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イムムコエリ 2

封印

私は父が大好きだった。
人懐こくておもしろくて物知りだった。
いつもニコニコしていて周りを明るくする。
たくさんの友人に囲まれて笑い声が絶えなかった。

そんな父は争いごとが苦手だった。
面倒からはつい逃げてしまうところがあった。
壊れた母に振り回されながら、どうすることもできずにいた。


母が亡くなった日。夜になってやっと父に会えた。
もういっぱい我慢していた。
父の手が伸びてきて抱きしめてもらえると思った瞬間、父が崩れた。

「お母さんが逝っちゃったよ」

手のひらからずっしりとしめった重さが伝わってくる。
もうこの人の前で泣いてはいけないのだと思った。


お葬式に集まった人の中には平気で母の悪口を言う大人たちがいた。
私や妹の前で母をあざ笑った。
悔しくて悲しくて胸がつぶれそう。でも何も言えなかった。

母は遺書も言い訳もなにも残さず逝ってしまったから
私たちはとても苦しんだ。
理由がわからないままそれぞれが自分を責めた。
そして3人とも重く口を閉ざした。
「なぜ」と問い続けながら母のことは封印されてしまった。

友人の多かった父はその町に留まることを選んだ。
そして家事のすべてが私の役割になった。

私は「ふつうの家族」を作ろうと努力した。
先生にも親戚にも「あなたがしっかりしなきゃ」と言われ
自分が家族を守るのだと思うようになった。
父のことも母のこともこれ以上悪く言われるのは耐えられない。
いい子でいるように頑張った。

そんな私を見て父は
「この子は家のことをするのが好きなんですよ」と言うようになった。
それが強がりだなんてわからなかった。
何かが張り裂けそうだった。

地元から少し離れた高校に入ると私の世界は広がった。
家の事情を知らない新しい人たちの中で自由を感じるようになった。
働き始めると「ありがとう」と言われることが新鮮に思えた。
努力を認めてくれる人たちがいる。
それが自信になって力が湧いた。

そんな頃、些細なことで父とケンカになった。
小さな不満が膨れ上がりプツンと何かが切れてしまった。
押し込めてきた怒りや苦しみが雪崩を起こすように噴出した。

溜まり過ぎた感情は言葉にならず
それからずっと無視することで父を責め続けた。

小さなケンカのはずだったのに。
ひどいことをしていると分かっているのにやめられない。
そんな自分が嫌になる。
自分のことまで責めるようになっていった。

死にたいと思う。どうやったら死ねるかと考える。
そのたびに母のことを思い出してしまう。

もし私まで死んでしまったら父と妹はどうなるのだろう。
母の時の何倍の苦しみが二人を襲うのだろう。

そう思うとどうしても死ねなかった。
母もこうして悩んだのだろうか。
そうやって母と同じ道をたどってしまうのだろうか。

母が亡くなった年齢に近づくにつれて
母の影に囚われるようになっていった。

死にたい。死んではいけない。
けれど生きることもできない毎日。
母の年齢を超えて生きることが想像できなかった。
先が見えなかった。

うつ病だと言われて薬を出された。けれど私の心が叫んでいた。

ちがう、ちがう、薬なんかじゃ治らない‼

ただ話を聴いてほしかった。母のこと、父のこと、自分のこと。
医者すら信じられなくてどんどん痩せていった。
それでも這うようにして仕事には行った。


そのころ「自分探し」が流行っていた。
心の癒しが特別なものではなくなりつつあった。

会社のイベントで出会ったセラピストはこう言ってくれた。

「あなたは優しくないんじゃないの。
ただどう接すればいいか教えてもらう機会がなかっただけよ」

初めて理解してくれる人に会えたと思った。


それから私は心理療法を学ぶようになり
自分自身と向き合い始めた。

自分の心を掘り進んでいく。
深い深い奥底には「おとうさんがすき」という感情が埋まっていた。


何年もかかってようやく父と話せるようになった。

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