橋本治が”闘病記”に残していたもの

【橋本治が亡くなった日】

免疫系の難病を患い、さらに上顎洞がんを発症していた橋本治が亡くなったのを知ったのは1月29日(もう30日になっていたかな)深夜のラジオ。普段あまりラジオをつけないのに、なぜだろう、久しぶりにパソコンでradikoのサイトを開いたのでした。

前日、徹夜に近い状態で、さらに朝から夜まで緊張状態を強いられる激務が続き、本当に疲労困憊して家に帰って来たところでした(おひとりさまだからがん再発してても、まだまだ働かなきゃならんのですよ)。圧の高いテレビの画面をONにする気力も無く、なんとなくradikoを開いて、そこから流れて来たのが、女性アナウンサーが語る「作家の橋本治さんが・・・」の静かなアナウンスの声。深夜ラジオ独特の中年女性アナの穏やかな声の響きがやわらかな人魂のように耳の側にぼんやりと浮かんで、その余韻も消える頃には、そこは橋本治のいない世界になっていたのでした。

テレビでもなく、ウェブでもないところが橋本治とのお別れらしいなと思い、橋本治って100まで生きると思ってたのになあと思って、さらに、彼はがんで死ぬ人ではないはずなんだけどなあとも思って・・・、いつのまにか世の中は自分の想像していたものとは違うものになっているのかもしれないなあと思いました。

どう見たってピンピンコロリだろうと思っていた橋本治もいまや免疫の難病にかかり、がんで死ぬ時代なのです(正確にはがんで死んだのではないかもしれないけれど、がんの治療後に亡くなったのは間違いないですから)。

真夜中のひとりぼっちの部屋で、ぼんやりと、この夜の向こうでぐにゃりと変容しようとする世界を想像しました。そして、橋本治が100歳まで生きられる世の中ではなくなったからこそ、彼は平成の終わりとともに逝ってしまったような気がしていました。

ナンシー関という希代のテレビ批評家がいなくなって、その後、テレビの凋落が顕在化したように、橋本治がいなくなったあと、世界のどのような変質が露になってくるのでしょうか。世の中は批評者を失うことで、やはり何かを失うのだと思います。いや、すでに何かを失ったから、彼ら批評者たちは退場を余儀なくされたのかもしれません。彼らはただ病に倒れただけなのですが、どうしてもそう見えてしまうのです。もちろん、それは言葉の力や批評の力を諦めるということではなく、これまで彼らに負わせていた役割を新しい時代の人間が担わねばならないということなのですが。

こんなことを考えながら、この変わりゆく世界の中で、再発した乳がんを抱える私は、自分が生き残れる人間なのか、それとも去って行く人間なのかということをどうしても考えてしまうのでした。なんだか、今回はちょっと暗いです、私。

【橋本治の闘病記に残された言葉】

しばらくそんな思いを巡らせたあと、久しぶりに「橋本治」でネット検索してみました。ヒットしたのは筑摩書房のwebちくまに掲載された彼の連載コラム「遠い視点、低い地平」。連載の終わりの方にはがんの闘病記と思しきものもありました。

橋本治はWEBちくまの連載のうち2回、51回で「闘病記、またしても」52回で「なぜこんなに癌になる?」という文章を書いていました。

WEBちくま「遠い地平、低い視点」

第51回「闘病記、またしても」http://www.webchikuma.jp/articles/-/1535

第52回「なぜこんなに癌になる?」http://www.webchikuma.jp/articles/-/1555

わずか2回分の闘病記で書かれたものは、自分とがんの「遠さ」。そして、その遠かったはずものがいつの間にか目の前に近づいて来ていた「不可解」。

以下、少し長くなるけれど、橋本治の文章から引用してみます。上顎洞がんの手術で腫瘍をとり、念のための放射線照射を受けた後の話です。

『・・・放射線照射が終わっても、七月段階と変わりがない。九月の秋分の日の連休前に、またしても転院で、「俺、どうなるんだろう?」と思う。死ぬ気はないけれど。

 その初めに「癌です」と言われた時、「あ、そうですか」ですませてしまった私は、癌なる病を他人事と思っている。これは私だけではなくて、多くの人がそうだろう。癌の家系でもない人が「癌」の宣告を受けたら、まず「なんで自分が?」と思うはずだ。癌はどこかで「他人事の病」だった。だから私は癌をバカにして、「さっさと治る」と思っていた。しかし、癌はもう他人事ではない。今年の三月、私の友人でエージェントをしていた男が癌で死んだ。その前年の三月にもまた一人。樹木希林も加藤剛も癌で死んだ。癌はいやらしいほど静かに近付いている。』(引用ここまで)

