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Webデザイナーが園芸店をオープンし5年が経つので節目として書いてみました。

URL:http://toky.jp
IInstagram:https://www.instagram.com/toky.jp/

この記事は自分自身の為に書いていることもありますが、仕事や将来に疑問や不安を感じている人に見てもらいたいです。そして「何か新しいことを始めたい」と思ってる人の助力になればと思い書いています。

そしてこの5年の節目に幸いなことに出版社からお声がけいただきThe Book of TOKYという書籍を11/11(5年目の創立記念日)に出版することになりました。

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本記事はめちゃくちゃ長いと思います。
つまらなかったらスルーしてください。



1.自己紹介と変遷

当店のことをご存知無い方の方が圧倒的に多いと思いますので自己紹介を。

TOKYという園芸店を東京の東日本橋で営んでいる藤原と言います。現在45歳です。

10年前に故郷の名古屋から上京し神宮前にあるWebデザインの会社にて1年半勤めてからフリーランスのWebデザイナーとなりました。
27歳頃からデザインを生業にしていますのでデザイナー歴はフリーになる時点で15年弱くらいだったでしょうか。

当時はIPHONEの出現と共にFlashというアプリケーションで製作されたインタラクティブなコンテンツが消え (IPHONEはFlashを表示できなかった) UIやUXと言った考え方をより重視する元にWebを構築することが多くなった時代だったと記憶しています。

そんな折に3年間のフリーランス生活にピリオドを打とうと思いました。
アラフォーのWebデザイナーの取れる選択肢は多くありません。

・会社にする (実質中身は変わらないが社会的信用とハクがつく)
・大きな企業のインハウスのデザイナーとして働く
・全くの異業種に挑戦する。

元来人の下につくことが苦手な私が取る道は「会社化する」という選択肢 以外ありませんでした。

そうしてUIとUXに重きを置いた株式会社ハラハラという会社を立ち上げました。



2.新しいことを始めよう

会社化して一年目は特に売上&利益ともにとても好調でした。
会社と言っても社員は実質私だけ、HTMLやプログラミングなどの実装業務は全て外注というスタイルで、そういう零細な企業は東京にはものすごい数があるんだと思います。

この好調な時こそ新しい何かを始める良いタイミングだ!と考え私の妻であるデザイナーの神谷と共に「何かサービスを立ち上げよう!!」となりました。

コンパスの様に針を刺した部分は「Web制作」を軸にしその回転の範囲に関する「今までに無いサービス」を探すこととなります。
一番手っ取り早いのはECサイトを立ち上げて何かを売ろう!となったのですがその「何か」を見つける為に一年を費やすことになるとは思っていませんでした。

月に数度会議を行い色々アイデアを出し合いました。
東京には浅草もあるし煎餅やあられみたいなものを売ってみたらどうか?など今考えるとかなりクオリティの低い話し合いをしていたと思います 笑。

この時から今までの自分に無いアンテナを立てるようになり寝ても覚めても「新しいサービス...」みたいに呟くようになっていました。

この感度というアンテナをずっと立てていたことがある日運命的なモノとの出会いを果たすことになるのです。



3.出会い

まぁ特にいいアイデアも浮かばず時は2013年の秋、現在は廃刊しましたが当時THE DAYという男性のファッションとライフスタイルを融合させた素晴らしい書籍があってそれを何気なしに読んでいた時のこと。

とあるスタイリストさんの私物紹介というコーナーにて私の目に飛び込んできたのは鉄製の四角い鉢に植えられた見たことの無いゴツゴツとした植物でした。

「な、ナンジャコリャ!!??」

もともと昆虫や生き物が大好きなのとSFやメカニック、ロボットなども大好きだったのでそういう不思議な造形に強烈に惹かれました。

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当時の写真ではありませんが過去TOKYで販売した同種類の植物
Pelargonium alternans (ペラルゴニウム・アルテルナンス)


その風貌にも惹かれましたがそこに書かれていた植物の説明も私が今まで知っている植物というものと全く違うことが書かれておりたまらなく欲しくなりました。

これらの植物は多肉植物と呼ばれる葉や株に水を蓄えて生きる乾燥地域の植物ということが分かりました。そしてそのペラルゴニウムは多肉植物というグループの中のCaudex (コーデックス)と呼ばれるジャンルの植物ということを知りました。

