"適切な距離感"で正しいユーザ体験を生み出すべきという話

前職でesa記事にしてたけど、別にパブリックにしていいし、というか個人的に常に思っていることなので、書いておこうと思う

「100徳ナイフ」と「僕らの作るサービス」の関係性

僕はいわゆるWebアプリケーションのエンジニアで、ざっくりWebサービスを作っている。
よくある(?)話として、今のサービスにこういう機能をつけてみては?コレもどうかな?アレは?と、どんどん機能や動線や何から何まで、いろんなモノが増えていって「なんでも出来る君」になるのがよくあるような話な印象がある。
いわゆる「100徳ナイフ」みたいなやつ。

「100徳ナイフ」は確かにどんな状態に陥ってもなんとか全てに対応できそうで、それはそれで便利なのだが、
まぁ使いたくないはず。
なぜなら 使いづらいから である。

持ち運ぶのに不便だし、どこに何があるかわからない。
物によっては他の機能と干渉しあって使いづらい。
そもそも自分にはオーバースペックな機能が沢山あって使いこなせない。
とかとかまぁ色々問題が出てくるわけである。

ほしいものは実は「ナイフ」だけであったり、「ナイフ」と「フォーク」だけであったり、「栓抜き」であったり…
というのが実際そうなのだと思う。
それなら「3徳ナイフ」を買えばいい。それで済む。

しかし僕らが作るものは、「ナイフ」や「フォーク」、「3徳ナイフ」みたいな物質ではなく、「サービス」なのである。
ユーザに提供し続けるサービスであるため、軽い気持ちで機能や様々な導線を追加すると、
ユーザは「3徳ナイフを買ったつもりが気づいたら100徳ナイフだった。イラネ。」となる可能性がある。

なので、機能ごと”適切な距離感" が必要だと個人的には考えている。

 "適切な距離感"

動物(人を含む)が生きる上で、他生物との距離感というのは、「警戒」「信頼」「愛情」等を表していたりする。
いわゆるパーソナルスペースとよばれているもの。

気に食わない人には近づきたくないし、捕食者と近くにはいたくない。
信頼する人とは握手する。同じテーブルで食事する。同じグループに所属する生物達とコロニーを形成し暮らす。
適切な距離を保ち、快適に便利に暮らすわけである。
その適切な距離感が崩壊するととたんにストレスを感じる

満員電車なんかがそうかと思う。
適切な距離を取れないのでストレスなのである(まぁ単純に窮屈で苦しいとかが有ると思うがそれも含めての話である)。

エスカレーターとかもそうだね。親密な関係であれば1段下でも特に何も思わないけど、知らない人とは2段くらいスペースを開けると思う。

これらと同じように僕らが作る「サービス」であったり「機能」にも適切な距離感を保たないと、ストレスを感じるモノとなると、僕個人は考えている。
例えば、
「ネットショップで『歯ブラシを買いたい』が『ユーザ登録が必須』だったり『強制的におすすめの商品を見させられる』だったりで本来の目的である歯ブラシを買うってだけでてんやわんや。僕は歯ブラシがほしいだけなんだ…」
みたいな感じ。

確かに「ユーザ登録」を行わせれば今後僕たちの作ったネットショップで買い物をしてくれるかもしれない。「商品のサジェスト」を行うとついでに買ってくれるかもしれない。だけどユーザにとってまさに今ストレスなのである
ここで「めんどくさい」や「主張がうざい」等でるともう使いたくなくなる。

なので、『ユーザ登録』や『商品のサジェスト』等の機能と他の機能に適切な距離を保つ必要があると思っている。

どう適切な距離を保つか

ここで一度現実にある個人的に距離感が最高なプロダクトを紹介したいと思う。

ラーメンフォークである。

申し訳ないが、disっぽくなってしまうのでそこだけはご勘弁を。個人的には色んな意味で本当に好きです。

これは使い捨てられる割り箸をなくすために開発されたもので、今まで蓮華と割り箸で食事をしていたのを一つにまとめたわけだ。そうすると、割り箸を使う必要がなくなる。さらに使い捨てでない箸を用意するのとは違い、洗うものを減らすこともできる。とても素晴らしいプロダクトだ。

だがユーザ側からしたらどうだろうか。麺を掴むという機能(箸)スープを掬うという機能(蓮華・スプーン)"距離感"を0にしたらユーザの体験は最高になるのであろうか?

