442連隊を語るクラブハウス・ルームの参考資料
クラブハウス・ルーム開催日時:
2021年11月2日(火曜)21時~
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442連隊(第442連隊戦闘団)
・第二次大戦中、日系二世で構成された米国の陸軍部隊(3,800名)
・日系の活躍は442連隊に限らない。たとえば、第100歩兵大隊も。その後、442連隊の一部になった。
・442連隊はヨーロッパ戦線に派遣
・もともとは『捨て石』、最も過酷な作戦
戦場での戦いの前に、人種差別との戦い
・真珠湾攻撃... 日系人の生活を永遠に変えた。
・「敵性外国人」とみなされ ⇒ 日系人は強制収容所へ
・あなたなら、この状況をどう変えますか?
・隊員の多くは『武士道』の教育を受けた親によって育てられてた。
・日本精神を受け継ぐ彼ら。考えたのは国への忠誠を示すことで自分達もアメリカ人として認めてくれるかもしれない。
・示す方法は? ➡ 志願兵としてヨーロッパ戦線に向かう。文字通り「命がけ」で。
結果
・祖国での家族の収容所からの解放のみならず、フランス市民、ユダヤ人、そしてナチス軍に包囲されたテキサス大隊をも解放するなど、ヨーロッパ戦線で米国を勝利に導く、めざましい戦果をあげた。
・アメリカ人としての証を立てることに成功
・しかし、その代償はあまりにも大きいものだった... 死傷率はどの米軍部隊よりも高く、多くの日系兵士は帰らぬ人となった。
ヨーロッパ戦線での活躍と代償
1) ローマへの侵攻
・ローマ南方の防衛線突破で大活躍。果敢な戦いで『小さな鉄人』と呼ばれ、442連隊は知られるようになった。
・途上の激戦地で多大な犠牲.... 450名死亡、2350名の負傷。
・ローマを目前にして停止命令が出され、後続の白人部隊が入城してローマ解放の栄誉を手にした。
2) フランス
ブリュイエールの解放
・祖国の収容所に入れられている家族の解放と、フランス人のドイツ・ナチスからの解放は、442連隊の兵士の脳内で重なった。
・フランス人は442連隊のために記念碑(地図位置)と、ある通りを『Rue du 442 Ème R.i.à.』と名付けた(地図位置)。記念碑のサイトで開催された解放50周年記念式典に招待された、生き残った422連隊の元兵士の皆さん、下のドキュメンタリー参照。
・記念碑には「国への忠誠とは、人種のいかんに関わらないことを改めて教えてくれた米軍第442連隊戦闘団の兵に捧げる」と刻んである。
・上の地図の位置のとおり、ブリュイエールはドイツ国境に近く、ナチス軍が死守していた町であった。その強固な防衛線を442連隊は打ち破った。
・多数の犠牲者。息を引き取っていく日系兵士の手を握り精一杯の愛情を注いだという、村の女性ジョゼフィーン・ボアランさん。ナチス軍の砲撃のなか、危険を犯して兵士のために水を汲みに行くなど、日系兵士と村のフランス人たちは支え合っていた。村の住民は日系兵士の礼儀正しさに驚いた。
テキサス大隊の救出
・ナチス軍に包囲されたテキサス人出身の部隊
・「失われた大隊」とも呼ばれ、救出・解放は無理だと思われていたが、442連隊はナチス軍に勝ち、テキサス大隊を救った。
・代償:56名戦死、800名負傷(その中に、後の上院議員となるDaniel Inouye氏も)。211名のテキサス大隊の兵士のために。
・その戦いの凄まじさは、アメリカ陸軍の十大戦闘の一つに数えられている。
・いまでもテキサス人は覚えている。日本人に好意的。
・NHKドキュメンタリー『失われた大隊を救出せよ ~米国日系人部隊 “英雄”たちの真実』
https://www.nhk-ep.com/products/detail/h22796AA
フランス戦線全体での戦死者合計:193名
3) ドイツ
ダッハウ強制収容所の解放
・日系人部隊が強制収容所を解放した事実は1992年まで公にされることはなかった。
レガシー(一部のみ)
・ハワイの州への格上げ
・Daniel Inouye
・アメリカ合衆国軍事史上で最も多くの勲章を受けた部隊
・18,000近くの勲章
・議会名誉黄金勲章(アメリカ合衆国で民間人に与えられる最高位の勲章)
・名誉勲章(アメリカ軍における最高の栄誉)
【参考】
日系アメリカ人部隊442連隊ドキュメンタリー(1991年イスラエル制作)
https://youtu.be/OFUpGipW5R8
https://youtu.be/5xbns0sFvXM
https://youtu.be/rJ5_XKOzyKU
https://youtu.be/3TM4rxwquv8
2010年の映画『442日系部隊・アメリカ史上最強の陸軍』予告編(日本公開バージョン)
https://youtu.be/tbO6K_Ig7Y4
2012年に亡くなれた上院議員のDaniel Inouye氏も442連隊のメンバーでした。追悼式は議会議事堂の中央広間で行われました。アメリカ歴史上32人目の名誉。当時副大統領だったバイデン氏は追悼式でInouye氏をDannyと呼び、Dannyこそ精髄のアメリカ人(quintessential American)。私(バイデン)が上院議員だった頃、その職を誇りに思わせてくれたのがDanny。交通事故で息子を失った時、私に(議員として)続けるのだ、と激励した。そして、Inouye氏の遺族、子供達に向かって「あなたのお父様が私にくれたものは、あなた方でも想像できないほど大きなものです」と。
民主、共和の全ての議員、米国国民から絶大な尊敬を受けていた。
https://youtu.be/v0FRm-3C0fA?t=45
Honor, Courage, Commitment, Loyalty.... 武士道に出てくる言葉をバイデンさんは連発します。ご本人は武士道に結び付けるつもりはないでしょうが、結果的にそういうスピーチになった。
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