もっと言うとエキゾチックプランツ、珍奇植物などと呼ばれることもあります。ちなみに2019年5月に私も著者を務めた「珍奇植物ビザールプランツと生きる」が絶賛発売中ですので興味が湧いた方は是非。

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早速その名前をネットで検索すると、なんと同じ区内にそれらしき植物を販売しているお店があるということがわかりました。
そこは都内で最大級の売り場面積を誇る園芸店 オザキフラワーパークさんでした。

いても立ってもいられず次の日にオザキさんを訪れました。
とても幸運なことにそのペラルゴニウム・アルテルナンスの在庫があり、実際に目の辺りにしたそれは輸入されて日本に来たばかりで根も葉もない状態で本で見たものとは別種に見えたほどです。

で、広いオザキさんを回って他のコーデックスも購入したのですがその時に気づいたのです。

「なんかこの黒いプラ鉢かっこ悪いな」と。

よし、陶器のカッコいい鉢探そう!と店内を物色するのですがあまり当時は陶器の鉢に力を入れていなかったようで棚の下や隅っこに追いやられている感じで探すのにとても苦労したのと、探し回っても自分たちが良い、と思えるようなデザインの植木鉢がそれほど無いことに気が付きました。

「ねぇ、カッコいい鉢とこの植物、売れるんじゃない?」

僕らはその瞬間そう思いました。
同じ店内においても探すのに一苦労するものがWebサイトで一緒に売られていたらそりゃ便利だと思ったのです。一年ほどいいアイデアが出ずにアンテナを張っていたこともあり即断即決で決めました。

ただ、当たり前のことですが園芸は日本に根ざして何百年も立つ文化圏ですのでそこに新規参入することの大変さは後に嫌というほど知ることになります。



4.ブランド名とサービス内容を決める

まずはサービス内容とブランド名を考えることにしました。
ブランドという旗をまず立ててサービスのデザインをしなければいけないことはデザイナー時代に様々な企業と仕事をする中で身についていました。

数週間かけて「私たちがやりたいことは何か」を朝から晩まで話し合いました。そこをしっかりと決めないとブランド名も何も決めていくことが出来ないからです。

私たちが立ち上げるサービスは下記のようになりました。
「特別な鉢と特別な植物を販売するECサイト」

リサーチを進めるとそういったECサイトは日本国内では見つかりませんでした。元々Web系の仕事柄そういうリサーチには長けていましたが本当に一つも見つかりませんでした。

俗に言うブルーオーシャン。
それなりに上手く行ったことの最大の要因はやはり。

一番先に始めた

これに尽きると思います。
そうしてそのサービスのブランド名はTOKY (トーキー)と名付けました。
植物も販売しますがあくまでも植木鉢を販売するサイトにすることにしたのです。

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現在はロゴが新しくなっていますが旧ロゴ、デザイナーということもあり自身で作りました。植物を手に持った私たちこそが鉢のような存在だ、ということを示しています。

”東京の陶器”=TOKY

そうして自分たちの成すべきことを設定しあとはそこに向けてECサイトを制作することになりました。



5.鉢を作る、植物を仕入れる

デザイン会社を運営する傍ら合間をぬってサイトの制作を二人で開始しました。サイトの設計もデザインも仕事柄普通にこなすことができました。

実装だけはできなかったので友人のフロントエンドエンジニアの寺田さんにお願いをしてWPで構築しE-shopsというECエンジンを組み込んだサイトが出来上がりつつありました。

そしていちばん大事な私たちが販売する商品をどうするか。
ただ幸運にも神谷が小売と仕入れの経験が豊富だったためそのあたりの概念は早くに理解浸透したと思います。

「良い鉢っていったらやっぱ陶芸家に作ってもらおうよ」

2019年の今となってはネットで「陶芸家」「鉢」と検索すればうじゃうじゃと出てきますが当時は全くと行っていいほどヒットしませんでした。ここ一つを見てもブルーオーシャン具合が分かるかと思います。

実は陶芸家さんと出会う場として全国の焼き物の産地では陶器市的なものがあるのでそこで探せばよかったのですがその当時はそういうことも知らなかったのでネットで探すことになりました。

