私に訪れた奇跡

人生生きていると、大なり小なり、ちょっとした奇跡に巡り合うことがある。

私は子どもの頃から映画が好きで、心に残る映画はたくさんたくさんあるけれど、「太陽がいっぱい」もその1つである。

初めて見たのは小学生の時だった。かなり大人向きな映画だと思うのだが、あの悲しげで美しいテーマ音楽と、海を中心とした映像美、アラン・ドロン演じる、はかない夢に打ち砕かれる、悲しい運命を背負った青年に魅せられてしまったのだ。
そして何といっても、ラストシーン。
キラキラと輝く海と太陽の下で、やっと手に入れた幸せをかみしめながら、アラン・ドロンが
「太陽がいっぱいだ」
とつぶやく。
バックにはあのメロディーが流れて…。

いったい誰が、あんな結末を想像するだろうか!

その日から、私の心に残る1本となった。

それから何年後かはっきり覚えていないのだが、大人になってから新聞のテレビ欄に「太陽がいっぱい」を見つけ、うきうきしながら久しぶりに見た。

「やっぱりいいな-」
と思いながら鑑賞し、いよいよラストシーン。
私の大好きなあの名セリフが
「くるぞ、くるぞ」

ところが、字幕に書かれていたのは、全くの別セリフ。私の記憶違いだったのだろうか…。
がっかりした気持ちで、何げなくクレジットを眺めていると、「日本語訳 〇〇〇〇」とあった。
あれ? 戸田奈津子さんじゃなかったっけ?
不確かなまま、よく考えれば当たり前のことなんだけど、翻訳者が違うと、セリフが変わってしまうという事実に「そっか-。翻訳って大切なんだなー」と、私にとってはけっこう衝撃的な出来事となり、そのことをきっかけに、翻訳者に興味がわいた私は、戸田奈津子さんにたどり着いた。

女性映画翻訳の第一人者。ハリウッド俳優が来日した時には通訳として、よくメディアにも登場していて、映画が好きな私としては「あんな仕事ができたらいいな-」とただ、ただ戸田奈津子さんにあこがれて、尊敬し、大好きになった。

東京で働いていた時、時々町で芸能人を見かけることがあった。ドラマやバラエティのロケに出くわしたり、レストランで見かけたり。
そんな時、ミーハーな私はかなりうれしかった。

でも16年前に地元に戻ってからは、そのような出来事に出くわすこともなく、たまーにバラエティ番組の公開収録があったり、音楽関係のコンサートがあったり。

そんなある日、市が発行している広報誌を見ていたら、戸田奈津子さんの講演会の文字を見つけた。
「えっ!? 嘘でしょ?」
こんなことがあっていいのだろうか。あの戸田奈津子さんがわが町にやってくる!
私は、迷いなくチケットを購入。
その日を待ちに待って、当日、誘っていた姉と2人で出かけた。

会場は文化会館の小さな会議室。100人くらいのキャパ数だろうか。会場の小ささに驚いた。こんな所に?

いよいよ戸田奈津子さんが登場。
「わあ-本物だ!」

戸田さんは、翻訳を始めたいきさつや、苦労したこと、でも好きだったから頑張ったこと、字幕をつけることのむずかしさ、トム・クルーズの人柄など、とても興味深い話をいろいろして下さった。

そして何と、質問コーナーがあった。不覚にも想定外。
こんなことなら、色紙とか用意しておけばよかった。
後悔しながら私の頭をよぎったのは、あのずっと疑問だった「太陽がいっぱい」の字幕のこと。
もし本当に戸田奈津子さんだったとしたら、その出来事をきっかけに、翻訳の素晴らしさ、大切さを知ったことを伝えたい!

結果から言うと、私は、あまりの緊張で、手をあげることができなかった。
勇気の出なかった自分に、後悔しかない。
あんなチャンスは、もう2度とないのに。

それにしても、もやもやした気持ちは残ったものの、この町に戸田奈津子さんが来てくれて、お会いできたことは、私にとって、奇跡だった。
今考えても奇跡としか言いようがない。

もうそんなチャンスはないと思うけれど、もし、もし、再び戸田奈津子さんにお会いできる機会があったなら、今度こそ、あの疑問を聞いてみたいと思う。



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