撮影可否に悩み続ける私の脳


海外初公演だからこそ
明るみに出てきた問題。
JO1が大きくなっていく上で
避けて通れない問題ですよね。
いやー成長したんだね!
うれしい限りですよ!
同じ場所に留まっていない証拠ですからね。
こうやって新たな問題出てくるたびに
乗り越えていかなきゃなと思います。

ジャカルタ公演後数日間、
少しザワザワしていたし
私自身がこのことにどうやって
向き合うといいかなぁと悩んで
ffさん、ffさんじゃない方の
ツイートを読んでまわりました。

私はジャカルタ公演の最中に
流れてきた動画で
一番心配したのは
撮影可の雰囲気(あくまで雰囲気)の中
撮影された動画により、
「反応がいいJAMを餌食にしたい」
という承認欲求まみれの人に
JAMが利用されるのが嫌で
「気をつけて」「いいねとかしないで」
とツイートしました(削除済)
私がツイートしたから…というのでは
もちろんないけど
その後から続々注意喚起のツイートが
流れ始めました。

ま、撮影禁止は
一応ルールにはあがってたし
それはそうだなと思いました。
そして、その後
それに反論するツイートも
また多く出ました。

おおかたが
「外国では外国の文化に従うべき。
盛り上がってる様子を
海外へ向けて発信することが
応援でありグローバル化の第一歩だ」
という意見が多かったです。

韓国のマスター文化や
その他の国々のやり方の中に
一般人が撮影したリアルかつ
高画質な動画や画像によって
ファンがより楽しめる要素があること
広告の役割まで担うことがあるのは
真実でもあります。

なので「ルールでは✖️だけど
JO1が売れるためなんだから
そういう時はルールなんて
守らないわ」という意見もありました。

ほほーっ…
これは難しいことになってきました。

人それぞれの価値観によって
論点がズレる問題なので
議論にならずに
ケンカになるやつやん…と
思いました。

撮影拡散は…
・ルールで議論すると✖️
・広告という意味で議論すると○
・国外の文化だという意味だと△
・国内ツアーと同等と考えると✖️
・肖像権、著作権だと✖️
・JAMは迷惑か→迷惑じゃない
・JAMが共有してもらって嬉しいか
→嬉しい
これくらい議論する視点によって
可否が決まることだから難しい

上記のようなツイートも
自分の頭の中の整理がてら
やってみました。

その人が日常の生活の中で
大事にしてる信条みたいなものによって
出す答えが変わる問題です。

顔を見て相手の表情や仕草、
話す間合いとかを見ながら
意見を交換し合えない状況では
絶対平行線でケンカして
JAMいやになってどっちか
立ち去るーみたいな泥試合。

私自身の信条もあるし、
みんなケンカしてほしくないし、
何をどう発信するといいのか
変な責任感が発動して
ずっと考えてました。
私と考えの違う方と
対バンスペースしてみるか?まで
考えましたww(人見知りのくせに暴走)

「こうするべき」という意見に
全部「でも」がついちゃうんですよ。
どんなにどの意見の良きとこを
すくいあげても
「でもそれは…」がついて
スッキリ解決!に至らない…。

で、結果、出した答えは

“みんな好きにせぇ…(ノブ風)”です。

もうこれしかなくて…
何をどう訴えても
JAMの総意にはならないですから
結果はそうなりました。

あら、いい加減!
あら、じゃどうしたら?

