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石川雄洋という存在

「推しがカッコいい」「推しが今日も素敵」人は簡単に推しという言葉を口にする。

俺もそうだ。野球だけじゃなくゲームやアニメ、アイドルにも言える。CV諏訪部順一のキャラとか、櫻井翔とか、APHのドイツと日本とかな!
「推し」は人生を豊かにする存在だ。

今から書く文章はメチャクチャ長い。石川雄洋という存在が俺の中で如何に大きく、如何に俺の人生に影響を与えて、如何に俺の命を救ってくれたのか─俗に言う"自分語り"だ。恥ずかしいとか、見てられないとか皆は言うかもしれないが(笑)そして石川さん本人は絶対こんな文章見ないと思うが(笑)
石川さんが野球生活にケジメを付けたように、俺も"野球選手石川雄洋"に一旦ケジメを付けたいと思う。今後は"解説・石川雄洋"とか"Youtuber石川雄洋"の推しになってるかもしれない。石川ファンのフォロワーもそうだと思う(笑)

常日頃俺は何時も石川雄洋に狂っている。Twitterで叩かれたこともあるし、ヤフド(現ペイド)の帰りのバスで「石川なんて出てなかったよね」と子供に言われたこともあるし、ズムスタへの道で「石川は二軍やろ!」とお爺さんに言われたこともある。Twitterで俺をフォローしてくれてる人は俺がそんなに石川さんのファンなのだと理解してくれていると思うが、正直俺が石川雄洋さんを知り"沼"に落ちて狂っていたのは石川さんの16年中5年程でしかないのだ。
タイムマシンがあれば未来、過去どっちに行きたい?と仮定の話をするとき、俺は絶対過去に行きたいと言う。
石川さんを知るまでの俺はゆる〜いホークスファンだった。福岡にチームがあり、結構強いし、見てて楽しいし、学校(職場)の人と話が大体合う。福岡に住んでいる以上はホークスという存在から目を背けることはできないと俺は思ってる。だってどの番組でも絶対名前が出るし、地上波もあるし。ホークスファンになろうと、ホークスの話しかしないだろうが俺は此処のファンになる!と言おうが、福岡においてホークスの影は必ずチラついてくる。

そんな中、当時大学生の俺はまっっっっったく意味がわからない大学教授や講義にボッチで対面していた。法律だの人間科学だの意味が分からん。教授は隙あらば政権の話をするし、周りは寝てるか喋ってるかスマホゲーである。夢見たキャンパスライフ!とは無縁だった。だってサークルとか部活入ってなかったし。兎に角、野球をダラダラ見てレポートだの、宿題だのと睨めっこしていた。灰色すぎる人生、別にやりたい訳じゃなかった分野(言語とか文化が良かったけど、高校生時代の俺は先生や親に言われるがまま法学部を選択した)で何で生きてるのかよく分からなかった。マジで楽しくなかった、何一つ。

そこに石川雄洋さんは彗星の如く現れた───ニコニコ動画でだけど。
2012年8月25日vs巨人10回裏で。

大学のパソコンで見た俺「カッッッッッコ良すぎるだろ…」

率直に申し上げて、ザ・ホークスファンだった俺はセリーグに興味がまるでなかった。「ああベイスターズ?万年最下位なんでしょ?」とかいう発想もなかった。マジで興味も知識も0、じゃあ何でこの動画を見てたかと言うと、大学のカフェのおばさんの旦那さんがベイファンで石川ファンだったからだ。「フジくん野球好きなの?旦那はベイスターズファンでねぇ、石川のバントがウンタラ」…ベイスターズ?セリーグ?福岡で?それが2012/8/25のバントだったのだ。

痺れた。カッコ良かった。鳥肌が立った。こんな、こんな自分を犠牲にチームの為に身を挺する人おるんや、高校野球じゃなくプロの舞台で。
「きのう一軍復帰」の文字でビックリした。青いユニに映える黄色のキャプテンシー、白いバッテに滲む赤い血、プレイを止めずキッチリバントを決め、翌日再び登録抹消(コメントで見た)─文字通りの"犠牲"バント
凄い、と思った。そしてそれ以上にそういう選手がいるにも関わらずセリーグに興味がなく、ホークスの選手だけ見て野球に満足していた自分を恥じた。
2016年の秋、野球はもう終わっていた。石川もキャプテンでは無くなっていた。それでも、あの背中に惚れていたのだと思う。
好きになるのに時間は関係ないとよく言うが、こればっかりは本当に過去に戻りたかった。ベイファンは絶対ヤダって言うと思うけど、こんなカッコいい選手を俺は全然知らず、ネットの中でしか知ることが出来なかったから。石川内野手痛恨のミスとか、所謂蔑称、アンチコメも沢山ネットで知った。だけどそれ以上に、あの動画で見た、あの石川雄洋は輝いていた。光だった。俺の人生を確実に変えたのだ。