『「俺どうなるんだろう?」と思う、死ぬ気はないけれど。』という思いは常に私にも浮上しています。「死にたくはない」というより、やはり「死ぬ気はない」という言葉がしっくりきます。がんをバカにしているというか、自分ががんなんてものにかかって死ぬはずがないという根拠のない自信がどこかにある。

がんといえば一般的には死の病として怖がられ、告知されれば顔面蒼白になる人も多いでしょう。普通、がんというものが抗えない絶対的な位置にいて、まだ死にたくない助けて〜って誰もが懇願する。そして、悲劇の主人公のような気持になる。けれど、わからないものはわからないというところから出発する橋本治という人にとって、これまで他人事って思ってきたがんというものは、それをわかろうと考え始めるまでは態度保留で、だからこそ「バカにして」「さっさと治る」と思うこともできたのでしょうし、逆にステレオタイプなイメージに引きずられないがゆえに、絶望とか絶対的な不安ではなく、このような漠然とした、目に見えない未知のものに出会ってしまった時の手探りの不安をぼんやりと感じていたんだろうと思います。

あの「白い巨塔」の財前教授のような、「愛と死をみつめて」のミコのような、不治の病に侵されたものの劇的な結末を、これまで物語として引いた目線で見ていた自分がその当事者になっちゃうの?それってやっぱり、世の中なんか変な風に変わっちゃってない??こんなにみんながんで死んじゃって、一体何が起こっているんだ・・・

「死ぬ気はない」と思っていた橋本治も、「俺、どうなるんだろう?」と思い始めるほど、いつのまにか「がん」は世の中を蝕み、自分の体力をも奪っているのです。彼の文章を読む限りでは、体力がなくなっているのは手術の後遺症のせいで食事が満足に取れないという理由もあり、それが本当に「がん」のせいであるかどうかはわからないのですが・・・。

上記の引用部分はこう続きます。

『今や日本人の半分が癌で死ぬともいう。なぜ癌はそんなにも近づいて来るようになったのか?京大の本庶佑先生がノーベル医学生理学賞を受賞された。癌の治療薬オプジーボにつながる、免疫細胞の中にある癌細胞を攻撃する仕組を解明されたのだという。それはいい。それはいいが、「癌を治す」という方向にばかり進んで、「人はなぜ癌になるか」がほとんど解明されていない。癌は感染症じゃない(はずだ)。それなのに癌患者がどんどん増えて行くのはなぜなんだろう? 』(引用ここまで)

常に「わからないという方法」を貫き、わからないからこそ、自分で調べ、自分で考え、自分の言葉で書くということを続けて来た橋本治が最後に出会ったのが「人はなぜ癌になるか」という問いでした(正確に最後かどうかは分かりませんが)。

橋本治は律儀にも『癌は感染症じゃない(はずだ)』と書いています。一般的に感染症とは考えられていない癌についても、自分にはそれを断定するほどの知識が無いこと、また、まだ癌には解明されていないことが山のようにあるという現実認識からでしょうか、「(はずだ)」として、断定はしない。そういう細かい部分も書き添える彼は、これから先、ちゃんと「人は何故癌になるか」を考え始めようとしていたのではないか。そんな気がします。間違ってるかもしれませんけどね。

でも、私はそんながん患者・橋本治が書く「人はなぜがんになるのか」、「がんとはなにか?」という文章が読みたかった。

これまで自らの外に素材を求め、自分のことは書かなかった橋本治ですから、自らの内部に眼を向けざるを得ないものは書かなかったかもしれない。しかし、この闘病記の中で彼はこうも言っています。

「(私は今の自分の個人的な話が、他人のなんの役に立つんだ?」と思っていて、それで自分の近況的なことはほとんど書かないんですが、今度ばかりはお見逃しを)」

彼がいまだ生きていたら、「お見逃しを」といいながら、何を書き続けたのでしょう。しかし、もう彼はいない。

「がん」という医学的な話は、大抵、専門家の話をコピーペーストするような形でしか理解されないし、伝えられない。しかし、橋本治という人は(文学的なジャンルとはいえ)これまで、自らの勉強と分析で、専門家の意見の再構成ではない、説得力のある自説を展開して来ました。そんな方法でがんを語れそうな人ってほかにいるでしょうか?

