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反ワク・煉獄カズアキとは何だったのか

煉獄カズアキが「反ワクの煉獄さん」として名を馳せ始めたのはちょうど昨年の今頃だった。
一体なぜ彼は過激な反ワクチン・反マスク活動を始めたのか。当時どんな思いを持って活動していたのか。
インタビューを通して振り返っていきたい。


――本日はよろしくお願いします。ネットに現在残っている情報によると、昨年の12月6日に煉獄コスをしてデモに参加している姿が確認できるのですが、これが初めての反ワクデモへの参加だったのでしょうか。

いや、確か初めてデモに行ったのは10月か11月くらいだったと思うんだよね。でもその時は私服だった。そのあと煉獄の格好をして街宣活動に参加し始めて、12月にコミケでデモをして、それでバズったんじゃなかったかな。

――年末にはまとめ記事がいくつか出てましたよね。反ワク・反マスクの概念というのはいつごろ知ったんですか?

いつごろだろうな。コロナ始まってわりとすぐだと思う。マスクは元々嫌いだったからしてなかった。それで反ワク・反マスクの思想に合ってるなと段々思い始めて、「俺はこれでいくぞ」と決めた。

――なぜ街宣活動でコスプレをするようになったんですか?

目立つから!煉獄にしたのもその当時旬だったから。思い入れというよりとにかく目立ちたかったかな。

――元々のレイヤー仲間など周囲の人の反応は?

ちょうど同じ時期に、アコスタっていうコスプレイベントで暴行トラブルみたいなのを起こしたんだよね。コスプレ仲間をかばってのことなんだけど。その事件をきっかけにレイヤー仲間から嫌われて、ってことがあったんだよね。だからタイミング的にレイヤーから嫌われるのと、反ワクを始めたことで嫌われて、っていうことがダブルであった。まあアコスタをきっかけに吹っ切れたっていうのはあるね。Twitterは単なる個人アカウントだったし、コスプレは大人しく活動してたんだけど、今までどおり「周りの人と良好な関係でやろう」っていうのはアコスタで完全に吹っ切れた。反ワクを始めてからはコスプレ仲間のフォローは外していったし、距離を置いていったよ。コスプレ界隈ってローカルルールがたくさんあって、礼儀正しい世界。反ワクしてるとコスプレ仲間には迷惑かけるなと思って。俺と繋がってると嫌われるから。

――当時から割り切り方がすごいなって思ってたんですけど、元を辿るとアコスタが転機なんですね。アンチに叩かれる日々は孤独じゃなかったですか?

いや別にそうでもないね。コスプレ界隈からと反ワク・反マスク関係とで叩かれてたけど、孤独じゃなかったよ。割り切ってた。

――当時のレイヤー仲間との付き合いはもうないんですか?

個人で細々やってたから元々仲間って感じの人はいないよ。相互フォロワーとかも元から全然いなかった。

――反ワクを始めて、いちレイヤーの頃よりフォロワーは激増しましたよね。反ワク仲間は多かったんですか?

反ワク仲間はいたけど年齢層は高いよ。Twitterやってないような年配の人が多かった。街宣活動の現場にいって挨拶するような感じ。Twitterの当時のフォロワーは観察しにきてるアンチが99パーセントだよ。

――反ワクの中でも徐々に孤立していったというか、独特の立ち位置にいた記憶があるのですが?

うん。なんかつまんないんだよね、ただ反ワクに参加するのも。変なやつが多くて合わないなあと思って。だから特定の反ワク団体に所属したことは一度もないよ。神真都Qにも所属してない。その日ごとに人が多くて注目されそうだなってところの活動に参加する感じ。出来るだけ注目されたい。

――工作員説について。どこかから雇われた工作員だというのを聞いたことがあるんですが、あれはなんだったんですか?

あー、それは俺が「工作員だ」って言うと本当にみんな信じるんだよ。信じる奴らが特定の層でいるんだよね。

――そうだったんですね(笑)。じゃあ始めた当時は
純粋に反ワク・反マスクの考えに純粋に賛同していたんですね。

うん。でもだんだん変なやつが多いなと思って合わなくなっていった。人工地震とかケムトレイルとか、陰謀論に傾倒してるやつが多くて。それはちょっと自分とは違うな、と。

――山手線で飲酒や座り込みをするなど、公共の場所に明らかに迷惑をかけていたことについて、どう思いますか?

迷惑…多少はね。その時はどこかに迷惑かけたいと思ってやってたわけじゃなかったんだよね。俺の活動は誰かに迷惑かけたいと思ってやるわけじゃなくて、結果あとから怒られて「迷惑行為だったんだ」って反省することが多い。その繰り返し。

――過激な手段を選んでしまうのって、反ワクを広めたかったからなんですか?

知名度だね。とにかく知名度を広めたかった。反ワクでもなんでも良かったんだと思う。過激にやった方が目立つからね。

――そういえば当時トレードの状況はどうだったんですか?

勝ったり負けたりしてた。塚口洋佑さん(反コロナ活動家)に当時5万寄付したから、確か11月までは勝ってたんだよ。1000万か2000万位あった。そこから12月に入って死亡した。

――吹っ切れちゃったのってそれも一因だったりするんですかね。

そうだと思う。「何かして目立って稼がないとやばいなあ」って。

――その後新宿租界のZ李さんと出会い、改心に至りました。Z李さんとの話し合いはどういったものだったのですか?

「こんなことやめなよ」って。俺も薄々「反ワクやっても旨みがないな」って思い始めてたところだった。叩かれるし、知名度上がらないし、儲けには繋がらないし。限界を感じ始めてきてたから、諭されて納得した。

――当時の自分をどう思いますか。

別に反ワク・煉獄カズアキはいいんじゃない。今だってマスク嫌いだし、ワクチンも打ってない。他人に強制しなくなっただけで、反ワク当時も頼まれればマスクしてたし、ワクチン打ってるやつをバカにすることはしなかった。根本的なところは実はそんなに変わってないんだよ。最近は有名人も「マスクを外そう」って言い始めてるけど、やり方がデモとかじゃないから叩かれてないよね。

――今のコロアキさんの前に、当時のカズアキさんが現れたらどうしますか?

凸するかな。嫌われてるやつは成敗したい。

――今は買春撲滅活動で正義の人になり始めていますが、コロアキさんの中で正義の活動をしている自覚はお持ちですか。

今の活動は正義って思われてるよね。自分でも正義の活動かなって思ってる。反ワクの活動も当時は正義だと思ってたし、その時その時の正義で動いてるよ。

――ありがとうございます。


「煉獄カズアキ」は、コロナ禍に対する鬱憤、レイヤー界隈への絶望、そしてトレード死亡によるあがきから生み出された悲しきキャラクターだった。
そんな彼は現在、買春撲滅活動団体「COROBO」を発足し称賛を浴び始めている。
行動力があれば人はヒーローにもヒールにもなれる。「煉獄コロアキ」はこのままヒーローとなるか。今後も見守っていきたい。


<取材・文/コロアキの知人>

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