見出し画像

あなたを取り戻す時間に使えばいい

こんにちは。ボンベイボンボンです。
少し時間が出来たので久しぶりにnoteを開きました。スキ!をいただいたりフォローしてくれてる方がいたり、コメントくれたり、なんだかひとりじゃないんだって思えます。

最近やっと住んでいる地域の不登校の親のコミュニティに入った。
そうすると、また、知らなかった事を知り、私の世界が少し広がった。
私はさみしかったし、いろんな事が手探りで不安で、誰かと話しがしたかったんだ。
不安やさみしさを隠すことで精一杯で、私は大丈夫!と頑張って言い聞かせていたように思う。

だから、、、気が付かなかったのかもしれない。

ずっと前から、息子が息子らしくなくなっていた事に気がついてなかった。変わったことには気がついていたけど、息子の自由な発想が少しずつ無くなっていた事を成長と勘違いしていた。1年生になってしっかりしてきて、いろんな事が出来るようになってきて、話も通じるし、けっこう対等に話ができるようになってきたなぁ。なんて、呑気に思っていたが、空気を読む息子は無理をしていたようだ。
最近、自由な発想をするトンチンカンな息子が戻ってきた。突飛な発想で私や夫を驚かせてくれる息子が少し戻ってきた。嬉しい。
毎日が発見に満ちてきた。
息子の着眼点が私は好きだ。
なんでもやってみればいいと思う。
保育園の頃は毎日毎日何かを創り大人を驚かせていた。彼の創り出すモノは言葉も多く、ネーミングセンスが良いと言われよく採用されていたみたいで、家に帰ってよく採用された事を嬉しそうに話してくれた。
そんな息子のやる事は小学生になっても、みんなを惹きつけると、1年生になってすぐの面談で担任の先生からも話があった。
だから、順調なんだと思っていた。
そんな息子をあまり良く思わない子が居たとしても大丈夫だと思っていた。だけど、小学校はそんなに自由ではなかった。
そりゃそうだ。
自由にやっていい時間はほぼない。
大好きな図工だって息子にとっては自由度は少なかったようだ。
今思えば、
「え?自由につくってもいいの?」
「僕の好きなようにしてもいいの?ほんとに?」
息子が時々そんな事を言うようになっていた。
どれだけ彼は不自由だと感じていたのだろうか。
家でもちゃんとする事を求めていたように思う。家で出来なければ学校でも出来ないだろう。大変な思いをするのは息子だから、きちんとする事を家でもしっかりと教えておかなければと思ってしまっていた。
だけど、それは間違いで、息子は学校ではきちんと出来ていた。家では自由に過ごせば良かったんだろう。
誰かの基準の完璧なんて求めても求めても辿り着けないのに何か親の私がちゃんとやっていると思ってもらいたくて必死になってしまっていたんだと思う。

少しずつだけど息子のじかんが動き出した気がする。本音を言えば、勉強もやってもらいたいし、学校にも行ってくれたらなと思うけれど、今は何かを自由に創る息子を取り戻して欲しいから例え家の中に土を持ち込まれようと、絵の具でやばい事になっていようと、家中の廃材が大変な事になっていようと見守ろうと思う(笑)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?