半島の夢〜吉夢か凶夢か〜

1392年 高麗の武将である李成桂(りせいけい)は高麗王を廃位し、新たに権知高麗国事を名乗り朝鮮半島を支配。

1393年 中華を治めていた明により朝鮮の国号を下賜され権知朝鮮国事として正式に封じられる。

1401年 第3代国王李芳遠(りほうえん)の時に朝鮮王として正式に明の冊封体制に封じられ全盛期を迎える。
しかし同時に民を顧みない両班と呼ばれる高級貴族の腐敗は既に始まっており、以後数百年に渡り様々な党派に分かれ派閥抗争に明け暮れる。

半島の政治は暗い迷い道へと紛れ込んだ。


そして400年後…

老論派両班の領袖である金祖淳は国王純祖の元へ娘を入内させると、正妃純元王后となった娘を通して言葉巧みに自身を要職に就かせ、瞬く間に権力を安東金氏のみで壟断。
宮廷を外戚によりほしいままにする勢道政治を取り仕切った。

手足を捥がれた国王は為す術もなく、政治に対する情熱を失い掛けたが、世継ぎである若き王世子、孝明世子は違った。

両班の私利私欲によって、賄賂や怠慢が蔓延る政治的腐敗と、民への傍若無人な振る舞いや苛斂誅求な搾取が平然とまかり通る世情が、安東金氏が政権を掌握するや輪にかけて酷くなるのを目の当たりにした彼は、朝鮮の母体を揺るがし兼ねない独裁に危機感を募らせていた。

そして、その思いを持つ改革者がもう一人。

その男の名は朴珪寿。

実学の大家である祖父を持つ彼は収奪するだけでなんら義務を果たさない両班に憤りを覚えていたが、何も出来ない自分にも不甲斐無さを感じていた…しかし、そんな時に彼は孝明世子に出会った。

2人は誼を通じ朝鮮の未来についてよく語ったが、この日も首都である漢城府から眺める漢江に照らされた月明かりは、朝鮮の望みがまだ潰えず飛躍する証のように、きらりきらりと迸り2人の志を鼓舞するのであった。

朴珪寿は孝明世子が摂政に就任する内示を得たと静かに告げた。

打倒安東金氏を掲げ、この手に権力を掴み取る為、内密に国王に働きかけた成果が実を結んだのだ。

志半ばで斃れるかもしれないが、孝明世子は政治の表舞台に立てる喜びいっぱいに、明日に向かって雄叫びを上げた。

そして荒ぶる咆哮は、この後の未来を予言するかのように朝鮮の暗闇を裂いた。


一方…

その頃西洋では数年前に朝鮮を訪れた冒険家のバジルホールが“朝鮮・琉球航海記”を発表。

瞬く間に人気を博し、欲望に塗れた目にアジアは晒された。

朝鮮への外圧による触手もまた、すぐそこまで迫っていた…


【序章:勢道政治時代】
主人公:李是応(りかおう)
【第一章:李氏朝鮮時代】
主人公:朴珪寿(ぼくけいじゅ)
【第ニ章:李氏朝鮮時代】
主人公:金玉均(きんぎょくきん)
【第三章:大韓帝国時代】
主人公:シークレット
【第四章:朝鮮総督府時代】
主人公:シークレット
【第五章:朝鮮総督府時代】
主人公:シークレット
【第六章:連合軍軍政期時代】
主人公:シークレット
【終章:半島分断時代】
主人公:未定
※第六章で完結する可能性あり

【序章:勢道政治時代】
主人公:李是応(りかおう)

