見出し画像

雑記) イメージフェノメナンとは #1

イメージフェノメナンという授業があります。
イメージ=映像
フェノメナン=現象

2004年頃に、板屋緑教授と篠原規行教授によって、提唱されいたイメージフェノメナンは、映像をつかった造形領域へのアプローチを実践するものでした。

映像にしかない現象を主題にして、従来の物語を伝えるための映像ではなく
映像そのものを表現の中心におくという試みでした。

そこで参照されるのは、先行領域である絵画や彫刻など。
かつての画家やアーティストが発見・発展させた眼差しを映像に持ち込む。

それは絵画や彫刻の映像的再解釈という試みでした。

イメージフェノメナン授業風景(2022)

授業の最初の段階では、まずカメラを用います。
カメラによって身近なモチーフや素材を撮影し、その撮影素材をもとに
教員と学生が議論を重ね、可能性を見出していきます。

学生にとって、些細な撮影素材が絵画領域などの参照をもとに価値が見出されていきます。

その課程には、「美術大学で映像を学ぶ」という必然性がありながら、
「映像を通じて美術を学ぶ」という特徴的な眼差しが醸成されていたと思います。

2004年、当時学生だった私も、映像の可能性に薫陶を受けました。
かつての私には「映像の可能性」と一言に集約されていましたが、それから時がくだり、20年後の2024年の今からかつての「映像の可能性」を振り返ると、その可能性が<個人の>映像の可能性だったように思われます。

2022年授業風景
プロジェクターを用いて実験中の要数

当時の様子について、ここで改めて語るには断長です。
一言で言えば、映像があまりに高価でした。

その高価な映像を<個人の>表現に取り込むにはさまざまなハードルがある時代でした。そんな2000年代の映像制作の状況なかで、個人の表現手段の一つとして映像で名乗りを挙げる確かな土壌がそこにはあったと感じます。

それは他でもない、映像そのものの価値によって自立した表現を目指すという可能性に受講生は胸躍らせていたと思います。少なくとも私は。


2007年ごろ ムサビ講義室での展示


RINS-factory(ロゴ)

イメージフェノメナンの投射した「かつての可能性」と「これからの可能性」について、引き続き考えていきたいと思います。

(山崎連基)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?