石川雄洋さんを知って、俺はセリーグも勉強した。福岡に一番近いのは広島なので、2017春は手始めにズムスタのホークス戦をオープン戦だが観に行った。3月26日14時プレイボール、試合は分けた。
因みにそこで出会った女性がセでは石川ファンで、彼女です。(自語)
初めて訪れた屋外球場の空は青かった。春先だから風は冷たかったけど、感動した。百聞は一見に如かずの言葉通り、何気なくテレビで見ていた交流戦よりずっと興奮していた。ヤフドしか行ったことない俺はもっと色んな球場に行きたいと思った。そこで石川を応援して、皆でハイタッチして──友達や家族とドームの内野席でダラダラ見る以外の楽しみを、俺はズムスタのビジター席で見出したのだ。正直ホークスの応援歌は俺の中であんまり琴線に触れなかったから、外野席で応援しようとはならなかったのだ。

『栄冠掴むその日まで 恐れず飛び込めベースへ 君の熱き血潮で 燃えろ雄洋!』

クソカッコいいんですけど。

メロディとこの歌詞、凄くないですか?初めて聞いたとき鳥肌立ったもんな。"熱き血潮"であの動画が過ぎった。ベイスターズの暗黒時代、この応援歌に託された思いが詰まってると思った。ベイスターズの応援歌はチャンテ含めてメチャクチャにカッコ良くて球場で沢山歌いたいなと思った。気付いたらファンクラブに入会していた。Twitterも本腰入れて始め、沢山のフォロワー(ベイファン・ホークスファン・他チームのファンの皆様もありがとうございます)さんに恵まれている。
2017-2020で広島・兵庫・横浜・宮城・青森・新潟・神宮、そしてキャンプも二回行くことが出来た。
2017ズムスタ、2018ハマスタ、2019神宮と7/10には絶対行った。2020はコロナで無理だった。
ハマスタに一度しか行けなかったのは悲しい。忘れもしない2018年7月10日。フィールドシート最前列。エラーからホームラン食らってボロ負け。試合後のスターマンが癒しだった。でも、ハマスタで見た「7」の背中が輝いて、かっこよかったのだ。本拠地ってやっぱ違うな。因みに2017はボロ負けで翌日負傷交代、2019は三塁側最前取って一軍なのに出番なくバースデーソング歌えず、試合も負けた。呪われてるんかな?

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各地のフォロワーさんや、ホテル・お店、ANA・空港・新幹線の駅・バスやタクシーの運転手さん、色んな方々とお話しする事が出来た。
遠征という二文字の中で沢山の人に出会った。
特に青森や新潟で「福岡から来たんです!」とタクシーのおじさん達に言うとメチャクチャ嬉しそうに「何もないけど、良い所なんだよ」って返事が帰って来て胸がジーンとしたこともあった。
各地のフォロワーがオススメの飯に連れて行ってくれたり、地元トークしてくれたり、遠征の楽しみは球場で野球を楽しむ事だけじゃなくなった。マジでありがとうTwitter。
2018年と2020年の嘉手納でのツーショット。2018は塩対応で心折れかけたけど2020はマジで漢で感動で涙出た。ほんまにヒーローなンだわ。

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2020年、コロナのクソ野郎がと叫びながら、ついぞ一軍の試合には行けなかった。9月15日と、最終戦の10月29日の二試合、平塚と横須賀で見た。9月15日は割愛させて欲しい、寒かった(笑)

10月29日、俺は初めて横須賀へ行った。
朝4時にホテルで目覚め、慌ただしく荷造りをし、横浜駅からタクシーに飛び乗った。

飛行機代は直前で高かった。でも行かないと後悔しかないと思った。だってベイスターズの石川が最後なのに現地で見られないとか、アリ?朝の5時に並んで、凍え死にそうになりながらずっとチケットを待っていた。日が昇り、人が沢山集まり、流れる雄洋登場曲メドレーに泣いていた。
席が42番で、運命感じた。

