては埋めるを繰り返してしまう。
見えない部分の「感覚」は、
自分の内側の感覚を、自分で見える化することでしか、
どこまでいっても埋められないから、
「自分から湧き出る感覚」に正直であれ、と思います。
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