あくまでnot fo meな話なのだが、正直なところそんないいもんでは無いと思う。ラーメンフォークがおいてあるときは基本的には使っているのだが、常に使いずれえなと思いながら、使っている。

スープを掬うときはいいのだが、麺を取るときにどうしてもスープも掬ってしまうそのため麺を食べるのに若干苦労する。またスプーンであるのにその先にフォークが付いているため、距離感が掴みづらくなんかこう気持ち悪い。とても使いやすいとは思えず、正直ストレスに感じることもある。

このように機能どうしの"適切な距離感"がなくなると、途端にストレスを感じる。

実際ラーメンフォークというプロダクトの体験が最高であれば、スガキヤにはこのラーメンフォークだけになってもいいはずだ。しかしそんな事はない。普通に箸がある。

なぜこうなってしまうのか。それは「解決したい問題」を適切に切り出していないから、「解決したい問題」をちゃんと見極めていないからだと個人的には考えている。

ラーメンフォーク自体の解決したい問題は「環境保護と経費削減」であった。だが、ユーザの解決したい問題、もといやりたいことは「ラーメンをたべる」ことである。

こちら側の問題を解決したからと言ってユーザが絶対に喜ぶとは限らない。ユーザが本当に「解決したい問題・やりたいこと」を見極めずできたプロダクトは当たり前だが使いづらいのだ。

このツイートの画像がまさにそれだ。まあ距離感の話とはちょっと違うが。

また「解決したい問題」を適切に切り出さず、ただ「ラーメンを食べる」と考えているとこれもだめだ。ラーメンフォークは機能だけ見ると完全に要件を満たしている。麺を取れるし、スープも掬える。ただ先程も書いたとおり機能同士の距離が近すぎるので使いづらいのだ。

適切に問題を切り出さず抽象度の高い問題を解決しようとすると距離感を見誤る。

今回の例だと、「ラーメンを食べる」というのは、本来「麺を取り口に運ぶ」「チャーシュをとり口に運ぶ」「スープを掬い口に運ぶ」というようなやりたいことをひとまとめにしてしまっている。これらの解決方法は全く別だと何となく分かるだろう。だがまとめて解決しようとすると使いやすいとは言いづらいものになってしまう

まとめ

僕らエンジニアは曲がりなりにもプロのはずなので、「よっしゃ!!100徳ナイフを作るぞ!!!!」とはいきなりはならないはずだ。

だが僕が作っているのはこのような物理的なプロダクトではない。冒頭でも記述した通り後からどんだけでも機能を足すことができる。気づいたら100徳ナイフになっていた。ということは全然ありえるわけだ。

密接であったほうが「嬉しい」となる機能もあるはずだ。
しかしそれは、それらの機能が「親密」であるかどうかをまず適切に見定める必要があるはず。
むやみに「親密」だ!としてしまうと、100徳ナイフに一歩前進である。

また主張の大きさ、機能の「パーソナルスペース」の大きさというのもよくよく考えるべきだ。

途中で例に上げたが、「ネットショップで『歯ブラシを買いたい』」というのに『商品のサジェスト』があってもいいはずである。歯磨き粉を買い忘れているかもしれないからね。
ただそれが、デカデカと主張されたり購入の途中で画面遷移して「これどうですか!」なんて言われるのは嫌なだけである。
機能の主張を小さくしてやることで、同じ空間においてもなんら問題なくなることだってある。

機能のパーソナルスペースがわからなければ、それでいいと思う。
大きく距離をとってあげよう。

人間も最初はみんな他人のはずだ。
同じように機能も最初は他人でいいのだ。
順に仲良くしていくものだ。
まわりの人間が "気を利かして" 二人の仲を良い感じにしようとしても、そんなのはほとんどの場合うまくいかないのだ。
サービスも機能もそれと同じなのだ。

と僕はおもっているのでした。

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