ここからは私の主観が
バリバリ入るので
ご了承くださいね。

まず「ルール」ってやつについて
考えてみます。

「ルール」ってのは
様々な考えや立場の大勢の人が
一緒に過ごしたり
何かに取り組む上で
安全に居心地よくいられ
みんなの人権が守られるために
決められる約束です。

今回のことについては
「ライブを撮影しない」と
いうことがルールですよね。
他の例で言うと
「2連うちわはあかんで」とか
「空港で待ち伏せはあかんで」とか
「テレビ映像ツイートしたらあかんで」
とかですよね。

映像系はアーティストやテレビ局の
権利の侵害にあたることがあるし、
2連うちわや空港での出待ちは
ファンやメンバーへの
迷惑行為になることだから
禁止されていることもあります。
ルール化することでみんなが
気持ちよく過ごせるベースができます。

で、これを守るか守らないかは
私達に委ねられるわけです。

私は「ルールは完全に守る派」です。
知らないでやっちまった時は
きちんと改める努力をする方です。

なぜなら決まったルールを守ることは
不自由もあるけど
結果的にルールによって
“自分や自分の大切な人が守られるから”です。
ルールを破って他者に迷惑かけることは
他者がルールを破り
自分に迷惑をかけてくることを
容認することと
同等なことだからです。

っていう自分の信条からいくと
撮影は私の中では「しない」になります。
昔、雑誌のインタビューで
「誰も見ていなくても赤信号は渡らない」
と蓮くんが言ってて
私も「マジそれ!」になったの
覚えてます。
「みんな撮影してても私は撮らない」
って置き換えられるかなと思います。

でも撮影したものが広告の役割を果たすのも
よーーくわかります。
ルールを破ってでも
JO1のためになることをするってのも
愛なんです。
愛の表し方は様々なので
完全否定できません。

でも私、ちょっとひっかかってて
「これはJO1のためになる」
「これはならない」の基準が
曖昧だなぁと思って。
結構これは“JAMの中の損得感情”によって
判断がブレてしまう気がするんです。

前から「これってどうなのかな?」
と思ってたのは
空港の写真。
私もあまりにも素敵だったから
反応したことももちろんありますよ!
スッピンの推しの写真なんて大好物
でもその頭の片隅には
「マスターさん(みたいな人)」は
良くて「普通に写真撮ってる人」はダメ
みたいな風潮の線引きがわからない。
え?一緒やん?
なんで?と思って…
あんなにみんな「あぶない」
「メンバーが可哀想」と言いながら
ツイッターとかで綺麗な写真を
共有してくれたら大歓迎…
“自分の得になることしてくれる人”はOK?
反対にしないと目の敵?
でも、私も出発するとこ見たいよー
でもこれってダメなんじゃないのー
うわーん!ってなってたりして
大混乱(白か黒の性格)

拡散することが応援になるなら
ルール破ってもよいはずなのに
日本でやらないのはなぜ?
同じルールなのに
外国はみんながしてるからやってもよくて
日本ではやらない?
何が基準なの?
私はその曖昧さに混乱してしまうのです。
特性がキツいもんで…

私はガチガチの堅物な上に
自分が何かを追求されても
逃げ道にもなるように
ルールを守ってるようなズルいとこもある。
ルールを守ってないと
何の言い訳も空虚。
ルールを守った上での訴えと
ルールを守らない上での訴えとでは
信用度が全然違うから、
一切の隙を作らないためにも
ルールは守る。
何か問題が起こった時も
どういうルールだったか?
という原点に戻って
感情は入れずに判断する。

そしてね、教育職してるもんで、
もし子ども達の生活に
なぞらえて話をするとしたら
「ルールを守らなくていい」という説明が
子ども達にできないなと思って。

幼い子達は自分の自我剥き出しのとこから
「どうやって周囲と折り合いをつけながら
自己発信していけるようになるか」を
時間をかけて学んでいきます。
学べるように
気持ちを受け止めながら
ルールを守り
自分も他者も守れるように支えます。
その時に曖昧な個人の判断基準の
ルールを掲げると
幼児は特に混乱します。
白か黒かがはっきりわかりやすい。
(私もわかりやすいw)

それに通じるものがあるなと思います。
ただ「自分と他者の気持ちや安全、人権が
守られないルールなら守らないでいい」とも
伝えています(もちろんわかりやすく)
そして、子ども達にあったルールに変えます。

