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イムムコエリ 5

両極の魂

ひっそりと家族葬にするはずだったのに
どこからか聞きつけた人たちが次々に訪れてきた。

長く監督を務めたソフトボールチームの卒業生たちは
社会人になった人までもが遠くから駆けつけてくれた。
弔問客は100人を超えて、急遽広いホールに席を設けるほどだった。
古くからの友人や介護スタッフみんなが父に感謝の言葉をくれた。

私の知らない父がそこにいた。
独りで寂しく暮らしていると思っていた父は
こんなにも大勢の人を支え、そして支えられて暮らしていた。
嬉しかった。
誇らしかった。
たくさんの人が父との別れを惜しんでくれた。


主を無くした家を片付ける。
いつも座っていた座椅子が父を待っているように見えて切ない。
部屋のあちこちからカッターナイフがいくつも出てきた。
ゾッとするような数だった。

笑顔の下でどれだけ苦しんできたのだろう。
何度思いとどまってくれたのだろう・・・



父の死を振り返る。

「11月11日」
それはかつて父の活動が地元の新聞に取り上げられた日と同じだった。
平成元年11月11日。
1並びのこの日付を父はたいそう気に入っていたと後から知った。

その日を選んで旅立ったのか・・・

最期まで自分らしく生きる姿。
付き添った10日間。
お葬式。
いつも逃げてばかりに見えた父に
辛いことを笑い飛ばして生きる力を見せられた。

父はずっと「自分を大切にしろ、笑って生きろ」と語り続けていたのだ。

それは母とは真逆の生き方だった。

父の最期を見届けてようやく母に向かって
「お母さんは間違っている」ということができた。

それは6年生のあの日に母が可哀そうでずっと言えずにいた言葉。

けれどその母への思いすら間違っていたと気づく時がやってきた。

私にはどうしても腑に落ちないことがあった。
母はなぜあんなに楽しみにしていた引っ越しを目前に死んだのだろうか。

・・・あれは母の計画だったのだ。
遺された私たちがあの場所にいられなくなるだろうと
次の居場所を用意したのだ。

私と妹にはお葬式で着る新しい制服を買って
次の家を用意しすべてを計画して母は逝った。

それは母の思いやりだった。
ありったけの愛だった。

母は家族を捨てたんじゃなかった。
壊れた自分を捨てたのだ。
家族のために。


父が倒れたのは奇しくも母の三十三回忌の直後だった。
それは故人が極楽浄土へ旅立つ区切りと言われている。

あの最期の時間の中には
母の魂も共に寄り添って私たちを包んでくれていたのかもしれない。



私たちはもっと話をすればよかった。
傷つけることや、傷つくことを恐れずに。

もっと素直に自分をさらけ出せばよかった。

何も語らずに逃げてしまったことで
もっと深い傷をみんなが負ってしまった。


それでも
父と母の対極の生き様は
どの瞬間を思い出してもまぶしくて、愛おしくて、尊くて
たまらない至福を与えてくれる。

二人の子どもでよかった。

そう思えたとき
初めて自分の全部を愛することができた。


あなたたちの子どもでよかった。

そう思わせてくれたことにただただ感謝します。



2022.02.04




*イムムコエリ

横道と子午線の北側の交点。ラテン語で「空の底」
占星術では家庭/人生の基盤/安心の場所を表す





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