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第16章 「また死がやってきた」魔女の奇異な人生と医術


死とまたむきあうことに

バブルが弾ける最後の頃、某大手エステサロンの店長をしていた。
売り上げも毎月達成していたので、半年ノルマ達成のご褒美とエリアマネージャーにも可愛がってもらえ、有名美容家でもある会社のトップの院長先生と当時出来たばかりの伊勢タラソシマに講習旅行に行けることになった。日本に、初めて本格的海洋療法としてできたスパ施設で、目新しいのと美容だけでなく治癒療法としてヨーロッパにはそういった施設があるというのに興味もあり楽しみにしていた。

ウキウキしていた前日、「おじさんが亡くなった」と連絡が入った。
事情はわからないけど死を選んだと電話口で聞いた時、全身の力が抜け腰を抜かしてしまった。
明日、タラソシマに行くことになっていたけど、そんな事どうでもよくなってしまい「今すぐ、おじさんに会いたい。。。」すぐにエリアマネージャーに断りの電話を入れた。
事情を話すと「お線香をあげに行くだけでいいじゃない〜。今日、早退してお線香をあげに行っていいから明日は必ず参加しなさい!!必ず来るのよ!」そう強く言われた。出世のチャンスだから何としてでも後から伊勢に来るようにとのことだった。出世かぁ〜。そんなこと頭に全くなかったな。「行けたらそうします。」そう電話を切った。

蛍が一匹

いつもそうだ。。。19歳の頃一年間に友人4人を亡くした時も、おじいちゃんの時もそうだったけど、こういう時そんなに涙がこみ上げてこない。なぜなのかは分からないが、深く深くココロが静かになってしまい哀しいという感情とかが湧き上がってこなくなってしまう。みんなが泣いていても私の目から涙はあまり出てこなかった。
死というものが、どういう事なのか?その時も解らないでいた。
何か映画とか見ているように、一歩その空間から自分が外に出た感じで少しゆっくりと時間がスローモーションに周りが映る。そういう不思議な感覚が今でもある。
死を迎えたばかりの人のそばに行くと、どうやら生と死の狭間の時空が、少し自由になりその両方の世界を行き来しているよう感覚になる。それは、とても神聖で何だかココロが静かに静かになってしまう。その時間、空間を私は心地よいと思っていることに最近気がついた。
人が思う死に対する概念が強すぎて、そんなこと口にしたこともないし、その感覚はずいぶん前から人と違っていたことを今はっきりと感じる。
理屈ではなく、死は汚らわしいものでも哀しいものでも、不幸なものでもない。尊く、生まれて来るところへ還るだけのことであり、どんな死もただそれだけのことなんだ。無情にも思われるかも知れないけど、そういう感覚がどうしても強くある。
もちろん寂しさはある。触れ合ったその人との温かい皮膚の感覚や匂い、真っ直ぐに見る瞳、息づかい、そういうことが蘇ってくるとあまりにもその時間が尊く美しく、愛おしい時間だったことを感じて、それがもう出来ないんだと思うと寂しくって涙が溢れて止まらなくなる。
こんなに多くの人間がいる中で、こうして巡り合えたこと、過ごせたことは奇跡的なこと。その素晴らしい時間を共に過ごせたことに本当にただただ愛おしくありがとう。
「出逢えてよかった。。。ありがとうございました。」そんな気持ちが、ぐわんぐわん溢れてきて、ものすごい時差で嗚咽して涙が止まらなくなってくる。

おじさんが向こうの世界へ行ってしまったその空間、親族が集まり家の中のエネルギーが悲しみでいっぱいになって、苦しくなった私は庭へ出た。
玄関の周りを、一つの小さな小さな光が行ったり来たり。。。
「蛍?!」他には、どこにも光っていない一匹だけ。「おじちゃんだ!!」とっさにそう思った。
「おじちゃん、ありがとう。海で溺れた私を助けてくれてありがとう。いっぱい遊んでくれてありがとう。小さい時、大っきなお腹に乗せていっぱい抱っこして可愛がってくれてありがとう。。。おじちゃん大好きだったよ。さみしいよぉ。おばあちゃん怒ってるよ。何でおばちゃんを置いていったんだ!!大馬鹿者ってすんごい怒ってるよ。お葬式もでないと言ってる。。。今日も行かないって言って来てないよ。でもだいじょうぶだよ、おばあちゃんは私が説得するから。。。おじちゃんまたね。元気でね。」

蛍は、玄関の周りをずっとうろうろしていた。

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