そんな中、Facebookで「誰か陶芸家さん紹介して」と書いたところ知り合いの水口さんという方に「東京に友達の陶芸家いるよ」とご紹介頂けることに。

後にこの作家さんがTOKYのピンチを何度も助けてくれる恩人になることは全くもって想像できませんでした。
その陶芸家の名は中村拓哉さん

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今は日本中で見られるひび割れの様な嘯裂 (しょうれつ)という技法を植木鉢で行ったおそらく初めての人物となるのです。

鉢のデザインはもちろんしたことがありませんでしたが本業のデザイナーのしごとでラフスケッチなどを書くことは日常茶飯事でしたので抵抗なく作業ができたことと、もっと言えば「こうやって具体的に伝えてくれる人はいなかった」と今でもよく陶芸家さんに言われます。

そこ1つ取ってもデザイナーという職能のカバーできる範囲は本当に広いんだと思います。



6.全く知らない植物の仕入れ

陶器の鉢はメーカーからも仕入れができることが分かり、自分たちの好みのものを仕入れるようになりました。

当たり前中の当たり前なのですが、そういったものを仕入れると在庫になるわけですから家や会社はどんどん鉢に埋め尽くされていきました。梱包する資材もありますから本当によく住んでいたな、と思えるくらい在庫で溢れました。

そして植物...
幸運なことに植物の生育に関して私たちはセンスがある方かなと思っています。育て始めれば「この植物はこうするとこうなるんだ」ということは早い段階で分かりました。

詳細な育て方などを聞かなくとも成長期が把握できてどの辺に住んでいるかなどを聞くだけで大体育てられてしまう...センスあるって書くとイラっとされると思いますがこの部分もとても重要なファクターだったと思います。

そしてそういう珍奇植物も日本国内に多くの農家さんが存在しておりそういうところから仕入れを行うようになりました。

後はドイツにある世界でも類を見ない巨大な農園があるのですがそこは年に数回オンラインショップで植物を買うことが出来ましたのでそこで仕入れを行いました(現在はオンラインでの販売はおこなっていません)。

通称 抜き苗と呼ばれる土から植物を抜いて土を払った状態で送られてくるのですが「あぁ植物って個人輸入できるんだ」ということもここで知ることになります。



7.Instagram Power

幸運なことは続きました。
私はInstagramがリリースされた当日から使うほどのインスタグラマーで2013年の時点で600人ほどフォロワーがいました。

そこに見たこともない様な鉢に見たことも無いような植物を組み合わせて毎日の様にハッシュタグをつけまくり、アップし続けるとものすごいスピードでフォロワーが増えていきました。

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「これは潜在的に興味がある人がかなりいるな」

このInstagramがなかったら今の業績はなかったと思います。
FacebookでもTwitterでも無く、映える部分特化しているこのサービスのパワーは想像以上でした。

そうして「ある程度ビジネスとして成立するな」という予感は日に日に自信へと変わっていきました。



8.サイト公開

サービスの開発から約1年ほど経過しECサイトの構築が終わるころには私の名前は園芸の業界でもそれなりに良い意味でも悪い意味でも有名になっていたと思います(当時でフォロワーは5000人を超えていました)。

そして忘れもしない2014年11月11日にTOKYのECサイトが公開されました。

「本当に売れるのかな?」という疑問もあったのですが蓋を開けたら杞憂に終わりました、その日のうちに飛ぶように商品は売れて「あ、これ全部発送するんだよね 汗」という嬉しくも過酷な日々のスタートを切ることができました。

それからはトントン拍子でことは運び、所属する陶芸家さんも増えていき植物の仕入れも積極的に行っていくことになります。

しばらくは家で商品撮影、画像作成、ページ作成、出荷などの作業を全て行っていました。ただTOKYの業務が過多になり私は本業のデザイン業があったのでなかなか回らず地元名古屋からのお友達に「家でバイトしない?」と声をかけ初のバイトさんを雇うこととなります。



9.業種により文化圏はかなり違う

園芸業界の方々と交流を進める中でかなり戸惑うことは今でも多いです。
当時はそういうことに対面するとかなりショックを受けたりしていました。

元々いたWebデザインの界隈では変わった人はいてもそういったことをする人とほぼ会ったことがなかったので。

違う業種になったことで断言できますが。

デザイナーはめっちゃ良い人ばかり

これは間違ありません。
そういうコミニュケーション的な部分でも大いに困難を味わいつつも、逆に言えば新参者の自分たちが道を切り開けたことはデザイナーの精神性をとても大事にしていたとも言えます。

