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アイデンティティの揺らぎ

「自分は正しいのか?」
このところ常にこの自問自答に苦しめられている。
だって、立場が変われば正義なんて逆転するし、姑息だろうが何だろうが勝てば官軍なのだもの。

それなりに自分の正義を貫いた人生を送ってきているし、それに後悔は皆無だ。んが、割と損してるっていうか「ワガママ通したり、人に気を使わない方が(本人が)ハッピーなんだし、そうした方が正解なのか?私は誤っているのか?」って考えるようになってしまった。

信じたものから裏切られる場合、被害者だ。
だが本当に被害者なのか?とか、被害被って泣き寝入りしてる自分は果たして生なのか?とか。考えだしたら無限ループに陥る。

真面目に生きて、真面目に日々を送る。
人の顔色を窺って(よく言えば人に気配り心配りをする)生きてる。

時々、ひどく虚しくなるのだ。得するつもりはないが、損は大いにしてる気がする。人を不快にはしないようにしてるけれど、不快にされて黙って笑顔で取り繕ってることは多々ある。

だから出来るだけ、言い方を工夫して、嫌なことは嫌だというようにしだした。それでも、デリカシーの無い人からの一言はいつまでも喉の奥に刺さった小骨のように気持ち悪い。
あからさまにムッとして態度に出して、先方を嫌な気分にさせたほうがいいのだろうか、とたまに思う。

そして「正義は見る角度によって、事実が異なる」ってのを体感してしまってからは(※人生色々あるんですよ)私は、私の中の芯を失ってしまっている。

正義って思い込みだし、それが無ければふわふわと常に風に揺らいでしまうのだ。そして正義を「個人の思い込み」とシニカルに思うようになってしまった私は、もう芯を取り戻せないのだろうか。

思い込みでもいい、アイデンティティが、揺らがない心の根が、欲しい。

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