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隠れた計算を捨てましょう

そして私の隠れた計算を捨てなければなりません。使5章でアナニヤが妻のサッピラとともにその持ち物を売り、妻も承知のうえで、その代金の一部を残しておき、ある部分を持って来て、使徒たちの足もとに置いたとあります。人を騙したのではなく、神様を騙したのです。正直にすれば良かったのです。一部を家に置いておいて、ある部分を持ってきたと言えば良かったのです。逆に残して置いたのを使う事も出来ずに、亡くなってしまいました。

神様は私よりも私の事をご存じなので、神様の御前で私が正直でいればいいのです。

聖霊の導きを受ける為には、私の生活の中心がキリストである必要があります。私の生活の中心がどこにあるでしょうか?私の生活の優先順位がどこにあるでしょうか?何かを良くするではなく、私の生活の方向はどこにあるでしょうか?私の生活のすべては何でしょうか?

私の生活の中心が福音の中にあり、生活の優先順位がキリストを味わう祈りであり、生活のすべてが福音を宣べ伝えるです。私が熱心にした、していないではなく、私の中心がどこにあるでしょうか?私の心にある事を置いて祈るではないでしょうか?心にある事を置いて祈る為に、私の心に何があるかです。これがすべてです。

ではなぜ確信がないでしょうか?4つの事を分からないから確信がありません。救われた人の中にいのちが入ってきていて、救いの中にある祝福、特権、生きていく方法を分からないので確信がありません。これらのみことばを信じれる時に、5つの確信が生まれます。

それが救いの確信、祈りの答えの確信、導きの確信、罪の赦しの確信、勝利の確信です。この確信が信仰によって来るようになります。

今日の癒しは、法事の問題です。救われていない人は亡くなったら地獄です。法事は聖書的ではありません。死者は天国と地獄を行き来できません。母が天国で祈ってくれているという考えも聖書的ではありません。亡くなった後は家族のように過ごすのではなく、違った姿で復活すると言われています。法事は悪霊と交わりをするので、偶像崇拝するようになってしまいます。みことばの確信がないと法事をしてしまうのです。

ありがとうございます(*ˊ˘ˋ*)献金は新宿キリスト教会を通して一度も福音を聞いた事のない99%の方々に福音を伝え、7000専門指導者を探し、逃れの町の教会を立て、レムナントを育てる働きに用いさせて頂きます。アブラハムの祝福があなたに臨みますように。