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自分の生活を犠牲にした白衣の天使フローレンス·ナイチンゲール

「それどころか、私の主であるキリスト・イエスを知っていることのすばらしさのゆえに、いっさいのことを損と思っています。私はキリストのためにすべてのものを捨てて、それらをちりあくたと思っています。それは、私には、キリストを得、また、キリストの中にある者と認められ、律法による自分の義ではなくて、キリストを信じる信仰による義、すなわち、信仰に基づいて、神から与えられる義を持つことができる、という望みがあるからです」ピリ3:8~9

フローレンス·ナイチンゲールは、19世紀のイギリスの子どもが夢見るすべてを持っていました。親はものすごいお金持ちだったので、家が2軒ありお手伝いさんもいました。

またナイチンゲールは優れた知性も持っていました。父親は、ギリシャ語、ドイツ語、フランス語、イタリア語の読み書きが出来るように教えました。聖書もラテン語で読めるように学びました。また数学·天文学·経済学·歴史·美術·音楽·絵画·英語·地理·心理学·文学などを学びました。

しかし母親は女性はそれほどたくさん勉強しなくてよく、豊かな若い女性として結婚し、豪華に暮らす事を期待していました。

その時代、イギリスは経済的に不況でした。大部分の市民は貧しく、飢えていました。その事を知ったナイチンゲールは自分の生活を虚しく感じていました。

16歳の時にナイチンゲールは神様が自分に与えた天命があり、神様の時となった時に示してくださると確信を持ちました。そしてナイチンゲールは何時間でも数学の勉強をしました。何年後に彼女の数学的能力が、神様に召された働きに役立ちました。

それからナイチンゲールは貧しい人たちがいる所に薬や食べ物、洋服を持っていき、病気の人の面倒を見るようになりました。24歳の時に何する事が神様のみこころか確信しました。それは病院の患者の為に仕事をする事でした。彼女の家族は断固として反対しました。母親は話しかける事もしなくなりました。

その時代の病院は、暗くてむかむかする臭いが漂い、床は一度も掃除した事がなく、壁は汚物やカビで覆われていました。患者は汚ない格好で病院にきてそのまま入院していました。

様々な病気にかかった患者が、一つの部屋にギュウギュウ詰めでした。臭うので医者はハンカチで鼻を覆って回診することもよくありました。若い女性は病院で仕事しようとしませんでした。看護士はお酒に酔っていたりして、不潔でだらしない仕事だと思われていました。

ナイチンゲールはイギリスと大陸の病院看護についての政府の報道を読みました。彼女は神様の召しに従うか、家族の願いに従うか深刻に悩み27歳で神経衰弱にかかります。

友人たちは休息の為にナイチンゲールをローマに送りました。そこで彼女はシドニー·ハーバートと友達になります。

そして教会の女性たちが患者を看病している、ドイツのある病院に行きました。立派な看護が患者の状態を変える事できるという事を悟ったナイチンゲールは、自分の夢を追求する勇気を得ました。

ナイチンゲールはフランス、ドイツ、イギリスにある様々な病院にアンケートを送りました。そして数年勉強した結果、看護業務の専門家になりました。そしてあるロンドンにある病院の責任者になりましたが、その仕事がとても好きでした。

ロシアがトルコの船を攻撃し、ロシア対トルコ、イギリス、フランスの戦争が始まりました。これがクリミア戦争です。

この戦争でナイチンゲールはイギリスの長官となっていた友人シドニー·ハーバートからの要請で野戦病院を運営します。医者たちは一人の女性が環境を変えようとしている事を嫌い無視しましたが、多くの負傷兵が病院に波のように押しかけたので、彼女の助けを受ける事にしました。

ナイチンゲールと看護士たちはトイレ掃除から始め、奴隷のように仕事をして、病院を掃除し、兵士たちに清潔な布団とパジャマ、健康に良い食事を提供しました。その結果、死亡率が40%から2%に減りました。

ナイチンゲールは一日20時間仕事をし、兵士たちの痛みを減らす為に自分できるすべての努力を払いました。もっとたくさんの病室が必要になった時に、彼女は自分で費用を払い、壁を立てました。兵士たちは家族に送った手紙に、ナイチンゲールの親切さに言及し、どれほど彼女を愛し感謝しているか言及しました。彼女は有名になりました。

故郷にいる人たちはもっとたくさんの補強品を買いなさいとお金を送り始めました。ナイチンゲールの仕事を恥ずかしく思っていた家族も大きな自負心を持つようになりました。

病院は下水溝の上にありました。ナイチンゲールは下水溝の水をすべて抜いて消毒しました。そしたら死亡率が80%も減りました。伝染病の患者を隔離したら時も死亡率が減りました。しかしナイチンゲールは病気にかかり寝たきりになってしまいます。

ヴィクトリア女王は、ナイチンゲールを招待し彼女のアイディアを聞きました。ナイチンゲールは何を変えるべきか研究する為の政府次元の委員会を組織する事を提案しました。当時は女性が高位職を任される事が許されていなかったので、友人であるシドニー·ハーバートが責任者となりましたが、大部分の仕事はナイチンゲールがしていました。

次にナイチンゲールはロンドンで看護士養成学校を始めます。彼女は看護業と病院についての本を続けて書きました。アメリカの南北戦争でもナイチンゲールは北部の病院を建てるのに大きな助けを与えました。

ナイチンゲールは更に体が弱まり歩けなくなりますが、政治家たちや病院関係者たちは助言を求める為に彼女を訪ね、彼女も継続的に本や報告書を書き続けました。

ナイチンゲールは90歳まで生きました。息を引き取るまで彼女は看護士たちから尊敬され、イギリスや全世界の病院の運営方式を革命的に変えました。例えばナースコールやナースステーション、病床の配置もナイチンゲールが考案したものです。

ナイチンゲールは神様の天命を悟り、看護という仕事を生涯愛しました。その為に他の人が見ることができない事を見て変えていきました。実際にナイチンゲールが看護の仕事をしたのは2年半と言われています。残りの時間はヴィクトリア女王や人たちに「当時の陸軍病院の死亡の大半は戦争によるケガなどではなく、院内の劣悪な衛生環境にある」事を分かりやすく説明する為に、レーダーチャートや鶏のとさかグラフなど統計学の基礎を作りだしました。また150冊に及ぶ本を書き、世界の看護を変える働きをしたのです。

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