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終始、石川さんは楽しそうだった。最後に見えなかった。談笑しながら、ボールと戯れながら、ずっとずっと楽しそうにしていた。太陽に煌めくロン毛も(笑)、スタイルのいい体も、絶対まだまだやれるって言ってた、言ってました(強調)。ファンの大拍手、掲げられた数多のタオル、劇的なサヨナラ勝利─そしてレフト嶺井─(予想以上の長時間試合により飛行機間に合うか不安だった)石川さんのスピーチとかそう言うのはなく、試合後は静寂だった。藤岡さんか誰かの胴上げがありそうだったけど、スタッフさんが止めていた。
試合後、石川さんをひと目見ようと沢山の人が残っていた。警備員さんの呼びかけでも諦めきれなかった人間です。俺は最後までいる事が出来なかった(羽田-福岡の最終便は早い…)からTwitterで知ったけど、最後の最後の石川さんが挨拶したらしい。なんやねん!それなら試合後グラウンドでやってくれや!と思ってしまった、だって警備員さんの声で帰ってる人も沢山居たのだから。辛すぎでしょ。まあそういう不満もあったが、行けて良かった。目と心に焼き付けた、そのプレイを。渋くてチームプレイに徹してましたね。
オフの間、絵を描いたりしてた。石川さんが新たなチームで活躍できるようにと願いながら。

3月14日、練習を打ち上げたと言われた日にトークショーがあった。

西森さんのオンラインサロン内だから聞いてた人は本当に少なかったと思う。2000円必要だったし。MC西森が顔真っ赤にしながら石川さんと話していた。強かった投手とか、対戦したい投手とか、ベストゲーム3選とか。1時間40分のトークショー。名前を呼んでもらったし、西森さんのおかげで俺は二回も発言出来た。フォロワーに名前バレした挙句「めっちゃ喋ってるねw」と言われたけど、今思えばちゃんと「どこに行っても応援します」と言葉にして直接伝える事が出来て良かったと思う。「どこに」はNPBだけじゃない、これからの石川さんの旅路を含めてなので。

野球を通して人との触れ合いが増えること(そしてグッズの沼で金が散ることも)を石川雄洋さんが教えてくれた。あの時、あのバントを教えてくれたカフェのおばちゃんのおかげだ。
目的がなく、つまらなかった俺の人生に光と数々の色彩を加えてくれたのは石川雄洋さんだった。
大学で陰キャぼっち極めてた俺がバイトを頑張れたのも、性格が明るくなってよく喋るようになって嬉しいと言われたのも、石川雄洋さんに出会ったからだ。
食わず嫌いだったK-popなどアイドルを知ったのも、犬にビビリ散らしてたのにポメラニアンだけはクッソ可愛い!と言えるのも、石川雄洋さんの影響だ。

そして何より、今の彼女と出会えた事、今のフォロワーと話せる事も石川雄洋さんをキッカケに野球用のTwitterを作ったからだ。Twitterってすげぇや。いつもありがとうございます(念入りな媚売り)

石川は「悔いはありません」と前を向いた。

俺は後悔ばっかりだ。悔いしかないけど、この人生?
もっと早く石川さんを知ってれば、あの時のCSのビールかけに、日本シリーズのヤフドに石川さんがいれば、もっと沢山球場に足を運んでいれば良かった、もっと応援歌を歌いたかった。
何より2020年3月上旬「石川を一軍に呼ぶ」からのコロナで開幕延期で立ち消え一軍で一度も見られなかった事が一番悔しいかもしれない。でも、石川さんが悔いはないとそういうなら、ファンもそれを受け止めるしかないのだ。高校生活から含め19年横浜一筋で、今後『元DeNA』『元ベイスターズ』だけが"石川雄洋"の冠詞につくのだから、何処かに安堵感を覚えている自分がいる。
引退は寂しい。もう"プロ野球選手石川雄洋"が、ベースに飛び込み、チームの為に熱き血潮を燃やしてプレイすることはない。悲しい。
それでも、引退は今生の別れではない。今後が未定なのは正解だ。愛犬とろろ様とゆっくりしながら、時々ファンに顔見せしてもらって、悪い投資家や人間に騙されずに、石川雄洋さんだけの第二の人生を描いて欲しいと思っています。コーチになったらグッズ買い占めなきゃ(使命感)

そして引退セレモニーは満員のハマスタで応援歌とともに見送られて欲しいのでコロナ早く終焉迎えてくれ?
それが、16年横浜ベイスターズにいた男の、初代キャプテンへの最大にして最高の新たな人生への餞別になると思う。
俺の人生の羅針盤になってくれて、俺を救ってくれて、俺を変えてくれて本当にありがとうございました。ファン歴は短いし、ニワカがよと言われるとも思う。事実その通りだし、俺は後追いで雑誌や動画の知識しかないのだから。
それでも、声を大にして言える。

石川雄洋という野球選手に会えて良かった。
応援する事が出来て良かった。
これからもずっと、貴方が世界で一番煌めく眩い光です。


石川雄洋さんの第二の人生に幸多かれと福岡の地より願いを込めて。
乱文でしたがお付き合いありがとうございました。


2020/3/19 16:30  石川雄洋さんの一ファンより 写真は全て自分で撮った奴です。

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