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11月30日の明け方、猫のちーちゃんが天国に旅立ちました。

ちーちゃんは、キジ白の女の子。
十八歳。我が強くて天真爛漫、お転婆な子でした。

腎臓病との戦い

一年半前に慢性腎臓病と診断され、病気との戦いが始まります。
腎臓病は高齢の猫に多い病気です。
最初は、点滴のため、週二で通院。
その八か月後、再び体調を崩し、毎晩、自宅での点滴が始まりますが、体調も回復し、ご飯を食べ、トイレに行き、普通の生活を送れていました。 


冬が近づいてきたころ、今までできたことが、だんだんと出来なくなりはじめます。体調を崩すというよりは、だんだんと命の光が弱くなっている感じがしました。
食事もウェットフードから腎臓病用のリキッド(ミルクみたいなもの)に変え、シリンジで与える形になりました。
そこから、徐々に弱っていき、最後の一週間は寝たきりで、トイレにも行くこともできなくなりました。

亡くなる四日前
左の後ろ足が大きく浮腫んでいるのを見つけました。
見たときに、一瞬にして胸の奥を鷲掴みにされ、ぐいっと頭を後ろに引っ張られるような感覚を覚えました。
「ついにこの時がきたか。。」と胸がはち切れそうでした。
体が点滴を吸収できなくなったのです。
以前、腎臓病で猫を亡くした友人から「点滴が吸収できず、浮腫んだら、身体が限界をむかえているかもしれない」と聞いていました。

ちーちゃんの様子を動画に収め、動物病院に看護の相談に向かいます。
点滴は量を少なくすること、浮腫みは人間と同じマッサージがいいこと教えてもらいました。
診察室の最後、獣医さんが「お辛いですね」と声を掛けて下さったのですが、その言葉を聞いた瞬間、こらえていたものがこみ上げ、泣きそうになりました。
一言でしたが、心から寄り添ってくれたことが伝わってきて、とても慰められました。
動画の様子から、残りの時間が僅かなことを獣医さんは察していたのだと思います。

亡くなる二日前
ついにリキッドも受け付けなくなりました。与えようとすると、怒ったように嫌がり、人間の手を噛むのです。
「もうやめてくれ」精一杯の抵抗だったと思います。

最後の一日

水も受け付けず、呼吸も苦しそうで、意識もあまりありません。

亡くなる14時間前、発作が起こり呼吸が荒くなり、苦しそうな声を出しました。
あまりに突然のことで、慌てふためくしかありません。「ちーちゃん、どうしたの!ちーちゃん!」何度叫んだでしょう。
幸いにも発作が落ち着き、呼吸が戻ってきました。
身体をなでると、しっぽの先を小さく動かしてくれました。


なんとなく、今日が山だなと感じました。

亡くなる六時間前にも、小さな発作が起こりました。もうこの時点では、しっぽも動かせなくなっていました。

夜、ちーちゃんの横に布団を敷き、様子を見守ることにしました。
神経が高ぶっていて、眠るどころではありません。照明を暗くし、数分おきに息をしていることを確認していました。
二時半までは記憶がありますが、なんとしたことか、私はそこから眠ってしまったのです。

三時半すぎ、夫がトイレに起きたことに気づき、一瞬で目が覚めました。しまった!という後悔に襲われます。
急いで照明をつけ、ちーちゃんを見ると、急に呼吸が荒く激しくなりはじめました。
明らかに今までの発作とは違う様子に、最期の時が来たことを悟りました。

「ちーちゃん!」「ちーちゃん!」

夫と共に名前を呼びました。

手足で空をかき、切ない声をあげ・・・そして、しばらくして、静かに息を引き取りました。


夫が起きて私が目を覚まして、ほんの数分の出来事でした。
ちーちゃんが私と夫が来るのを待っていたようにしか思えません。
「ちーちゃん。最後まで頑張ったね。もう大丈夫だよ」そう言って、何度も身体をなでました。

もういない

少し前は生きていたのに、今は、もういない。という事実。
ちーちゃんの闘病が終わったこと、苦しみから解放されたこと。
ちーちゃんと家族の18年間の思い出。
飼い主としての至らなさ、不甲斐なさ。

