見出し画像

聖書的な子育て「私は誰?」

子どもたちは「私は誰?」というアイデンティティが確立されていません。

私が誰か分からないので「私は何をしたいか?」が分からないのです。

これは大人でもそうです。私は誰か?を分からずに大人になると、何をしたいか?何が好きか?も分からず、家族や教師など周りの人の圧迫の中で学校を決めたり、就職先を決めます。

今回「私と出会うノート」を作りました。私自身についての感情や心に響い事をメモしました。例えばどのように感情が反応したかを書きました。

その時に不思議な事が起こりました。観察した感情に対する答えがみことばで与えられたのです。

例えば、私の雑念を観察してみると「認められたい」「私の苦労を分かって欲しい」というのがたくさん出てきます。どうしてか?に対する答えはまだ出ていませんが、ではどうしたいか?と私自身に問いていったところ、これは創世記11章から来ていることが分かりました。創世記11章は私の名を上げたい→認められたいです。そして創世記11章は神様(キリスト)に敵対しています。認められたい=キリストに敵対する思いである事を悟ってからは、認められたいという思いが出てくる度に萎んでいきます。

そして感情が揺れ動きやすいのは、近くにいる人、家族や職場や学校の人が多いですが、特に家族に対して観察してみると、私自身に対して分かるようになると思います。

子どもがある行動をするとイライラする。怒りが湧き上がる。嬉しくなる。なぜか?これからどうしていきたいか?をノートにメモしていくと、イライラが消えるかもしれません。なぜなら自分自身を客観的に見られるようになるからです。

私は夫に対して強く言ってしまう事があります。なぜか?を自分に訊ねてみると、そうした方が早く動いてくれるから→自分中心→創世記3章であることが分かってから強く言う事が減りました。

また人や世間の目を気にする→創世記6章である事を発見すると、その行動は減るかもしれません。

この様に自分では知らない間に、私の中に創世記3·6·11章があることを発見します。それらは悪魔によって刻印されたキリストに敵対する事です。しかしキリストによって解決された事を悟るようになるので、段々しなくなっていきます。

まずは親がしてみて、小学生ぐらいからは子どもにも勧めてみれください。最初は5分、今日は何で傷ついた?嫌だった?嬉しかった?と聞いてみて、なぜそうだったのか自分自身に質問させて見てください。子どもも感じる事が出てきます。そして不思議な事に、その答えとしてみことばが礼拝や早天で与えられます。私は誰か?がみことばで確立していきます。そうすると私は何をしたいかが出てくるようになります。

ありがとうございます(*ˊ˘ˋ*)献金は新宿キリスト教会を通して一度も福音を聞いた事のない99%の方々に福音を伝え、7000専門指導者を探し、逃れの町の教会を立て、レムナントを育てる働きに用いさせて頂きます。アブラハムの祝福があなたに臨みますように。