あべさくがわからない

あべさく。
ジャニーズJr.内ユニット・Snow Manの阿部亮平さん、佐久間大介さんのコンビの通称。

あべさく、というコンテンツに初めて興味を持ったのは2017年の10月末だった。そもそもSnow Manというグループをちゃんと知りたい!と思ったのがその時期だ。その年の少年たちにお邪魔して、さくまさんという人間が作りあげるパフォーマンスに魅了されたのがきっかけだった。
さくまさんというひとを知りたいと思ったとき自然と目に入ったのが彼の隣、もしくは中心を割って反対側にいたあべさんという人だった。毎日あべさく、で検索して、「共通点ゼロの両思い」とかライトノベルみたいなラベリングをされているふたりのことがたちまち好きになった。当時のわたしの本拠地は違うアイドルだったので、しばらくしたらわたしの中で色褪せてしまったのだけれど、仲良しコンビがだいすきなわたしにとって、あっという間に特別なふたりになった。あべくんとさくまさんがすきなんじゃなくて、あべさくを好きになった。

だからと言ってあべさくの何を知っているわけでもなく、何を追ってきたわけでもなく、何を見てきたわけでもない。ただ、目を合わせて柔らかく笑うふたりが、お互いにちょっとあたりが強いふたりが、でもだいすきがにじみでちゃうふたりが、すごく好きだなと思っていた。それだけ。

Snow Manにこうじくん、目黒くん、ラウールくんが加入した1月。こうじくんのことがすきなわたしがSnow Manにふたたび興味を持つ春になった。
そうだ、Snow Manって、あべさく、と思って、ふたりのことをまた目で追うようになった。あべさく、あべさく、、、様子が違う?
ふと目を離していたら、あべさくがわからなくなっていた。

あべさんは、どんな気持ちで「佐久間と一緒にいすぎて自分が佐久間になりそうだったから、今壁張ってる」って言ったのかなと思う。あべさんらしさって、あべさんのなかで何を指し示す言葉なんだろうな、と。
なんというか、個を売る商売、職業に就いている彼らが個を求めるのはもちろん正しいことで、誰もやっていないことを、自分だけのことを、と思う気持ちは当然だと思うと同時に、あべさんのそこにさくまさんがいてはならなかったんだろうか、と思う。そんなのは我儘だとわかりつつ、一種依存状態とも言えるふたりの不安定な安定感が好きだったわたしは、どうしてもいまのあべさくがさびしいのだ。我儘だ。

あべさんは器用な人ではないと思っていて、ただその不器用さを正しい方向の努力で補ってきたと思っているから、自分を見つめて「らしさ」を追求した時、あべさんは純の自分がわからなくなっちゃったのでは、と勝手に思っている。あまりにも自分の中にはさくまさんの破片が埋め込まれすぎているのではないか、自分を構成しているのはさくまさんなのでは、と思ったのかなとなんとなく感じるのだ。純な自分を見つめ、そこから「らしさ」を生み出そうと思った時、さくまさんの存在を排除しなければそれが叶わないと思ったのではないか。わからないけれど。
依存状態にあったことがそんなところで歪に影響を及ぼすとは思わなかった。

さくまさんはさくまさんで、距離のとり方がわからなくなったのではないか。ゼロ距離、もはやマイナス距離にあった人から突然に今はこっちに来ないで、と言われたら戸惑うだろうな、と思う。見える景色が変わったというさくまさんの言葉が、わたしにはどうにもネガティブな意味を持って刺さってくる。今はもう同じ景色を見ているか違う景色を見ているかすら意識してないのでは、と思ったりする。

さくまさんと距離をとったあべさんの見つけたらしさ、ってなんだったのかな。もちろんその頃からもあべさんは変わっていて、もちろんさくまさんも変わっていて、もうわたしにはわかり得ないことで、今更感じ得ないことなんだけど、我儘なわたしはあべさんがもし距離をとらなかったら、と有り得ない話を考える。イフの話だから真偽は誰にもわからない。

これは本当にわたしの主観でありただの邪推なんだけど、さくまさんは自分らしさを内に内に求めていく人で、個の確立のトリガーは内側にあるのに対して、あべさんはその逆な気がするのだ。自分らしさを外付けしていくタイプ。外付けした自分らしさに、さくまさんしかなかったことが、あべさんにとってはきっと強い恐怖と不安を覚えるに足る要因だったんだと思う。だってさくまさんは、内にちゃんと個が確立している。ぜんぶ正反対なのに仲良しでうまくやれていたあべさくがうまくやれなかったのは、そこにもきっと原因があるんじゃないだろうか。

仲が悪くなったわけじゃないことはもちろんわかっていて、それは今回のラジオを聞いても痛いほど感じた。ていうか仲良しなのだ。結局。あの人たちは多分、お互いが話す内容や話し方や感性が、互いに面白いんだと思う。
でもどうしても、「過去」を感じた。過ぎ去ったことだという感覚をあまりにも覚えてしまった。もう戻らないよと言われているようだった。苦しい。

あべさくのこの話は、たぶんあべさんの変化や葛藤や悩みが主体で動いている話だ。でもさくまさんもきっと、器用じゃない。たとえあべさんが現状いくら自分らしさを見つけていて、もしさくまさんと元に戻ろうとしていたとしても、さくまさんとしてはたぶんもう前と同じように、というのはできないんじゃないかと思う。喧嘩のあとって、そうなるよね、と思う。喧嘩じゃあないんだろうけれど。
お互いに全部預けあっていたふたりのあいだに、触れられない何かができてしまって、そこを通るときはお互い腫れ物にさわるみたいな対応をする。ただの仲良しだけど、ただの仲良しじゃない。もうそれが全部なのかなと思ったりする。全部過去なのかもしれない。

わたしがあまりに仲良しコンビが好きすぎて、依存コンビが好きすぎて、あんまりわがままだからこんなことを思うのかもしれないけど、やっぱり、やっぱり、今のあべさくは健康的すぎて寂しい。不健康な関係のあべさくをどうしても考える。戻らないものはより一層輝く。

わたしは、お互いにお互いを求め続けていてほしくて、メンバーじゃなくて「佐久間」「あべちゃん」でいてほしかった。とある方の言葉を借りるなら、お互いがお互いに「特別」なまま、そのままでいてほしかった。

せめてここから新しい関係を築いてくれるなら、ドにわかのわたしの気持ちも少しだけ救われるのかもしれないけど、それにしては過去が強烈で、どうしたらいいかわからないかもしれないし、今の状況だとむずかしいのかもしれない。そんなのあんまりにままならないよ。

わたしが断ち切るのがいちばんはやいけど、スノハレ一緒に歌ったり、ワンダフルラッシュ踊れるようになっちゃったり、円周率少し言えるようになっちゃったり、YUIのサマーソング流したりする、そういうあべさくがくるしいから、今はまだ無理な話だ。

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