許容

ダメなものはダメ、であったとしても、
全員が全員、その人に対して
ダメだよと発言する必要はない、と。

罪を犯したら弁護してもらえない?
そんなことない、それと同じで。

その人なりの事情がそこにはある。

そこを汲んであげられる人
転んだ人に手を差し伸べる人も
やっぱり世の中には必要ですよね。

SNSバッシングは
自分と同じ意見の人が多いと嬉しくなり
過熱していく傾向があるように思うけど
本質をもっと見て。
なぜ、その人はそこに陥ってしまったのか
そこを分析することにより
再発を防ぐ、人の振りみて我が振り直せ、
反面教師、自分はそうしなければいい、
ただそれだけのシンプルな話なのです。
赤の他人からみたら。

私は、気を付けよう。

そう思えば全てが済むはずなのに。

人の不幸は蜜の味、重箱の隅をつつくことに
快感を覚えてしまっている人が溢れる世の中

なんかもう、寂しすぎませんか。。

例え、その人が間違っていたとしても
"許容する"ことができたら
あなたの心さえ、"許容"できるのなら
事はもう、おさまるのです。

膨らませて広げてオオゴトにしてるのは
他人の狭き心なのかもしれない。

間違ったとしても、悪かったとしても、
もしも誰もが"許容"できたら…。

そんな世界に行ってみたいです。

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