悲しみ、安堵、思い出、後悔

色々な感情が入れ替わり立ち替わりで、やってきます。
一人では、受け止めきれず、夫と今までのことを朝まで語りました。

朝、息子が起きてきて、ちーちゃんが亡くなったことを話すと、呆然と立ち尽くしました。泣くのではない、その姿に、息子の死の受け止め方が心配でなりません。

亡くなる二日前に、ちーちゃんの先が長くないことを伝えたのですが
「僕は信じないよ。あのこは強いから、復活するんだ!」と何度もふざけたように言うので
「復活はないと思う。お別れが近いの。分かって。」と言ってしまったことを悔やみました。
息子はその現実を受け止めることが出来ず、そう振舞うしか出来なかったんですね。
亡くなった日の晩、息子の部屋に行くと、布団の中で一人泣いていました。
なんとも居たたまれなくなり「がまんしなくていいんだよ。泣きたいときは泣いていいんだよ」と息子の頭をなで、私も一緒に泣きました。

お葬式の準備とお通夜

ペット葬儀を営んでいる近くのお寺に連絡をし、お葬式の日を決めました。
これから、お別れの準備です。

私がお別れの準備の買い物から帰ってきたとき
「家にだれもいない感じがするんだよ」自宅でテレワークをしていた夫が言いました。
それは、私も感じたことでした。
明らかに、数時間前とは違う、一つのエネルギーが消えた感じがするのです。
小さな猫でしたが、エネルギーは大きく存在していたんですね。
あぁ、本当にいなくなってしまったんだなと感じました。

白い段ボールで棺をつくり、ちーちゃんを寝かし、お花でいっぱいにしました。もうこのくらいのことしかできないことが、辛かったです。

夜、ささやかにお通夜を行いました。

毎日点滴をしていたので、夜の点滴もなく、三時間おきのリキッド給餌もなく、急に時間ができてしまったことが、ちーちゃんを失った寂しさをより一層感じさせました。
使わなくなった介護用品を見るのが切なかったです。

お別れ。そして、感じたこと

ちーちゃんがこの家で過ごせるのも、あと数時間。
何をするわけではありませんが、お別れまでの時間を大切にしたいと感じていました。

家を出る時間が近づいてきた頃、家族で写っている写真と、家族で書いた手紙。そして、ちーちゃん愛用のベッドの切れ端を棺に入れました。

お寺につくと、係の人が悲しい心に寄り添うように丁寧に迎えてくれました。

火葬炉の前の祭壇で、最期のお別れをします。
末期の水を一人ずつ行い、天国でお腹が空いて困らないように、最後食べていたウェットフードを棺に入れ、静かに手を合わせました。

火葬炉の扉が閉じたときは、なんとも表現し難い気持ちがこみ上げてきました。ちーちゃんの身体が無くなる寂しさ、戻ることができない諦めに似た感情を胸の奥に感じます。
数年前にも経験していますが、慣れるものではありませんね。


一時間後
係の方から呼ばれ、お骨を拾いに火葬炉に向かいました。
お骨と対面するのは、現実を受け入れるしかないように思え、少し怖さを覚えます。

しかし、お骨を見たとき、想像していた怖さよりも、不思議と優しい気持ちに包まれました。

お骨はちーちゃんが生きた証そのものだったんです。
頑張って頑張って生きた証でした。
慈悲の気持ちが溢れます。
今まで、そばにいてくれて、ありがとう。
素敵な時間をありがとう。
安らかに眠ってね。
ちーちゃんの一生と正面から向き合おう、そう思えました。

帰り道

お葬式が終わり空を見上げると、既に日は暮れていて、夜空に星が瞬いていました。

帰りの車の中、息子が話してくれました。
「今日、学校で「いのちの歌」を合唱したんだけど、ちーちゃんのことと重なりすぎて、泣きそうになったんだ。涙を堪えるのが大変だったよ。」
「そうだったんだね。それは、辛かったね。学校だと、泣けないよね」
「うん、そうなんだよ。」


家について、お線香をあげたとき
「お葬式をすると、少しだけ気持ちの整理がつくね。なんでだろうね」
息子がつぶやきました。
私も同じことを感じていました。

こういった儀式は、気持ちの整理の上でも、大切なプロセスに思えます。
理由はわかりませんが、悲しみの感情が少しだけ整理されたのを感じました。


ちーちゃんの場合、十八歳という年齢もあり寿命だったと思います。
一年半前に病気が発覚してから「いつかこの日が来る」と心の準備ができていたことも大きいのかも知れません。
天寿を全うした。そう、思っています。

ちーちゃんへ

18年間、とっても楽しかったね。
うちに来てくれてありがとう。
大好きだよ。

Goodbye ちーちゃん。また会おうね!

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