つながる世界

インターネット。
わたしは、高校生の時に
自分のホームページを作っていて
それでインターネットの楽しさを知った。

自分のホームページがあって、
いろんな掲示板があって、
わたしはお絵かき掲示板みたいなのによく行ってたな。
そこに書き込みして、
誰かが自分のページに遊びに来てくれる。
自分の日記があって、自分のBBSがあって、
そこで話したりしてた。
もちろん今も昔も、
この人ってどうなのっていうのは人間だからあって、
そういうのはアンチというものがついて
大体は2ちゃんねるとかでスレッドが立ってって感じだったのかな。
(見たことはあるけど、詳しくは知らない)

会ったこともない人と共通の趣味や話題で仲良くなって
手紙交換したり、プリクラ交換したり、
実際に東京や大阪で会って遊んだこともある。

でも、あくまでもインターネットの世界はインターネットの世界で、
リアルとは完全な境界線があった。
本名や詳細な情報が漏れるようなことは避けていたし、
リアルの友達ともほとんど繋がっていなかった。

わたしはあの世界がとても好きだった。
どこへでもいけるような自由な世界で、
時々は嫌な人もいたけれど、
自分のページに来てまで荒らすような人は非常識なので、
どう考えても悪だった。
だから基本的にはとても心地よい空間だった。

高校を卒業して、ホームページは放置するようになった。
その間にブログというものが出てきたので
ブログをやるようになったと思う。
でも、ホームページをやっていた頃よりは
更新しなくなったかな。

そうこうしているうちにmixiが出てきた気がする。
mixiが出た時は、なんだこれはと思った。
完全にリアルとの境界線がなくなった。
Facebookもそう。
だから、mixiもFacebookも登録しなかった。
わたしは、リアルの友達とは会って話したい。
自分がどうしているとかなんてリアルタイムで
多数に向けて発信する必要がない。
会った時に、「あのね、この間ね」って話がしたい。

そして、SNS全盛期がきた。
TwitterもInstagramも以前からあったけど、
より多くの人がやっていて当たり前の世界になった。
本名もどこに住んでいるのかもわかる。
会社や学校だってわかる。
みんなが自分の意見を自分のアカウントで言う。
そうしたら、フォローしている人のタイムラインに流れる。
自動的に。
見たくなくても、どんどん流れる。
ぷっと笑ってしまうような小ネタも、
誰かを弾糾するような言葉も、
自分の思う正しさも、
悲しみも全部、流れる。
そしてそれを誰かが「いいね」っていう。
そしてまたひろがる。
そしてメディアが簡単に取り上げる。
それを見た人が湾曲して受け取る。
すごく怖い。
誰かの言う正しさが、群衆の正しさになってしまう。
意見を言うのがダメだって言ってるんじゃない。
今まではそれは、見たい人が見るだけだったけど
見たくなくても見てしまうのが、なんだか怖い。

Instagramは、憧れが溢れている。
その情報も絶え間なく流れてくる。
流れて、流れて、流れて、一つ一つの賞味期限が短い。
そして比べる。
見え方ばかり気になってくる。

わたしは今のインターネットは好きじゃないという話。
ちょっと調べたいこともすぐ答えにたどり着く便利さは
もう手放せないけれど、
でも、つながるのが怖いよ。
大きな力が怖い。
小さな部屋で、好きなものに囲まれて暮らしたい。
そこに好きな人が遊びにきてくれる世界で生きたい。
SNS、いつやめてもいいかなって思う。
ブログを書きたい。
シンプルな何もない部屋。

みんな違っていいけれど、共感を求めないでほしい。
「いいね」ってなんだよ。
そんな簡単に答えだせるわけないじゃん。

悪口は裏で言ってよ。
共感を求めるSNSで言うなんて卑怯だ。
そんなのいじめっこと同じじゃん。
大きな力になって誰かの人生を潰すことになることも覚悟してよ。
見なきゃいいなんて今は通用しない。
みんな簡単に共感するんでしょ。

本質がわからないのに、表面だけの情報でいろんなことが語られる。
それは自由だけど、私は知りたくない。
知りたいことは自分で情報をつかまえに行く。

それが世間だというのならば、
私は世間とつながらない世界でもいい。
好きな人、大切な人とだけつながっていればいい。

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