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モラルハザードと虚離

前回のコンコルド効果(別名サンクコストバイアス)と対極に位置しているのが、モラルハザードにあたります。

世界一わかりやすい「医療政策」の教科書と言う書籍の第1章4項P17から参照させて頂きながら、本来ならば状態や状況または性質や特性などによって一見して同じ状態に見えたとしても判断や判別に違いが生じて来る為、一概に言い切れるほど簡単ではない事なのですが理解し易い様に大枠を出来るだけ端的に説明いたしますので予めご了承下さい。

コンコルド効果は費やした時間やお金の金額によって、これ以上は無理だと分かっていても、はまり込んでしまう状態だったのに対して、モラルハザードは費やした時間の労力やお金の金額といったものが低い状態、もしくは無い状態の時に、本来必要としているサービスより多くの量のサービスを希望してしまう現象の事をいいます。

「モラル」と言う言葉が使われている為に、
道徳上に問題がある人の様に、イメージ想起されやすいのですが
、当事者としての意識が
その時点は無い為に善悪の概念はないまま
安全パイや安全圏等といった類いのシステムがある思っている状態の中で起こるべくして起きる事で、合理性を考えられる人であるならば誰にでも認められる行動パターンです。

モラルハザードが生じてしまう2つの条件として①不均一性と②情報の非対称性があります。①の不均一性には同じ状態であっても最適なサービス量が異なる場合です。
②の情報の非対称性は取引をしている者同士の情報量に差がありすぎる場合です。
大小様々な要因はありますが、この時にその人なりの何かしらのショッキッキングな出来事に直面し、乗るか反るかといった条件反射的言動が起きるのですが、それをクライシスサイコロジーと言います。

話しを戻すと…

身近な例を挙げるとするならば、平等と公平の違いとも言えます。
平等とは同じものを同じ分だけ均等に分ける事に対して、公平とは、その人毎に足りていない分をのみを補填して他の人と同じ状態にしてあげる事です。
①の不均一性が公平性を保つ事だとするならび②の情報の非対称性は平等を保つ事に当たると思います。
もう少し身近なら例で例えるならば、
塀越しに何かを観戦しているとします。
塀の高さより身長が大きい人ならば、難なく塀の向こう側でやっている試合をみる事ができますが、塀より身長が低い人は塀が壁になってしまって塀の向こう側でやっている試合を観戦する事ができません。
そこで身長が低い人に壁の向こう側が見える様に台座を用意してあげ、塀より身長が高い人が見ている景色が同じ様に見える状態にしてあげる事が公平で、身長の高さに関わらず
同じ台座を全員に均等に渡す事が平等にあたります。
そう考えていただけると分かりやすいでしょうか。
ただ1つ注意点として、情報非対称性を利用してローリスクハイリターンばかりを集める、
いわゆる「いいとこ取り」ばかりをしようとするクリームスキミングと言う現象も起きてしまう事も踏まえておきたい所です。

そして次にゼックハウザーのジレンマという問題が起きてきます。
これは(経済的な)リスク回避とモラルハザードという相反する2つの事柄の目的を達成する必要性があるというジレンマの事です。
モラルハザードを防ぐには自己負担を上げる必要があり、経済的なリスク回避をするためには自己負担を低くする必要が出てくると言う事になります。

そしてモラルハザードには事前と事後との2種があり、少し表現は極端かもしれませんが、いざとなれば奥の手があるからと思うと、本来やるべき必要なメンテナンスだったり、確認事項などのシステムの管理を余りしなくなる事をさします。
例えば社内なら、誰々さんがいつもやってくれているから、差し当たって直ぐに覚えなくてもいいと判断してしまったり、最悪の場合はあの人に頼めばいいか等と言った事が起きると思います。医療に関して例えるならば、
体に悪いと分かっていても不摂生をし続けてしまったりする事です。
まだ何もさしあたって何も起きていない場合での事前のモラルハザードにあたります。
事後のモラルハザードは、いざイレギュラーやトラブルに見舞われてしまった時に、自己負担額が思っていたより少なくて済むと必要以上の量のサービスを消費しようとする現象です。
特徴として、自己負担割合の存在によって、事後のモラルハザードは顕著に抑制が現れたものの、事前のモラルハザードには、殆ど影響が出なかった事が明らかになりました。 

少し身近な例を挙げるとするならば
私がとある企業様でお料理教室の講師として
登壇させて頂いた時の事です。
レシピ通りの分量を計って野菜を切って、調味料を切った野菜に混ぜ合わせた時に、起きた出来事なのですが、参加者さんの中から野菜が足りない足りないと言って使用していた数種類の野菜をまた後から次から次へと持っていき始めた参加者が出て来た、様子が変だなと思ってその参加者の所へ行き、「何かありましたか?」と尋ねると、「野菜に調味料を混ぜ合わせたら隣の人の野菜はボリュームがあるのに、私のは少ない。隣の人は私より沢山、野菜を使ってる!」と言うのです。
キチンと分量を計ってやっていた、隣にいた参加者さんは、思わぬ言われ様で濡れ衣を着せられて腑に落ちない状態で面をくらってしまっていました。すかさず、私は自分の方が量が少ないと言っている参加者に、「キチンと分量を計量したんですよね。」と尋ねかえすと「やったはずです。」と何処か不安気。
見比べられてしまった参加者さんにも同じ事を尋ねると「キチンと計量しました。」と
答える。すると自分の方が量が少ないと不服を隠しきれない参加者さんは「ならどうしてこうもあきらかに量がちがうの〜!」と引き下がりません。でも私の目には明らかに野菜の切る大きさや太さの違いがハッキリしていたので、「隣の方と貴方様とては、野菜の切る大きさと太さに違いがある為、調味料が野菜に浸透してくる時間の違いによって仕上がりの量が違う様に見えているだけですよ。」と説明しながら、両者の切った野菜の大きさと太さを見比べられて頂いたのですが、どうしても野菜の切り方によって調味料の浸透圧に違いが出てきてしまう事を納得が出来なかった様子なので、「これ以上の量の野菜が必要なのでしたら、増やした分の野菜の代金が割増になってしまいますよ。」と伝えると「なら大丈夫です。」と言って難なきを得た事がありました。
大の大人ですら日常的に起こりうる事なのですから、未成年者以下の方なら尚更と言う事になります。

これらの事を総合的にとらえると、最近の身近な出来事で例えるならば、ちょっと前に
卵が鳥インフルエンザの営業で品薄になり価格高騰してしまった時は、卵の使用量を減らす献立を考えて何とかやりくりしたと思うのですが、何とか卵の値段が落ち着いて来たら
また以前の様に卵の使用量が元に戻ったのではないかと思います。

以上、簡単ではありますが、
世界一分かりやすい「医療政策」の教科書を
参照させて頂きながら私なりの説明をさせて頂きました。



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