黒澤明『生きる』を観る前に。

加藤サイセイです。これから『生きる』を観ようと思います。

『生きる』という映画が好きで、たぶん2回くらい観たことがあると思います。偶然同じ映画を2回観ちゃうこともあると思いますが、でもでもどんな理由であれ2回観てしまえばそれは好きと言って構いません。別に1回でもいいし、0回でも好きと言っていいと思います。

私は黒澤明さんの映画はそんなに見たことがありません。というか映画自体そんなに観る方ではありません。
最初にどういう経緯でこれを観たのかは覚えていません。でも確か、黒澤明作品で最初に観た映画だったような気がします。
タイトルがいいですよね。『生きる』

で。最近なんか『生きる』が頭の中にゆらゆらしているわけですよ。なんでか知らないけれど。
どっかで誰かが話してるのを見たのかな?
『生きる』と言えば爆笑問題の太田さんですよね。たぶん色んな所で語っていると思うけど、YouTubeで見られると思います。神田松之丞さん(当時)と話しているやつが。

で、やっぱりラストがいいんですよね。
そんなにシンプルでは無いんだけれど、言ってしまうと「人は変わらないなあ。」みたいなことなんですよ。たぶんそれ自体を表現しようとしているとかじゃなく、もっと人間の全体的な話ではあると思うんだけれど。

うろ覚えのあらすじ。
公務員である主人公のおじさんが余命宣告を受けて、最後に何か残したいと思って公園を作る。今まで仕事なんて全然やる気がなかったんだけど、周りの人間にも頼み込んで協力してもらって。で、周りの人間も全然仕事に対してやる気がなかったんだけど、主人公のお陰でやる気が出てくるわけ。そして公園は完成するんだけど、やっぱり主人公は死んでしまう。公園が完成した時他のみんなもすげえ喜んで、主人公が亡くなった時は悲しんで。してるんだけど、亡くなったら、あれだけやる気出してた同僚たちは、前みたいにまたやる気なく仕事してるわけ。それで話は終わり。みたいな感じだったと思う。

たぶん、個人の人間が変化することは有っても全体として変わり続けるってことはそうそう無いんじゃないかって。あるいは仕組みやシステムは変わっても中にいる人間は変わらないとか。つまり多くの人間は変わらない、変わろうとしない、むしろ変わりたくない、と思ってるんじゃないかな。ある瞬間、ある期間だけ変わる、変わろうとするってことはあっても、「喉元過ぎれば熱さを忘れる」じゃないけど。それまでに長年かけて付いた癖はちょっとやそっとじゃ別の方向には癖付かないんじゃないかと思う。形状記憶メガネとかあったけど、あんな感じで。

ていうのが『生きる』に対するイメージ(+現時点での解釈)
というわけで観ます。

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