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第84回 皐月賞(回顧)

結果【競走除外】戦になった訳であるが、では何故【競走除外】戦にしなければならなかったのであろうかを考察してみたい。

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⭐1️⃣
皐月賞における競走除外戦と言えばテイエムオペラオーが覇者となった1999年である。
テイエムオペラオーは毎日杯1着〜皐月賞制覇なので戦歴としての再現性はないであろう。事実、毎日杯1着〜皐月賞出走のメイショウタバルは最下位に沈んでいる。
では何を“再現”したのか。
テイエムオペラオーの皐月賞は枠連6️⃣−6️⃣の純粋ゾロ目決着。

《1999年皐月賞》

今年の皐月賞を競走除外馬を除いて逆枠で組み直すとこうなる。

1️⃣⑱番
1️⃣⑰番
2️⃣⑮番
2️⃣⑭番
3️⃣⑬番⏪
3️⃣⑫番⏪

1着馬⑬番ジャスティンミラノと2着馬⑫番コスモキュランダが同枠になるのである。
この“ゾロ目決着”を演出したのではないだろうか。
《⑫番vs⑫番同枠》→連対馬
《⑧番》→3着馬
こんな感じである。
これならば1999年皐月賞=2024年皐月賞になるからだ。

しかしながら事前に競走除外戦になる事を想定するのは“至難の業”であり、ほぼ無理ゲーだ。
JRAにこの“奥義”を使用されたら競馬研究者達は“即死”であり“全滅”であろう。
JRAにとって“煩わしい存在”の競馬研究者達を“撤去完了”して今頃は鼻高々に鼻歌でも歌っている事だろう。
あーむかつく。

⭐2️⃣
覇者の戦歴を考えるとやはり競走除外という“奥義”なしには成し遂げられない3戦目での皐月賞制覇であったのだろう。

シンボリルドルフ→→5戦目で皐月賞制覇
(王道の弥生賞制覇経由ルートを構築)
ディープインパクト→4戦目で皐月勝制覇
(王道の弥生賞制覇経由ルートを再構築)
コントレイル→→→→4戦目で皐月賞制覇
(G1ホープフルS制覇経由ルートを構築)

このような無敗三冠馬達でさえ最短4戦目で皐月賞を制覇しているのだ。
(ルドルフ5戦→ディープ4戦の違いは調教技術及び調教場所又は馬場の進化の結果であろう)

これを初めて覆したのが昨年度の皐月賞を制覇したソールオリエンスだ。

《ソールオリエンス》

《2歳新馬→京成杯→皐月賞制覇》
京成杯馬が史上初めて皐月賞を制覇した瞬間だ。
皐月賞と同じ中山2000mでG3戦というのがポイントであろうか。これが王道のG2弥生賞であったならば正しくルドルフの構築した“聖域”を犯す行為であるので“鉄槌”を下される結果になっただろう。

そして今年のジャスティンミラノである。

《ジャスティンミラノ》

《2歳新馬→共同通信杯→皐月賞制覇》
ソールオリエンスとの違いはこの馬は東京競馬場しか出走していない事だろう。中山競馬場の出走経験が“無い”のである。これは流石に“ルール違反”であったのだろう。3戦目で皐月賞に挑戦するのは許容範囲なのであるが、覇者となるには最低限中山競馬場の1着歴が必要だという事が考えられるのだ。
よって出走取消もしくは競走除外という特殊戦にして“例外”として容認したのである。
ここではテイエムオペラオー(皐月賞)の決着構造に仕立て上げる為に“競走除外”という奥義を使用したのであろう。

また7️⃣枠同枠に

サンライズアース 2歳新馬→すみれS(2戦2勝)
フサイチコンコルド2歳新馬→すみれS(2戦2勝)

という、仮想フサイチコンコルドを配置して同馬が⑬番ゼッケンで日本ダービーを制覇した時の暗示を示したのと同時に“牝馬の参戦”も同じであり牝馬は“敗退”するという暗示であったのかも知れない。

勿論、皐“月”賞は月名の天体レースなので同枠に“アース”馬名が配置された事も後押しだろう。
(2着馬も“コスモ”馬名だ)
この様な単純な“サイン”が今後も重要なのかも知れない。より大多数の競馬ファンに競馬という“ゲーム”を楽しんでもらう為には単純なサインも必要なのだという認識を持ち続けたいと思う。

また気付いた事があれば《更新版》として追記したいと思う。

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1時間位の時間を使い記事をアップしたら、ある競馬研究者様と内容が“被っている”事が判明した次第。
しかし“盗んで”はいないとここで宣言しておきます。
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