遡ること30年前…

孝明世子による改革は挫折していた。

国王純宗は若干18歳の孝明世子を摂政とし、世子は次々に改革を断行。

宮廷儀式の刷新、戸籍法の整備、刑罰の改善など、まずは綱紀粛正に努め、この国の実態を掴み管理する事で明日に向かって牽引する土台を整えていった。

そして正妃神貞王后の父である趙万永を筆頭に豊穣趙氏を率いて、貪官汚吏を斥け、新しい人材を発掘した。
無論朴珪寿がその一員だったのは言うまでもない。

安東金氏は追い詰められ改革は成功していくかにみえた…が執政者として3年掛け王権を完全に取り戻したと確信した瞬間、孝明世子は喀血し、翌月亡くなった。

享年22歳。

改革派は偉大な盟主のあまりにも若すぎる死に悄然とし、新体制は呆気なく崩壊した。

そして不幸な事に息子の死をもって純元王后は権力の座に舞い戻り、安東金氏は再び復権。

老いた父金祖淳に代わって純元王后は辛酸を舐めた自らの過去を戒め、絶大なる女帝として君臨すべく後継者問題に着手し、孝明世子の一粒種であった幼子を手中に収めるや憲宗として即位させ、自らが政治の舵を取り垂簾聴政を敷いた。

そして以後30年間、純元王后と共に憲宗の国舅となった金汶根が安東金氏の新たなる領袖として国政を牛耳り、民衆が虐げられる圧政はまたもや朝鮮の民衆を苦しめ、悲観に明け暮れる時代が続いた。

孝明世子の夢見た未来は朴珪寿に託されたが、後ろ盾を失くした彼はその後不遇の時代を過ごし、水面下で争われる安東金氏と豊穣趙氏の権力闘争に没頭し抗するのが精一杯で、なすすべなく各地で力無き民の反乱を傍観するしかなかった。

やがて成長し親政を始めた憲宗は、権力闘争をまとめ上げ国難に取り組む事が責務であったが、度重なる水害や伝染病の蔓延で流民が溢れて益々国力は衰退し、西欧列強による政治的圧迫を受け政情は混乱するなど、何ら策を講じるわけでもなく籠の中に囚われたままで、失意のうちに父と同じくして22歳という若さで亡くなった。

孝明世子の血は断絶した。

そして本来なら後継者として有望な人材を推挙すべき次期国王の任命権を持つ最長老の純元王后は、指導者として相応しい人物を選ぶべきであったが、血が薄く繋がっただけの全く政治的な力を持たない人物を探し出し宮廷に呼び寄せると、自らの操り人形とすべく王位を継がせた。

それが哲宗である。

謀反の企てに連座して流刑地に送られ、自給自足により糊口を凌いでいた哲宗は、政治の何たるかどころか、宮廷生活すらも覚束ず、なすがままに純元王后の傀儡となった。

彼は自らの無力さから、暫くして自暴自棄となり酒色に耽る事になるが、終生流刑地の暮らしぶりを懐かしんでいたという。

朝鮮の政治形態は形骸化して、もはや機能せずに崩壊を告げ、安東金氏の私腹を肥やすだけで、ひたすら亡国の道へと突き進んでいた。

しかし、ここに李是応という男が現れる。

彼もまた王族としては傍系であったが為に困窮し、自ら描いた絵を両班に売り雨露をしのぐなど、およそ王族とは思えない生活を強いられていた。
しかし哲宗と大きく違う点は、彼が中央にいた事であった。

宮廷の内情をつぶさに観察していた彼は、安東金氏による王族への監視の目を掻い潜る為に、敢えて道化を演じ凡愚を装っていた。

無頼の徒と付き合い酒色に溺れたかのように装った彼は、品位のかけらもなく身なりも構わず、有力者達から金品を無心しては侮りを受けていたが、その結果安東金氏からは“放蕩の限りを尽くす無能者”と蔑まれ危険視されなかった。

しかし彼は虎視眈々と策謀を練り、朝鮮の現状打開を胸に秘めた各方面の心ある有力者達を見つけ出し、密かに気脈を通じる事で政権転覆の野望に向け着々と準備を進めていた。

彼は庶民と触れ合う事で世情を掴み、また無頼の徒と交わる事で手練手管を用いて血を見る事も厭わない、清濁併せ持つ一廉の人物として成長を遂げていたが、未だに叛乱の意志があるとは誰からも悟られていなかった。