もちろん、医学の分野は門外漢だからと言って、橋本治は自らがんについて語るなんてことしなかったかもしれないけれど、橋本治の「わからないという方法」に浸食されている私は、それをやってみたくなってしまったのでした。

橋本治が「なぜこんなに癌になる」の中で書いていた言葉。

それはいい。それはいいが、「癌を治す」という方向にばかり進んで、「人はなぜ癌になるか」がほとんど解明されていない。

これは、私もずっと疑問に思っていました。1000万円以上するオプジーボを使ってがんを治療する前に、こんなにがん患者を増やさない方法ってないのだろうか・・・。幹細胞であるiPS細胞で臓器を再生して移植するというけれど、幹細胞のメカニズムを探る事で、がんの発生原因はもっと明らかにならないのか・・・?

私はこれまでずっとこんなことを考えていたものだから、橋本治が最後に上記のような言葉を残したことが嬉しいというのも変だけれど、同じような問いを抱いていたという事実に背中を押されて、彼が疑問に思いながら答えを見つけられなかった「人はなぜ癌になるか」ということを考えて、書いてみたいと思ったのでした。

これから、がんに関して考えた事、学んだ事、気づいた事、がんにからんで頭に浮かんだ事はなんでもかいていこうと思います。

がん細胞は自らの細胞ですから、生物の教科書引っ張り出したり、細胞について書かれた本なんかも読んだり、代謝を司るミトコンドリアのこととか調べたり、最近は太陽からエネルギーを作る光合成なんてことも気になったりしています。それががんを治すことにどうつながるのと言われると、困っちゃうのですが、身体の仕組みや自然の仕組みを知ることは、自分の身体を理解する事にも繋がるのかなあなんて漠然と感じますし、ちょっと遠回りながんの勉強や身体の勉強の過程も書いてみたいなとか思ってます。自分の身体の中にがんがあるという前提で世の中を見渡すと、生物の教科書もブルーバックスもちょっと違って見えてくるのですよね。

また、がん患者から見ると、お医者さんたちの治療を巡る論争もどっちもどっちなんて思える時もあります。メディアがこうしたものを採り上げるとき、がんの当事者が記事書いたり、VTRの取材したりする事って稀でしょうから、やっぱり他人事で話を聞いちゃうような気がするんですよね。だから、対立する2つの意見の間に立って両方を読んでみるなんてこともやってみたい。

でも、本を読むにも時間がかかる。働かなくては治療も食ってくこともできない私です。それをやるためには、ここで書くことが仕事にならねばなかなかに大変です。なので、みなさま〜、サポートよろしくおねがいします。

また、有料記事も買って下さ〜い(まだ有料記事は配信しておりませんが)。

明日から有料記事をスタートって言っておりましたが、あと1回くらいは、まずがん患者としての私の現状と言うか、前提を書かねばならないと思っております。がんも状況によって対応の仕方は随分違って来ますし、がんは人それぞれ千差万別で、人の事を参考にすべきではないといいつつも、読んで参考にする方もいないとも限りませんから、私と全く違う状況の方が私の書いた事参考にしたりして間違わないように、最初に但し書きというか、お断りをいろいろ書いといた方がいいかと思っています。

なんだか、前置きばかりが長くなっておりますが、やっぱり命に関わることなのでね。では、次回以降もなにとぞよろしくお願い致します。

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乳がん再発の日々から考えるいろんなことを書こうと思っていますが、闘病記ではありません。また、治療法については本当にひとそれぞれで、私のやる方法が他の人にいいかどうかはわからず、基本的に、自分が集めた情報の中から自分の身体と相談して自分で決めるものだと思っていますので、治療法を勧めるものでもありません。むしろ、真似はしないで下さい。がんを治すための日々は自分を見つめ直し、また世の中をも見つめ直す日々でもあるなあってことだけ感じております。

人生なかばにて乳がん再発し人生見つめ直しているところに、人生のメンターともいえる橋本治先生ががんで亡くなったという知らせ。橋本先生が最後の…

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