わかってくれる人は徐々に現れる、けど利用しようとする人や去っていく人も多い。経験したことのない様々な悲しみを乗り越えいくことは他業種に移ったら大いにありうると想定しておいた方が良さそうです。



10.実店舗の物件探し

オンラインショップは実店舗を構えずにローコストでビジネスを展開するメリットがありますがTOKYの様な商材で勝負しようとするとき、ある程度まで行くとブランドイメージとしても在庫保有場所としても限界を感じることになります。

「実店舗ほしいね」

そんなことを口にするようになりました。
幸い本業のWebデザインの方も順調でしたので「じゃあデザイン会社と一緒にしてどこかにお店を出そうか」となります。

物件を探し始め半年ほど経過しました。
エリアを考えると私たちには元々縁がありませんでしたが探せば探すほどに「東京の東がいいな」というイメージが強くなっていきました。

それはTOKYというブランド名はやはりTHE東京みたいな所に居を構えるべきでしょと思い始めていたからです。

IT系やデザイン系ですと渋谷区が最も人気だと思いますがそういうところはやはり家賃も割高ですのでそう考えるともう少しコストが抑えられるイースト東京がいいなと強く思うようになりました。

時には気になる駅で降り何時間も歩いて物件を探したりもしましたが中々いい物件には巡り会えない時にInstagramで繋がっている不動産業の方に「探して欲しい」と依頼しそこから急展開しました。

正確に言うと私がネット色々見ていて「この物件いいな」というのを見つけその物件に対して空きが出たら上手く交渉してもらう、というやり方をしたのです。

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その物件こそ現在居を構える東日本橋のRe-Knowという物件です。
「そこの一室が空く」という情報を不動産屋から入手しました。
ただこの物件は家賃が安く駅チカでリノベーション物件ということもあり大変人気のある物件だったので倍率が高いことは必至でした。



11.プレゼン

空く物件は分かっていたのですが内覧は現在入っている入居者が出ないと見せてくれないので困りました。

かなりの博打なのは承知で思いつきました。

不動産屋に「内覧しなくていいから契約させてほしい」と管理会社とオーナーに伝えてくれと言ったのです。

そして「こんな感度の高いお店を作ります、物件のネームバリューも上がりますよ」ということを説明したプレゼン資料を作り渡したのです。

管理会社からしたら募集するためにWebを編集したり色々と手間がかかるところを本気の企画書まで作ってこられたら二つ返事で「どうぞ」となり物件を契約する運びとなりました。

このRe-Knowという物件はビルの5階にあり大きなテラスがあることもネットで調べていたので植物を育てられることが物件の必須条件だったこともあり本当にラッキーでした。

そしてなんと言っても安い家賃、完璧だと思いました。
デザイナー時代に散々プレゼンしてきましたのでその時のスキルも十分に活かすことができました。



12.お店づくり

お店なんて勿論作るのは初めて。
内装もDIYっぽさがあったとしても基本はプロにお願いしたいねとなり自分たちが好きな家具などを買っていた恵比寿のPACIFIC FUNITUREさんにお願いすることになりました。

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実際はかなり異なりますが初期に描いた配置図

物件は67平米。決して広くない面積でデザイン会社と共存させるという難題にぶつかりましたが、当時デザイン会社とTOKY合わせても3名という少人数だったためなんとかまわせると判断しました。

そして内装と什器代あわせて数百万円を借入し、ようやく物件が出来上がりました。決して広くはありませんが今までにないお店が出来上がったと言う自負はありました。

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13.実店舗のオープンそしてWebデザイナーとの決別

そして2016年の2月20日に念願の実店舗をオープンしました。
今でもそうですが日本全国、世界中からお客様が訪れてくれます。
東日本橋はホステルも多く外国人宿泊施設のメッカということもあり幸運は重なりました。

ただ、私たちの主戦場はやはりオンライン上なのでお店は今でも月に6日ほどしか開けることが出来ない現状です。それでも東京だけでなく各地からわざわざお客様が訪れてくれています。