その気持ちを吐露するのは成否を決める豊穣趙氏の要、孝明世子の正妃であった神貞王后の前でなくてはならなかったのだ。

神貞王后の甥と親交を結ぶと慎重に会談を申し入れ、それが受け入れられると、遂にその時が訪れたと神貞王后の眼前で胸の内を晒した。

神貞王后は朴珪寿を呼び相談を終えると、その後も密議を重ね、孝明世子の意思を継ぐ者として今後は後ろ盾となって協力する事を約束した。

李是応は悲願を成就する迄は喜ぶまいと心に定めていたが、迸る感情は抑えきれず拳に力を込めた。

そしてまた一方、安東金氏側にも協力を取り付けようと、代替わりする際に起きうる次世代の派閥抗争で主流派からは外れそうな金炳学と気脈を通じ、来たる日には自らの味方に招き入れようと画策していた。

密かに両陣営に誼を通じつつ、表向きはまだ人畜無害を装い続けた李是応であったが、高齢であった純元王后が亡くなり、安東金氏を率いていた金汶根も相次ぎ亡くなった事により、決起の時は近づきつつあった。

安東金氏の全権を引き継いだのは安東金氏の良心ともいえる長老格の金左根ではあったが、まだ一族の統制が取り切れてはおらず、つけ込む隙は今しか無かった。

ただし慣例により既に次期国王の任命権は趙氏出身の神貞王后に移譲されており、次点で金氏出身である哲仁王后が控えているとはいえ、もし現国王の哲宗が先先代正室の神貞王后より先に亡くなれば、安東金氏の専横には楔が打たれるだけでなく、政変を起こす事なく政局が大きく動き出すという構図も整えられており、打つべき政治的手段は李是応を迷わせた。

しかし逡巡する間もなく事態は進展した。
金汶根の死から1年も経たずに33歳の若さで哲宗が亡くなり、政治的な障壁を気にする事なく政権移譲が出来る好機が到来。

大王大妃であった神貞王后が指名したのは、密約通り李是応の息子であり、高宗として即位した。

ここに来て、李是応の念願は叶った。

表向きは幼君に成り代わって垂簾聴政を行う神貞王后の補佐として摂政を任じられたが、その実態は全権委任に近かった。

国王の岳父となった事で、李是応は世を惑わす仮の姿は捨て去り豹変、覚醒して改革断行に立ち上がった。

まず手始めに宮廷を牛耳る権門の極みたる安東金氏の要職を一斉に剥奪し、代わりに王族を起用する事で王権強化し基盤を固め、同じく最大党派の老論派の一党独裁を阻止すべく各党派の人材を均等に登用し、諸派勢力の均衡を図った。
加えて李朝400年の慣習を破って庶子による科挙を認め官職に抜擢するなど、王権による専制政治を目指しつつ、党派や身分の貴賎に捉われない能力主義を推奨した。

また制度改革による綱紀粛正を徹底し、腐敗した貪官汚吏を取り締まり、法典整備する事で税収の正常化や庶民の困窮を保護するなど、民を守り国を豊かにする政策を次々に実行。

そして軍事と行政の構造改革にも大鉈を振るい、無用な権威のみ蔓延る仕組み全てを撤廃し、機能不全に陥っていた指揮系統を再整備する事で中央集権化に成功、完全に国内の統制を掌握した。

とはいえ神貞王后に代表されるように、核となる支持基盤には各勢力の心ある改革者達の賛同が不可欠であり、新体制の骨組みの重要な要素を占める関係性は保持したままであったので、各勢力の完全なる排除は目指さず、各勢力との調整を計りながら、自らの意思を実現すべく政権運営を担った。

安東金氏による長年の暴政により酷吏の横暴は民衆を虐げ続け、後年壬戌民乱と呼ばれる民衆蜂起は全土に拡大し、反乱も未だに燻り続けていたが、李是応の大改革は疲弊した民心を一時的には掴むことは出来た。

