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定位置と虚離

幸か不幸かは別として
私自身、物心ついた時には自分の家に居心地や居場所と言うものを感じた事がなかった。
その都度、複雑な心境に陥いるのだけれど、
時に頭を掻きむしりたくなる程、胸ぐらを掻きむしってのたうち回る様な事や、尾てい骨から微弱電気が走った様にもなったりもした。
でも言葉にもならなければ声にも出せない。
気がつけばいつしか自分の家のはずなのに、何処か親の家だからに変わっていた。
その度にまた別の場所へ自分の居心地を見つけ始めると、また見つけた居場所を撤去されるの繰り返しだった様な感覚しか自分には身に付かなかった。
そんな事を繰り返し続けて早50年。
何千回、何万回と繰り返しているうちに、定位置を見つけなくてもよくなってしまった。
定位置を作っても何のお咎めもない人もいる中で、定位置を作ったとしても、また
隙をみては撤去されてしまうので作ること事態を止めたのもあるけれど、でも悪い事ばかりじゃなく、そのお陰で何処に行っても居心地の良さは感じないものの、別に定位置がなくても何ら変わらない自分である事に気が付いてしまったから。
それが私が遊牧民と言われる由縁なんだろうな。

自分では分からない何かがある様で、それは
家だけでなく行く先々の職場でも同じ様な事が繰り返された。
何処の会社で働いても、何故か私の立ち位置に立ちたがる人が私の首をとりに来る。
私とて新参者の時があり、いきなり出来る様になった事は何一つなく、時には年下の先輩に怒られながら業務を覚えて行った事もあれば、なかなか出来る様にならなくて他の人をイラつかせてしまった事もあった。
何故か私の場合、男性の多い職場に採用される事が多かったせいなのか、それとも叩き上げと言う世界だったせいなのか、世代なのかは分からないけらど、ある程度できる様になるまでは、まともに口を聞いてもらえない事が当たり前だった。
やっとの思いで諸先輩方から、まともに口を聞いて貰える程になるまでになって仕事が板について来た頃になると、後から入って来た人が何故か私の首を取りに来る。
それが例え短期のアルバイトで期間が決められている人であってもなのが不思議なのだけれど。
私の立ち位置はそんなに楽でもなければ、煌びやかでもないのだけれど、どうも私の立ち位置の事がやりたいらしい。

どうやら交代してもらった方が良さそうだ。

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