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なぜ空調機をみるのか

 こばやしです.僕は今から10年前,たしか2009〜2010年頃,つまるところ小学1年生くらいの時から空調機をみつづけている.いや,実際には幼稚園はたまたベビーカーの頃からエアコンの室外機に反応していたものの,それらはみるというより眺めていた,と区別する.
 ではなぜ,僕は空調機をみるのか.それは「好きだから」としか言いようがない.好きなことに理由などない.もし好きな理由を説明できるのならば,嫌いなものに対しても理由を説明できるはずで,嫌いな理由などわかれば人間はわざわざ嫌いなことで自らを生きにくくしたりなどしない.それはそうだと思う.つまり「なぜ僕は空調機をみるのか」に対する合理的な理由などあり得ない.

 では見方を変えるとして,「空調機をみることのメリットは何か」にしてみよう.自分なりの答えは「そこから街がわかるから」
 僕は空調機をみつけても「あ,あるな」くらいにしか感じない.その時感じた何かをわざわざ人に伝えようとしたり,特段そこに何か感情が生まれるわけではない.しかし,空調機は街を理解するためのメディアであると考えている.空調機を入れ替えるタイミングは家庭と店舗・オフィスで大きく異なると思う.家庭ならば壊れても困るのは家族だけだが,店舗やオフィスはそうはいかない.そのため「壊れる前のなんらかのタイミング」で入れ替えることが多い.たとえば大幅なリニューアルをしたときなど.もうお分かりだろう,空調機からは,街がどのような周期で呼吸をしているかがわかる

 そのほか,特に室外機からはその地区の地域特性がわかる.たとえば湾岸地区に設置されている室外機はたいてい耐塩害仕様だが,それでも錆びることがある.その錆の程度で街中の空気の流れがわかる.僕は空調機の機種がどうだとかは殆ど興味がないので,そういう議論に参加するつもりはない.
 「空調機をみることのメリット」に対する,僕なりの答えはきっとこんなところだろう.

 そして,きっと僕の人生の最終目標はこれら空調機を都市から排除すること.いや,きっとではなく,間違いない.皮肉なもんだ.

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