苦しみに喘いだ門閥政治は終わりを告げ、このまま朝鮮は再建すべく、明るい未来が待っているはずだった。

朝鮮は立ち直る。

多くの者がそう思った。

しかし、時代がそれを許さなかった…


【第一章:李氏朝鮮後期】
主人公:朴珪寿(ぼくけいじゅ)

李是応が李是応であるうちは良かった。

しかし彼の名は高宗の岳父、悪名高き大院君として知られる。

彼が目指した世は古き良き朝鮮であり、その排外主義思想は近代化を拒んだ。

その結果欧米列強に対しても攘夷思想を募らせ戦端を開き、外交的敗北を気付かぬうちに重ね続けた。

そして彼はもう一つ大きな過ちを犯した。

大院君は国王高宗の正妃選びに門閥からの影響を排除すべく、神貞王后の頼みであろうと有力門閥からの要請を言葉巧みに斥けた。

そして外戚として力を持たない大院君夫人の一族閔氏から高宗の正妃を選んだ。

大院君は政治基盤である各派閥の均衡を保障しつつも、その力を徐々に削ぐ事も忘れていなかったのだ。

しかし、この事が再び朝鮮を衰亡させる事になるとは、この時は誰しもが思わなかった。

後に明成皇后と称される正妃は、何ら影響力の持たない人形として期待され誕生した。

その名は閔妃。

後に大院君と血みどろの権力闘争を繰り広げる妖女が宮廷に居座った。

とはいえ大院君の厳格な綱紀粛正により宮廷は能力ある者や清廉の士が集った…筈であった。

朴珪寿もまた大院君の側に仕える事で政治の表舞台に立ち、朝鮮の行く末を担っていた。

しかし大院君の権力は、いつしか強大になり過ぎた。

彼が正しい道標を示すうちは、それで良かったが、一度誤った道へ逸れたとしても逆らう者が誰もいなかった…嘗ての権門勢家を除いては。

1866年、大院君が政権奪取した3年後、欧米列強の朝鮮への要求が本格化し始めた。

まずロシアが通商を求め、それを機に国内のキリスト教徒がフランスとイギリスの同盟によりロシアの南下を防ぐようにと外交に関与し始めたので、外患誘致を恐れた大院君は反乱分子と見做し、武官の李景夏指揮のもとフランス人司教を含めキリスト教徒弾圧を強行し、数千人以上を処刑した。

そしてアメリカも通商を求めて来航し、今度は慣例通りに燃料だけを補給し追い返す手筈であったが、武装商船シャーマン号は退去せず朝鮮の使者を捕縛し近隣住民が砲撃された事で、文官の朴珪寿が派遣された。

実学者の家系に生まれた朴珪寿は、開国し近代化する必要性を最も痛感しながらも、下手に出て握手を交わせるほど当時の列強が生易しい物とは考えてはいなかった。

おそらく自立心のない対応は軽蔑を受けて通用せず、友好的ではなく支配的な従属関係に陥るであろう、そう看破したのかもしれない。

彼は開国派でありながら、大院君の望み通りシャーマン号を焼き討ちし、乗組員全員を殺害した。

報復として、まずフランス極東軍ローズ海軍少将が本国への承認を待たずに独断で動いた。

しかし計画性のない武力行使は、改革のもと精鋭を揃えた武官の李景夏によって徹底抗戦を受け、近代化の武器を要しても首都漢城府まで迫る事は容易ではなかった。

已む無く首都に至る漢江を封鎖すべく、江華島を占拠し河口付近を制圧した事で、謝罪と賠償、それに伴う王位の移譲を要求したが、高圧的な交渉は益々大院君を奮い立たせ、時と共に動員兵力が数十倍に増えた事で、フランス軍は一定の報復は果たしたと一方的に宣言し撤退した。

