重力は白い女の手

気力が死んでいる。
ものをよく取り落とす。白い女の手がにゅっと下から伸びてきて、不意に手をはたかれる。そういう風にものを取り落とす。
手はいつでも伸びてくる。何の恨みがあるのかと思う。前世で殺したわけでもあるまいし。
いや、そうなのか?

勿論人間は素粒子の集まりでしかないのだから、前世なんてものはない。宇宙は有限で、時間は無限だから、起こるべきことはすでに何度も起きているということだから、前の回というのはあったのだろうし、次の回というのもあるのだろう。但し何も変わらない前の回と次の回。昼と夜が無限に回転する。退屈なタイムラプス。
永遠は暗い狭い風呂場だとカラマーゾフに

気力がまた死んだので復活してから書いている。わずかな行間に生と死があるわけだ。トレビアン。白い手は見えるわけではないのだけれど、とにかく無下にものをはたき落とすものだから泣きそうになる。お母さん、どうしてそんなことをするのですか。コーヒーの粉が散乱したりすると最悪だ。怒らせたつもりはないのに。静かな空間には何もない。気配はありとあらゆる隙間の暗がりにある。沈黙。にゅっと伸びる、情け容赦ない、叱責に似た手。

時には足を引くこともある。そうするとなすすべもなくすっころぶ。白い手に引っ張られ、足は、少しも踏ん張りがきかず、無限に滑っていく。手をつくと、まるで猫が机の上の物を落とすように、自分の手がものを払い落としてしまう。そんなピタゴラスイッチは頼んでいない。とにかく重力が憎い。
ごめんなさい。ごめんなさい。
空間に笑みの気配を感じる。
今度は伸びてきた白い手をきゅっと握ってみようか。
とにかく、気力が死んでいる。

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