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小宮久さんコンゴでダイヤモンド事業!?謎の経歴に迫る!

こんにちは!しおみんです。

みなさんは最近ネットで話題の日本人でありながら様々な国で事業を展開している小宮久さんをご存知でしょうか?
小宮久さんは投資家・起業家としても有名ですが、その経歴もすごいと噂されるほどの人物です。
世界で活躍する日本人」の小宮さんはどのような方なのでしょうか?
同じ日本人として気になりますよね。
今回は、そんな小宮久さんの人柄から現在の活動について、コンゴとの関係やダイヤモンド関連事業を踏まえて経歴をご紹介していきます!
小宮久さんに少しでも興味がある方や、国際的に活動することを目標にしている方はぜひ最後まで読んでみてくださいね!

小宮久さんとは?人柄や現在の活動について

まずは、小宮久さんの人柄や現在の活動についてご紹介していきます。
小宮久さんは10代でイスラエルに渡るほどの行動力を持つ人物ではありますが、意外にも趣味は読書や映画鑑賞などとインドアなものが多いようです。

現在、小宮久さんは、株式会社Spicy CompanyのCEOや株式会社COOIの代表取締役を務めると共に、ベンチャーキャピタルAltaClub日本代表、北マリアナ諸島自治連邦区の特別顧問兼知事補佐官を務めています。
会社役員や日本代表、特別顧問兼知事補佐官などを務めている小宮久さんですが、実は目立つことは得意とせず、おっとりとした性格で困っている人の役に立つことや、主役を引き立てることを得意としている人物のようです。
ちょっと意外でした笑

日本人としても非常に珍しい活動を行ってきている小宮久さんは、「ズボンは、2枚履けない。足は、2本しかない。胴体は、1つしかない。」を常に自分を見極めるために心に留めており、「人生は、自分が主人公。この人生は、誰の人生でもなく自分本人の人生なのだから。一生懸命に謳歌しなくてはいけない」ことを心得ています。立派なお方ですね。。
自分の人生を一生懸命謳歌しなくてはいけないと心得ていることで、これまで様々な経歴を辿ってくることができたと考えられます。
詳しい経歴は後々ご紹介していきますが、現在にも大きく影響していることが考えられます。

また、おっとりした性格でありながら安定を求めず、積極的にイスラエルに渡っていることを考えると、困っている人を見ると体が勝手に動き出してしまう人柄だと考えられます。
小宮久さんは「人間は、思ったことが必ず起こる。悪く考えれば悪くなり、良く考えれば良くなる。こうなると思ったことがこうなる。出来なかったことは思いが足りなかったという事。」という引き寄せの法則を、自分自身を奮い立たせるために用いているそうです。
これまで様々なことを経験してきた小宮久さんが言うからこそ、説得力のある言葉として受け入れられる人も多いでしょう。
私も良いことを考えるようにしていきます!!

■小宮久さんの現在の活動は?

そんな小宮久さんの現在の活動について見ていきましょう!
現在、代表取締役社長を務めている株式会社COOIでは、Eagle Investment SolutionとしてAI遺伝子アルゴリズムによる投資の他、Kfir Investment Solutionsでは最高軍事レベルの情報セキュリティの提供、イスラエル製のNBC核シェルターの販売までを手掛けています。

さらに、CEOを務めている株式会社Spicy Companyでは世界各国の最先端金融技術やフィンテックに携わる精密機器の輸出入・カスタマイズ・ローカライズ、セキュリティソフトの開発・販売、金・ダイヤモンド流通が主力事業です。

最近では、2022年3月26日に海洋プラスチックごみ撲滅を目標とする研究所を米国北マリアナ諸島自治連邦区サイパン島に設立したことでも注目を集めました!
一見、前述の事業とはそぐわない印象を受けますが、Spicy Companyは環境ビジネスにも懸命に取り組んでいるようで、現在も海洋プラスチック向け分解酵素の開発・販売・機器開発を手掛けているようです。

海洋プラスチックごみは、海の生物への影響・観光客の健康被害・現地の漁業の衰退など、さまざまな問題を引き起こしますので、Spicy Companyが研究所を設立することはすごく意義のあることですよね!