朝鮮は武力侵攻を退けた。

そして数年後にシャーマン号の報復の為に正式な手続きを経て、今度はアメリカからアジア艦隊司令官ロジャーズ少将が派遣されると、瞬く間に江華島を襲撃、海兵隊を本土に上陸させ魚在淵将軍を戦死させる戦果を上げるや、謝罪と通商を認めさせる交渉に入った。

しかし、こちらも圧倒的な武力行使で劣勢に立たされたといえども、大院君は頑なに通商を拒み、アメリカの目的は果たせなかった。

結果的にアメリカ艦隊は撤退したものの、今回は近代化された軍隊に只々朝鮮軍は蹂躙されるままであったが、大院君は難が去った事によって鎖国攘夷を更に硬化させ自信を深めた。

一方朴珪寿の政治姿勢は愛国者という矜持と共に、外国諸国との対決姿勢を崩さず、心ある者たちへ、民族の誇りを奮起させた。

惰眠を貪る民衆の心に訴えかける賭けでもあり、危機に陥り苦境にも陥ったが、ひとまず朝鮮という母体は持ち堪えた。

彼は大院君に楯突いて失脚する事よりも、政権に残り職務を全うする事を心掛け、朝鮮の未来に向かって二律背反する行動を内包しながら、次代に向けて楔を打ち込んだ。

彼の邸宅では金玉均を始めとする後の開化派の中心人物達が集い、若き血潮を激らせ議論を活発にぶつけ合う事で、朝鮮の未来に向けて志し高き者たちが育まれていたのだ。

もはや彼の目には大院君は写っていなかった。

彼の主君は朝鮮という国そのものであった。

そして大院君は二度に渡る襲撃を跳ね除けた事で一時的に民衆の支持を得たが、その結果独裁が加速し、次第に巧みな気遣いによる調整成果により協力を仰いでいた門閥や党派といった旧権門勢家の支持を失いつつあった。

一言で言えば大院君はやり過ぎた。

嘗ての力は無くとも、壊滅されるのを座して待つほど大人しくはなかった保守勢力は、生き残りを懸けて互いに手を結び、閔妃に近づいた。

果たして…

その時は訪れた。

高宗は政治に一切興味を抱く事なく漁色に励み放蕩三昧であったので、大院君は油断していたが、閔妃を通して保守勢力が纏まり、老論派の領袖の崔益鉉が大院君へ弾劾の上疏を上げたのを皮切りに、旧権門勢家は廟堂で大院君に詰め寄り政権奪還を果たした。

親政政治の宣言である。

神貞王后は朴珪寿を通して高宗の後ろ盾となった。

大院君は失脚した。

しかし、この時誰もが予想だにしない事が起こった。

閔妃の変心である。

自身の特異な立場を閔妃は皮膚感覚で理解して、完全に利用した。

閔妃が最初に夢見た理想の王妃の座は、安東金氏が蔓延り、民が苦しもうが国を私物化して贅沢の粋を極めた絢爛豪華な純元王后の時代だった。

再び朝鮮の地は腐敗という毒が染み渡る事態に陥った。

その頃…

隣国日本では朝鮮との外交問題が浮上して征韓論争が巻き起こっていた。

これまで日本は公式の使者を幾度となく朝鮮へ送り国交を求めていたが、大院君は伝統的な国風を捨て去り、洋風に染まった明治政府を嫌悪して一切認めず、近代化の共有という絶好の機会を逸していた。

しかし政権交代した高宗、いや閔妃はどうなのか…そんな折、日本の軍艦が江華島にて砲撃を受けた。

後世の史家により計画的挑発と疑われるこの交戦を切っ掛けに、朝鮮は皮肉にも外交権を持つ独立した国として国際的に認識され開国する事に至る日朝修好条規を結んだ。

政権奪取直後は閔妃の外交は一族の伝手を活かして宗主国の清を頼りきるものであり、そもそもの大院君との軋轢も世継ぎ問題で閔妃の実子を排除する動きを阻止すべく、閔妃が清に賄賂を贈って駆け込んだ事で、冊封体制下の慣習として承認してもらったという経緯があるので、欧米諸国は朝鮮独自の外交判断能力の是非には極めて懐疑の目を向けていた。

