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逃げ場所としての、公園


大人になってから行く、公園ってどんなものだろうか。あるいは、東京には公園なんだか庭園なんだかよくわからないところもたくさんある。例えば、新宿御苑とか。皇居の周りだとか。

私はよく、何かから逃げたくなった時に、公園にいく。

とにかく緑をみて、マイナスイオンを浴びて、できれば美味しいカフェモカなんかを持って歩き回ってみたり、ぼーっと座ってみたり、たまには寝転んでみたりする。

そうしてみると、なんだかちょっとだけ、自分の中のエネルギーが回復されていくような気がするのだ。

公園とゆうのは、いろんなものを受けれ入れてくれる気がする。何もしなくてもいいし、本を読んでもいいし、勉強したっていいし、頑張れば仕事もできるかもしれない。おしゃべりだって、時間を気にせずできる。なんだそんな風に、自然であるけれども、自然すぎない、心地よい空間なのだ。

私は今までたくさん、いろんな時に公園を通ったように思う。大学生の時は、卒業論文を芝生に寝っ転がって書いていたし、大学院生の時には公園でピクニックをすることも覚えたし、社会人になってからは嫌なことがあれば昼休みにひたすら公園を散歩したりもしていた。最近では、夜でも開いている公園や河原に行っては、長電話をしたりしている。

もちろんそんなの、家でもいいし、カフェでもいい。だけれどもなんだか、公園に行くとすごく、「自分がちっぽけなものであること」を確認できるのだ。

大きな樹木をみると、彼らがずっとそこに存在している年月を思えば、自分自身とか小さな悩みは、大したことが無いように思えてくる。そんな力が、自然にはあるように思うのです。

だからこそもっともっと、いつでもどんな時でも受け入れてくれる公園が、街中に増えていけばいいのになってことを、よく思います。子供の遊び場でもなく、ただただ空間があって、人を受け入れてくれるような場所があるところが。

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