これらの問題を他人事ではなく自分事として捉え、研究所を設立した小宮久さん擁するSpicy Companyを見習い、しおみんも環境問題を真剣に考えていきたいと思います!

そんな株式会社Spicy Companyは1993年4月に設立しました。ここまでご紹介したとおり、日本と世界を股にかけて活躍している人物であることが分かりますね。

これほど活躍してきている人物であるものの、目立つことは苦手だとしていることに親近感を覚える方も多くいると思います!
人の役に立ちたい思いを以前から強く持っており、これまでアクティブに行動し活躍しているのもその強い思いがあるからだと考えられますよね。

コンゴとの関係とダイヤモンド関連事業

これからコンゴと小宮久さんとの関係を書いこうと思いますが、その前にあまり馴染みのないコンゴ民主共和国がどのような国であるのかをご紹介していきますね!

■コンゴ民主共和国とはどのような国なのか?

調べてみると、コンゴ民主共和国は首都をキンシャサとし、フランス語を公用語とする多民族国家のようです。
また、民族の多くはバントゥー系ですが、部数は200以上ともされており、宗教はキリスト教が全体の8割ほど、イスラム教が1割、その他伝統宗教が1割ほどの割合のようです。(私も初めて知ることばかりでした笑)
そんなコンゴはアフリカ大陸のちょうど真ん中くらいに位置しており、ウガンダやタンザニア、ザンビアなど隣接している国は9ヵ国もあるようです!
公用語がフランス語となっているのは、かつて旧ベルギーの植民地であったことが大きく関係しているのだそうです。

調査を続けるとコンゴは経済的に危機的な状況にある国でもあり、日本では当たり前としている水道水などの衛生面の整備も遅れている現状があることが分かりました。
コンゴ自体は地下資源としてコバルトや金、ダイヤモンドなど豊富に有しているものの、これまで続いている内戦や近隣国との紛争などで国土が荒廃しているのです。
また、農業を行っているものの雨に頼ったものであることから十分な農産物を収穫できず、必要な食事を得られない人も全体の3割ほどいるとされています。

日本では経済的に支援が必要な人も少なくありませんが、食品ロスなども社会問題になるほど日々食べられるものが捨てられて無駄にしているのが現状ですよね。
コンゴの現状をニュースなどで見聞きしていても、どこか他人事のように感じてしまっている人も多いでしょう。

さらに、コンゴでは一部ではあるものの違法な児童労働が行われていることもあり、本来学習すべき子どもたちが「お金がない」「食べるものがない」という理由で、就学する機会そのものを奪われてしまっていることも問題とされています。
日本でいう小学校への就学率は全体の7割ほど、中学校への就学率は3割ほどとなり、コンゴでは十分に学びを得られる子どもが非常に少ないことが分かります。

■小宮久さんとコンゴの関係とダイヤモンド関連事業について

小宮久さんは、以前コンゴ民主共和国MHCSPLを設立し、駐日コンゴ民主共和国名誉総領事に就任したこともあるほど、コンゴと良好な関係性を築いています。
後ほどご紹介する経歴でも記載しますが、小宮久さんは元々コンゴで会社を立ち上げ、発展途上国であるコンゴに暮らす経済的に貧しい子ども達が住みながら学べる学校の運営や病院のサポートなどを率先して行ってきました。
コンゴはアフリカの中でも最貧国として知られており、少しでも貧しい人々の力になりたい、役に立ちたいという想いから行動してきたのが小宮久さんなのです!!