しかし、日本の軍艦に砲台を破壊され上陸を難なく許してしまった圧倒的な力の差を思い知らされた朝鮮の宮廷は慌てふためき、理に聡い閔妃はすかさず近代化の必要性を痛感して、昨年高齢のために引退していた開化派朴珪寿を急遽招聘し、外交方針を和戦近代化に転換する。

この場当たり的で軸のない外交方針は、一見目の前の問題を回避出来たようでいて、時には支持した人々や関係した諸外国を期待させたが、あまりの一貫性の無さに全ての人々が振り回され、最終的には支持勢力や国際的信用の全てを喪失していく。

そして最初に閔妃に捨てられた旧権門勢家の保守派はこの一件でしばらく鳴りを潜める事になるが、蟄居させられていた大院君は閔妃への恨みを募らせたまま、虎視眈々と政権返り咲きを狙って反閔妃の匂いを嗅ぎつけていた。

とはいえ、近代化に向けて朝鮮が動き出した事は朝鮮の未来にとっては喜ばしい事だった。

朴珪寿は開化派として次代の若者を育て上げ近代化する道標を示し、開国という朝鮮の先行き明るい外交転換を見届け、それが続いていくと信じたまま、翌年安らかに眠りについた。

彼は死ぬ間際ではあったが、志半ばで亡くなった孝明世子の夢を繋いだとも言えよう。

そして開明的で現実的な時代の先端を走る開化派を新たに率いるのは、運命の悪戯か安東金氏の血の流れを汲む金玉均であったが、泥水の中から綺麗に咲いた蓮の花の如く煌めく金玉均は、朝鮮にとって紛う事なき希望の星であった。

閔妃は日本と協力関係を結び開化派を引き立て、開化派はこれを機に大いに躍動する。

朝鮮は新しい未来へ一歩踏み出した。

ただし華やかで新しい物好きの閔妃にとっての近代化とは、便利で見栄えの良い新しい玩具に過ぎず、開化派の国や民を思いやる志とはかけ離れた同床異夢である事が、その後の数々の不幸を産む事となる。

朝鮮の未来は金玉均に託された…


【第二章:李氏朝鮮晩期】
主人公:金玉均(きんぎょくきん)

開国し近代化する方針へと舵を切った朝鮮ではあったが、閔妃が招き入れた閔氏一族の横行により内政は乱れ切っていた。

大院君こと若き李是応によって引き締められた綱紀粛正は既に風化して、再び貪官汚吏が蔓延り、倹約を旨に蓄えた国庫の潤沢な資産は閔妃の奢侈により散財され、利権にありつき驕れる者と危機感を募らせ国を憂いる者との協力関係は、崩壊寸前の域にまで分断化されていた。

伝統と称して身分を盾に旧態依然とした既得権益にしがみつく守旧派と、能力主義に裏打ちされた綱紀粛正を求める改革派。

伝統に基づく文化保持を掲げる排外主義の鎖国主義と、新しい文明を受け入れ発展を推進する開国主義。

それぞれの理想や利害が絡み合い、崔益鉉を領袖とする守旧派鎖国主義の老論派、大院君を領袖とする改革派鎖国主義の大院君派、閔妃を領袖とする守旧派開国主義の閔妃派、金玉均を領袖とする改革派開国主義の開化派、と概ね勢力図はそれぞれの党派に純化していっていたが、外圧もあり同じ開国主義の名の下に閔妃派と開化派はひとまず手を結んだ。

そして金玉均は野望に燃えるも、朝鮮の近代化に必要な何かを掴もうとして、掴む朧げな何かが目に見えずに足掻いていた。

そんな折り…

〜執筆中〜

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