私達大人の世界の話にもどりましょう。

ライブの撮影不可は運営サイドからの
言わば勝手に決められたルールで
オタクは納得いかなくても
園生活のように自分達で変えることは
無理なものです。
自分達が納得いかないものを
守らされることも
なかなか受け入れ難いでしょう。
でもそんなことを言ってたら
憲法も刑法も効力がないのと一緒で
危険極まりない。

肖像権侵害の問題や
撮影したもので商売する利益の搾取を
許さないためにも
「撮影不可」のルールを
運営が覆すことはないと思います。

ルールという建前がない以上
もし重大なことがあった時に
「ルールがなかった」ということは
弱点になりますし、
裁判があっても言い分として弱い。
印籠として撮影不可ルールは残るでしょう。
でも“黙認”も続くと思います。

ルールを守ることが
JO1を守ることだと思っている人

ルールを破ってでも
撮影拡散することが
JO1の愛だと思っている人とは

一生ケンカだよね。
交わらないよね。

大根元のルールは変えなくていいから
そこに但書みたいな
いくつかの救済措置があるといいと
思うんだよね。

韓国のマスター文化を
別に踏襲しなくても
公式にめっちゃみんなが
見たい写真撮る人がいて
共有してくれるたり、
ライブ中も一緒で
YouTubeに編集して載せるという
タイムラグを作らず
すぐさまライブ中でも
ツイートしてくれたりしたら
いいんじゃない?
どんどん拡散するよ?任せてよ!

JO1は韓国と日本のハイブリッド
なんだとしたら
自分達の都合のいい時だけ
韓国式で
あとは日本式
とかにしないで
そういったとこでも
JO1が開拓者になって
くれないかなーと思う。
まぁそれも柔軟性とか
臨機応変と言われる対応に
なるのかもしれないけど。

「KPOP文化に慣れてる」とか
「海外フェスに行ったことない」とか
人の経験値に任せる応援のあり方ではなく
JO1ファンダムならではの
応援の仕方が模索できないものかね…と
思います。

とにかく、私は争いが嫌だし
純粋な人が騙されたり
利用されたりするのも嫌
そしてフェアじゃないことが最も嫌
「我慢できる人だけが我慢する」のは
不平等でしかない。

冒頭で言ったノブ風の
「みんな好きにせぇ」は
あくまでその不平等を埋めるためには
今のところ
自分の好きにすることしかなく
自分が一番納得いく応援の仕方で
応援するしかありません。

ルールを守り撮影はしないということが
自分の中で一番受け入れやすいなら
そうする。
しかし、楽しみが減ったり
他の人を羨ましく思ったり
する気持ちも受け入れる。

応援のためには
ルールは無視するという人は
撮影拡散する。
しかし、出禁になったり売れるためなら
手段を選ばないと思われたりする
リスクも引き受ける。

そうするしかないかなと思う。

そしてそういうお互いを
攻撃し合わないこと。
周りからの攻撃には
JAMは強いけど(例の新聞とか)
内紛によって自滅することが多く、
私なんかJAMに嫌われるの
一番こたえる…(でも嫌われてもいる)。
何かあると辛くてJAMやめたくなっちゃう。

「考え方が違うんだし、その人はその人なりの
リスクを背負っておっしゃってるんだから」
と、そっと流していくと良いのかなと思う。
運営さんに救済策の投げかけを
続けながら見守っていくしか
今のところないなって思います。

何も解決策は講じらなくて
申し訳ないけど
解決策なんかは
私なんぞには無理です。
私の頭の中に流れるこの文字達を
ちゃんと本当の文字にしないと
頭の中がうるさくて…(変人)

私の考えに共感、
反論いろいろあると思うけど
どちらも今回はご遠慮いたします。
ご自身はどうなのかなって
感情を鎮めて
ご一考くださる一助になればなと
思います。

ありがとうございました。

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