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『これまでの10年とこれからの10年』

あの日、長女は仙台空港にいた。14時20分発福岡行きのチケットを持ち
ラウンジで搭乗案内を待っていた。
わたしは石巻市の津波が来た場所にある会社で研修を受けていた。お昼休みにコンビニに行って、その駐車場で昼食を食べた後、車で休憩しながら長女に電話をした。元気そうだった。もうすぐ福岡のCA養成学校の受験のために初めてのフライトで福岡空港に向かう。
長女の夢はCAになって世界中を飛び回ることだった。
父親である私は、猛烈に反対した。様々な「できない」理由を並べ立てて、君には無理だ、と説得しようとした。私は今思えば
長女のドリームキラーになっていた。情けない親だった。それでも
長女は、絶対にCAになると言って譲らなかった。仕方なく受験することに同意した。18歳の決意はぶれなかった。
東日本大震災発災前の約20分前に仙台空港から、震災前の仙台空港最後のフライトであるその飛行機は長女を乗せて離陸していった。
一泊二日の予定で福岡に行ったのだが、それから2か月近く長女は自宅に戻れなかった。その折の福岡の方々の長女に対する「寄り添い」は、徹底していた。
あらゆるものを支援していただいた。何もできなかった故郷の親に代わって、学校の院長先生はじめ、教師の先生方、寮の関係者、そして多くの福岡の親戚でも友人でもなかった方々の無償の寄り添いがあった。

2年後に国際線のCAとして長女は世界中を飛び回るという、夢を実現した。

震災から一年後、我が家族は仮設住宅に移り住んだ。そして六年余り住んだのだが、その仮設住宅も今はない。
今現在私は第二の故郷となりつつある仙台市に住んでいる。

たくさんの出会いがあり、そして多くの別れがあったこの十年。その戒めを心に今度はわたしが、夢を実現するために、ひたすら行動を始めている。
成功の反対は、失敗ではない。失敗によって人は学び、失敗という土壌の上に幸福という花は咲く。ひたすら目の前の一人に寄り添いながら、私自身の夢の実現目指して10年後へ突き進もうと思う。夢をあきらめない。それが長女をはじめ子供達から教えていただいた多くの宝物の中の一つである。

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