そうしてTOKYの業務が忙しくなればなるほど、そして園芸という世界への本気度が高まる程に葛藤が生まれるようになりました。

「TOKYだけで勝負したい」

日に日にその思いは強くなります。
やはり受託であるWebデザインの業務は会社の収益の大きな柱ですしそれを捨てることはとても大きなリスクを負うことになります。

ただ、TOKYを初めてからすでに2年近く経過したその頃、当時は全くなかったハンドメイドの植木鉢を販売するお店がどんどんと出来てきておりレッドオーシャンになることは明らかでした。

自分の働く人生の全ての時間を園芸に捧げる。
聞こえは良いですがこの決断は私の人生で最も大きな博打となりました。

2016年の秋。
クライアントからの業務は全て知人のデザイナーなどに引き継いでもらいWebデザイン会社としての機能を停止させました。
受託の仕事を一切しないという不退転の状況になったわけです。



14.自分の好きなことをして生きる

結果としてそれは最良の選択となりました。
フルコミットしたことでお店の売上は増大し2015年と2018年の売上を比較するだけでも250%ほど増加しました。

書籍を中心としたメディアへの露出も増えその甲斐あってか、冒頭でも書いた大手出版社さまからオファーいただき書籍の監修も行いました。

その際に編集をしてくれたシロクマ社の社長さんから「TOKYだけの本も作りましょうよ!!」となりThe Book of TOKYが11月11日に発売となります(オンライン上に並ぶのはもう少し先です、ちなみに実験と反骨を兼ねてAmazonでは販売しない方向で話を進めています)。

ただ、原価や在庫を持つという部分がWebデザイン業とは全く違います。
利益は出ても仕入れや鉢を作る型代などで常に大きなお金が動きます。

物量も増え置き場所もなくなったので同物件をもうワンフロア借りたことで家賃も約2倍になり、そうイメージ通りに「成功した!!」とはなりません 。
この家賃の問題は地価の高い東京で、それも中心で営業するスタイルですとつきまとう問題です。

いずれTOKYの認知度がもっと高くなり、この新しい園芸のスタイルが人々の生活に浸透するくらいになったらもう少し地価の低い土地に拠点を移してもいいのかなとも考えています。

「自分の好きなことをして生きる」


それは道半ばではありますがある程度は達成できたと思います。ただその為に払った犠牲はここでは書けないくらいにたくさんあります。

・本当に今のままでいいのか。
・本当にこの仕事が好きなんだろうか。


そんな想いを持っている人たちに根性論で「死ぬ気になればなんとかなる‼︎」などとはとても言えません。

ただ、アンテナを張り続ければ誰も気づいていないブルーオーシャンを見つけることができるかもしれません。
そしてそれを本当に好きになれれば成功する可能性は高い。

あと大きかったのがInstgramが写真共有SNSの潮流になっていくタイミングとも重なっていたのが幸運と言えるでしょう。

このnoteを見てくれている人の中にはIT系やデザイン系の人が多いと思います。そういった職能で生きれている人に生意気ですが言うならば...
「みなさんがやってきたことは社会にある職能として見たらとてもレベルが高い」と思っています。

だから「自分なんてどうせ」と思う方がいたら、人生終わる最後の瞬間に後悔しないように燃え尽きてほしいと思います。

私は明日何かあって死ぬことになっても全然悔いや後悔はありません。
もっとやりたいことはありますが毎日自分の大事なものを燃やし続けている実感があるからです。


15.最後に

この冗長なクソ長い文章を最後まで読んでくれた方、本当にありがとうございます。

はっきり言って僕自身の給料はWebデザインやってた頃とほとんど変わってませんし成功には程遠いです。

ただ、自分たちが生きてきて成しえたことはその当時世の中にまだ無くてその文化を作っている自負。
それを誰かに知ってほしかっただけ、そう、私はちっぽけな野郎です。

多分最後の最後までもがき苦しみ続けるような人生になると思いますが...死ぬ時に後悔しないようにコツコツと努力を続けつつ、困難という壁を常に壊していきたいと思います。

長くまとまりのない文章を読んでいただいた全ての皆様、ありがとうございました。

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ちなみに現在のブランドロゴは2018年7月にリニューアルしました。
その際は自身でデザインはせずに信頼できるアートディレクターであるMIKATAの加藤さんに依頼しました。

自分で自分を定義するよりも他人から見て「あななたちはこうだ」と示してもらったようでとても満足しています。




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