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砂上の楼閣 - 本当は運転手をやりたかったのに,いつしか車を作っちゃっている人たち|#雲水漫録 92

 とある街をぷらぷらと歩きながらここ数日考えていたことを整理している.あ,雲水漫録は数ヶ月ぶり一回限りの復活.先日,僕が尊敬するみやゆう君とお話ししていたら,なんと雲水漫録をぜんぶ読んでくれていたらしい.びっくりだ.ありがとう.それで思い出して書き始めたわけ.

僕・私はいったい何をしたいのだろう?

という一種の病について.考えたってわかるわけがないし,人間は変わっていくのだから,あるとき「これだ!」と思ったとしても,次の日にはやっぱ違うかもとなるのが常だ.でも,きっと答えがあると信じてこれを悩み続けるのにハマってる人がいる.のちにその人たちが導き出す答えの典型例が「社長になる」である.考えたところでわからず,いつしか肩書きで選び始めるのだ.「よし,社長になろう!」とか思うと自分の中で方針が決まったかのように錯覚するんだけど,世の中にとってはその人が社長だろうが社長でなかろうが正直どうでもいい.世の中に価値を提供しようというのは表面上の取り繕いであって,極めて自分目線でしか考えていない,つまるところ社長などさっさとやめたほうがいい人種として形成されていく.

 その人たちが次にたどり着くのが「ビジコン」とか「起業ごっこ」だ.僕がめちゃめちゃ可哀想だと思うのが,「既に成果を生み出したりして走り出している人を身近にみていたり学んでいたりしたけれど,今度は自分も何かやってみたいと思っている人」が「ビジコン」とか「起業ごっこ」に惹かれてしまうという点だ.ビジコンや起業ごっこの何がマズいかは他のnoteで書いたと思うけれど,ビジコンとか起業ごっこを主催する人たちの口が上手いというのも事実だ.車としての優秀さと,運転手としての優秀さは全く違う.元々は運転手をやりたかったはずなのに,プライドだけが高くて肩書きという形から考え始めてしまうせいで,いつの間にか車を作り始めてしまう.それはすごく可哀想なことだと思う.おしゃれっぽい雰囲気とか,仕事するってかっこいい!みないなことで簡単に惹かれてしまうと,そういうのを可愛がる大人たちの餌食になってしまう.でも一種の新興宗教のようなもので,助けられないんだよね.師匠のセレクトをミスった人って,本当にそう.

 1ヶ月とか時間を決めればいいから,一つのことに没頭して調べまくったり,大学や企業に所属するその分野のトップオブザトップに質問しにいくなりして,社長とかスタートアップとかビジコンとかどうでもいいから,まずは基礎となる土台から探し始めるべきだと思う.つまるところ運転手として進む方針を考え始めればいい.楽しくて楽しくてしょうがないことであれば,別に社長じゃなくてもいいやと思えるし,お金をちょろまかしたりするような人にもならないと思う.昨日は落語家の桂枝之進くんと話していたんだけれど,やはり20代になると年齢的な許容が利かなくなるから,まさに人間力が試され始めると教わった.人から何かをいただいたら丁寧にお礼をする,人から借りたものは自分から返す,謝るべきところは真摯に謝る.こういったことをすっ飛ばして「義務教育はクソだ」と唱える気持ちの悪い人たちもいるようだけれど,僕はそういう人たちが嫌いだ.

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