第6話
腰掛けたベンチはほのかに温かく、頬を掠める風はまだ冷たさを残している。
遠く深海のように冷たい空を、まだ生き残っていたのかパステルピンクの花びらが宙を踊っている。
その景色が嫌に胸を締め付けるから、俺は瞳を閉じてミルクティーのカンカンを額に当てた。
俺の春は、花が咲く前に散った。
初めての学ランを俺が、あなたにいの一番に見せに家へ向かったあの日から、あなたは俺の前から姿を消した。
真実を教えられたのは、それからちょうど3年後の桜の匂いが心くすぐる季節の頃。
部活なんてしなかった。
ひたすらアルバイトに明け暮れた。
原則禁止だったから、バレた時には揉めたけど、アルバイトを転々としてやり抜いた。
1度でよかった。見て欲しかった。
俺はずっと、遠くに消えたあなたを追いかけている。
理由が知りたかったんだ。
都心へ引っ越す費用は用意出来た。
大学費用は、奨学金でなんとか繋げる。
受験費だけ、頭を下げて親父に出してもらったけど、あなたが入学した大学へと俺は辿り着いた。
『後悔しないな?』
『俺は、何も分からないままの方が後悔すると思うから』
『そうか。なら、好きにしなさい』
1年前、親父と交したやり取りはそういう意味だったんだと入学してから知ることになる。
親父たちは知っていたんだ。
知っていて、教えてくれなかったんだ。
結局俺は、あなたがいた校舎であなたが迎えられなかった春を迎えている。
なんのためにここに来たんだろうか。
俺はただもう一度ーー
「羽衣……?」
しばらく聞くことのなかった懐かしい名前、そして恋しいその名前を自然に口にした男の人が、私の瞳を覗き込んできた。
ベリオドールを思わせる虹彩の双眸を、私は知っている。
お姉ちゃんに似ている。でも、そうじゃない。
お姉ちゃんの宝物の中にいたんだ。
遺品整理をしていた時、見つけた日記に挟まっていたボロボロの写真にこの瞳があった。
カメラにピースを向けるお姉ちゃんと、泥だらけの男の子、そして、お姉ちゃんの影に隠れて男の子を警戒してる私が写った小学校の運動会の写真。
私の記憶にはない写真。
私とお姉ちゃんが小学校が一緒なのは、2年の時しかない。翌年にはお姉ちゃんは学ラン姿だったから。だから、私が覚えていない頃の写真。
お姉ちゃんが好きになってしまった男の子。
想いを伝えたくて伝えたくて、日記の中で嘆き続けた相手・成瀬コウくん。
『長生きできない私は、恋愛しちゃダメ』
『でも、叶うことならもっと一緒にいたい』
『私は成瀬コウが好きなんだ』
彼の目の中の虚像の私は、とても冴えなくて、頼りなくて、枯れた藤の花のようで。
嫌だなと思った。
なんのためにここに来たんだろう。
私はただーー
俺はただ
私はただ
もう一度あなたに
お姉ちゃんみたいに
会いたかったんだ。
成りたかったんだ。
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