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犬を連れて登校するバカはいない。

ぼくが高校生の頃だ。市街地の中のごくごく普通の共学校だ。

比較的規則はゆるやかだった。原則として授業時間でなければ、校外に出てもよくて、お弁当を買いにいったり、文房具店で足りない文房具を買うことができた。当時はコンビニがなかった頃であることも付け加えておこう。

校門は開けっ放しなので、人間以外の生物もふらりとやってくる。
弁当の残り物とかを目当てに、野良犬や野良猫がよく出入りしていた。

そんなある日の休み時間のことだ。
校庭の向こうで、用務員さんが野良犬を追いかけていた。
ぼくは「無理に追い払わなくてもいいのに」と思ったのを憶えている。

授業が始まってしばらくすると、教頭先生だか主任の先生だかが校内アナウンスをはじめた。
「学校に犬を連れてきた生徒は、職員室まで来なさい」

教室内に、女子たちのくすくす笑いが聞こえる。みんな同じ思いだろう。
犬を連れて登校するような生徒がいるわけがない。
授業をしてた英語の先生もやや困ったような顔で苦笑してた。

30分ぐらいたって、また校内アナウンスがあった。
「学校に犬を連れてきた生徒、正直に職員室まで来なさい」

正直も何も、と思った。
「オレ、行ってみようかな」なんて言い出す奴もいる。
「やめとけよ、何言われるか知らないぞ」

次の休み時間には、校内アナウンスはすごくいらだった口調になっていた。
「学校に犬を連れてきた生徒、とにかく職員室まで来なさい!!」
いらだった口調に、どっと笑い声が廊下に響いた。
焦る教師の声ほど、生徒たちには痛快この上ないのだから。
でも、いない生徒を呼び出す校内アナウンスはこれが最後だった。
ようやく教師たちも、ムダだと分かったのかもしれない。

良いことと悪いことは、必ずしも表裏一体ではない。
誰のせいでもない、不可抗力なことが急に「悪いこと」にされる。まったく身に覚えがないのに、その疑いを向けられてしまうことがある。

大人になってから、よくそういう状況に出会う。
誤解でもなく、そういった思い込みがもとで、いつ汚名を着せられかねないとも限らないのだ。反対に、誰かを急に陥れることがあるかもしれない。
そんなふうに人間関係は、不安定なバランスでゆらぎ続けている。

野良犬のような存在に憤慨する大人になっていないか、無関係であることで簡単に他人をせせら笑うような子どもになっていないだろうか。

ぼくらが手を振り上げ、声高に叫ぶ正義は、果たしてそんなに意味があるだろうか。ぼくらが無視してる事柄は、実は慎重にとらえなければいけないのではないだろうか。

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