日本からイスラエルやコンゴへ10代で渡ったことで、現状を実際に体感しています。
自分が育ってきた環境とは大きく違う環境で、懸命に学びながら生きるコンゴの人々を何とか助けたい、サポートしたいという思いもあったのでしょうね。

コンゴで立ち上げた会社は、10代でイスラエルに渡ってから修得したダイヤモンドへの知識を活用し、会社経営に活用しています。
ダイヤモンド関連事業を展開しているのは、小宮久さんがイスラエルで培った知識があったからこそですね。
小宮久さんとコンゴの関係としては、「人々の役に立ちたい」という志を持ちながら支援やサポートを欠かさずに実施してきた結果、非常に良好な関係が築かれていると考えられます。

順風満帆にすべてが上手くいったわけではないでしょう。
異国の地で、辛い経験や思い通りにいかない経験などをたくさんしてきたかもしれません。
それでも、コンゴの人々のためにできることを実施してきたことで、信頼関係や絆が生まれていったのです。
コンゴとの関係とダイヤモンド関連事業は、小宮久さんの経歴に迫る上でもキーポイントとも言えます。

小宮久さんの経歴に迫る

小宮久さんの人柄や現在の活動、コンゴとの関係などでも少し触れてきましたが、ここからは詳しい経歴をご紹介していきますね!
小宮久さんは1969年3月生まれの神奈川県育ちで、19歳という若さでイスラエルに渡り現地のLGC Group(LLD)に所属しました。

LLDではダイヤモンドやITに関する知識を習得するだけでなく、現地のことをより深く知るために宗教についても学んでいます。
10年間はイスラエルで生活し、ユダヤ人とも交流を持ち親交を深めてきました。
インドアな趣味を持ちおっとりした性格ではあるものの、人の役に立ちたいという強い思いが小宮久さんを積極的にさせていたのではないかと私は思います。

イスラエルに渡って5年ほどで、現在CEOを務めている株式会社Spicy Companyを設立しました。
さらに、1999年にはMicro Cash.incを、3年後の2002年4月には株式会社イーダイヤモンドを、同年8月にはコンゴ民主共和国MHCSPLを設立するなど、短期間に3つの企業を起こしています。
コンゴ現地での活躍から支援・サポートへの姿勢を認められ、2009年9月に駐日コンゴ民主共和国の名誉総領事に就任することになりました。

その後2012年4月にベンチャーキャピタルAltaClub(Israel)の日本代表に就任し、2019年1月には北マリアナ諸島自治連邦区(米国)特別顧問兼知事補佐官に就任しています。
小宮久さんの経歴を振り返ると、10代でイスラエルに渡ってから人々のために献身してきた人物であることが分かりますね。
そのため、今後はコンゴ民主共和国の大使にならないかと打診されていることが噂されていますが、現時点では特にその予定はないと小宮久さん自身が否定しています。

また、これからの展望としてキリバス共和国やナウル、バヌアツなどの太平洋州の海のある小さい国で商売を始めようと考えているようです。
小宮久さんはコンゴだけでなく、小さな国にも目を向けて人の役に立とうとしているのでしょう。
キリバスやナウル、バヌアツなどの小さな国に何が必要なのか、現地で何が使えるのかを考えて事業を展開していくと予想できますよね。

まとめ

今回は、駐日コンゴ民主共和国の名誉総領事にも就任したすごい経歴を持つ小宮久さんについてご紹介してきました。
調べた結果、小宮久さんは19歳という若さでイスラエルに渡り、様々な知識を習得しながら起業し現地に還元してきた人物であることが分かりました。
これまでの経歴もすごい人物であることが分かりますが、小宮久さん自身は目立つことをあまり得意としておらず、主役を引き立てることを得意としているようで性格もおっとりとしています。
そんな人柄だからこそ、人々を惹きつけ、人のために献身してきたのではないかと考えられるでしょう。

また、今後はコンゴだけでなくキリバスやナウル、バヌアツなどの小さい国でも事業を展開しようと考えていることから、非常に社会的に意義のある活動となることが予測できます。
今後も小宮久さんの活動に注目していきたいと思います!!

それでは!


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