漫画原作が多くなる単純な理由
ここ10数年、ドラマも映画も舞台も「漫画」を原作とした作品が多く、それについて作品のファンは「なんでもかんでも実写化か」と憤慨し、それを制作する現場の人たちも、「連載中の雑誌社が広告を担ってくれるからなんだろうな」とか「元からファンがいるもののほうが企画が楽なんだろうな」などと大人の事情をあれこれ考えてみたりしながら、おおむねあまりポジティブには感じていない印象です。
「なんで各プロデューサーは原作(小説・漫画)ばかり探すの?」という話になると、前述したような制作側の事情はあれこれ出て来ます。
・原作もののほうが出版部数などで話題性の数字が見えているので、企画が通りやすい。
・数字が見えているので、スポンサーに交渉しやすく、お金が集めやすい。
・人気作品の映像化であれば、通常役者ファンだけしか見込めない観客層が、漫画ファン、アニメファンなどまで広がる可能性がある。
・漫画家を超えられる優秀で精力的な脚本家が少ない。※これについては、漫画原作に侵略されてて場(チャンス)をもらえないじゃないかという脚本家の方のご意見もあるだろうと思います。
でも、理由はもっと根本的なところにあるそうです。
それは、海外クリエイターとの共同作品も多く手がけられた某大手映画会社のプロデューサーと、洋画&海外ドラマの熱烈なファンである作家との飲み会で話されたことでした。
Q「なんで海外ドラマのクオリティはあれほどに高いのか?」
A 海外には「漫画家」という職業選択肢がないから、物語の作り手になりたいと思ったら、素直に映像業界に進む。優秀なストーリーテラーはそこで育つから。
日本には「漫画家」という当たれば指折りの高額納税者になれる職業があって、優秀なストーリーテラーは、幼いころから絵を練習し漫画家を目指す。
これが大きな起点の違いなのだと。
結果、「日本で生まれ育つ優秀なストーリーテラーが、圧倒的に漫画業界にいるから」必然的に漫画原作の映画・ドラマが増える。そういう才能・人材の面での基本構造があるのだと。
Q「なんで日本には世界的大ヒットを生むような映画監督がいないのか?」
こちらも、そもそもの予算規模の影響も大いにあるとは思うのですが、才能の面で「優秀な人材が漫画家になっていて、映画監督を目指さないから」だと考えていいのではと思います。
日本の映像業界・舞台業界はとにかく「食えない」ことで有名です。そんな低賃金の世界で必死にプロットを練っている新人脚本家が、漫画家に勝つのは難しい。
なぜなら、優秀だなと見込まれた新人漫画家は、出版社から、才能が十分に発揮されるのに必要な環境を整えてもらえます。デビューや連載開始の支度金(引越資金など)を出してもらえるケースだってある。加えて、他社で描かないという専属契約を結べば、年間100万弱の専属料がいただける。(※当然ですが、専属をもちかけられるのは全員ではないですが)これは20歳前後の若者にはかなり有り難い金額ですね。
面白いコンテンツを生み出すために出版社というパトロンと二人三脚なのだから、優秀であればあるほど、10代後半〜20代前半から、あっという間に「漫画に集中させてもらえる環境」が整うわけです。そこから、雑誌の連載という椅子を勝ち取るために、編集さんと企画構成力を磨いて、編集会議を勝ち残るために研鑽を重ねる。それでも、連載に辿りつけるのは一握りの作家になります。連載を「続けられる」のは、さらに一握り。それほどに、トップオブトップの世界で磨かれた作品の力に、新人脚本家が勝つのは、難しくて当然だと思います。
これに勝つためなのか、昨年仕事をした著名な脚本家の方は、全11話+スペシャル用の2話の、合計13本の完璧なプロットを書き上げてから、テレビ局の会議に持ち込んでいました。予備案も含めるとトータルでは60本ものプロットを用意されていた。あらすじ程度のプロットでは、漫画家が積み上げた企画構成力に勝てないからでしょう。その作品は、ドラマ化と、2本のスペシャルドラマになっていました。
ファンとしては…二次元ならではの魅力が先に浸透しているため、三次元になることで落胆することも多いのでしょうが、逆に言えば、二次元の魅力がこれほどに豊かに楽しめる国であることを、まず喜んでいればいいのではないかなと思っています。
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